今なら評価されないガッツ石松の減量伝説

 今から40年前の今日75年12月4日に日大講堂で行われたWBC
ライト級タイトルマッチで、王者のガッツ石松が挑戦者の8位アル
バロ・ロハスを14Rに右アッパー一発でKO勝ちして5度目の防衛に
成功した。

 これまで1度もKO負けがないというのが売りの挑戦者ロハスは
粘り強い攻撃が持ち味で王者が迎え撃つ消耗戦になったのだが、何
より話題になったのは石松の減量苦。

 この頃から過酷な減量に苦しむ石松は18㌔も体重を落すハメに
なり試合の2日前からは飲まず食わずだった事が当時のスポーツ紙
などで大きく取り上げられており、ただでさえタフなファイターの
ロハスから押しまくられてズルズルポイントを失うのではと危惧さ
れる中でのKO勝ちはボクシングファンを安堵させたものだった。

 ましてや この年は前年王者になった小熊正二と花形進のフライ級
王者が初防衛に失敗し1月に王者に返り咲いた輪島功一も6月の初
防衛戦でKO負けすると、同門の柴田国明も7月にKO負けし日本
人世界王者は石松のみとなっていたのだからファンの安堵ぶりも
ひとしおで石松-ロハス戦は年間最高試合になったのだ。

 しかし この試合に異を唱えたのが名ボクシングライターの佐瀬稔
氏で‘1ヶ月で18㌔の減量をして勝ったというが普段から節制して
いれば こんなバカな事にならない’と1ヶ月で18㌔の減量を賞賛す
る世間の声を批判していたのだ。

 石松の身長は172㎝でライト級リミットは61,3㌔だから18㌔と
いえば減量に入った時点で80㌔近くまで体重があったわけだから、
現在ならば佐瀬氏の言うように日頃の節制を批判されるだろう。
 
 ただ当時はプロ野球でも試合が終わると朝まで飲み明かし睡眠も
ロクに取らずに酒の匂いをプンプンさせて翌日の試合に臨み、活躍
する事が武勇伝として賞賛されていた時代だから石松の減量苦も同
じ類の武勇伝として語られていたのだろう。

 こういった武勇伝を今では聞かなくなったのは競技レベルが上が
りコンディショニングというのが重要視されるようになったので、
普段から節制してないと活躍できなくなっているという事を忘れて
はいけないだろう。

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
その代わり今は・・・ (テコンドーを五輪から除外しろ!!)
2015-12-04 23:19:02
極端な減量を強いられるボクサーは今はあまり見かけなくなったけど、その代わりに平気で体重超過してタイトルを剥奪される輩が海外で多くなったな。
しかも、試合に勝つのは大抵が違反した奴が多い(苦笑)。
 
 
 
そうですね (こーじ)
2015-12-05 23:39:45
>テコンドーを五輪から除外しろ!!様
 そういう輩は確かに増えました。

 こういう輩の唯一のメリットは某一家の2号を駆逐した事ぐらいですか。

 この試合の後に某一家は日本から追放されましたからね。
 
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