国辱的だったイタリアW杯アジア1次予選から30年

 今から30年前の今日89年6月11日に行われたイタリアW杯
アジア1次予選で日本代表は、インドネシアに5-0で快勝した
にも拘わらず大いに物議を醸す事になった一戦となった。

 というのもインドネシア戦の会場は西が丘サッカー場で芝が
剥げ上がったボロボロの状態だっただけでなく、当日は雨が
降ったため下がぬかるんで重馬場状態のコンディションの中で
行われ戦相手であるインドネシアのモハメド・パスリ監督から
‘この会場はFIFAの公認を受けているのか'と言われる始末。

 実は30年前のサッカーW杯予選のような大きなイベントで使
う会場は国立か神戸ユニバーしかなく、北朝鮮戦は国立を香港
戦は神戸を使用したのだがインドネシア戦は両会場とも取れず
西が丘になったという経緯があった。

 思えば30年前の日本サッカー界にとってW杯というのはプロ
化されてないという事もあり出場するものという感覚が希薄で
ホームアドバンテージという感覚もなく、実際に北朝鮮戦など
は相手国の応援団の方が多く声援でも圧倒されていた始末だっ
たが対策なども全く施されてなかったようだ。

 それゆえ予選の会場もスケジュールなどにも無頓着で国立や
神戸が取れなかったとはいえ、西が丘のような小規模な会場で
行うなど30年経った今では考えられない話。

 W杯に全くかすりもしないのなら別だが4年前は組み合わせ
や幸運に恵まれたとはいえ韓国との最終予選まで勝ち上がった
後だけに、こんな会場で戦うというのはファンや選手達もがっ
かりするはずで収容人数1万人足らずの西が丘が満員にならな
かったという形にもなったのだろう。

 そういった意味でも国辱もののW杯予選だったしインドネ
シアに
勝った時点で2勝2分の勝ち点6でグループ首位に立っ
たわけだが、
翌週の神戸での香港戦はアウェーに続いて0-0
で引き分けて一気
に流れが変わりアウェーでの北朝鮮戦は0-2
で完敗し前回の最終
予選進出から一転1次予選敗退という形に
終わったのだった。


 この結果を見ると4年前は幸運に恵まれた最終予選進出だった
いえるし井原正巳や堀池巧に長谷川健太など4年後のドーハ
の悲劇
の時のメンバーがいるのを見ると、現場が頑張ってもトッ
プである
協会の体制や運営がプロにならないとW杯に出場できる
実力は付か
ないというのが分かる敗退だった。

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
時代が違うといえばそれまでですが (Bill McCreary)
2019-06-12 23:34:58
さすがに西が丘のサッカー場はないですよね。当時は国立もものすごく芝が悪く、トヨタカップでしばらく南米が強かった理由も、モチベーションとか当時はまだ南米の選手が欧州にあまり行っていなかったのも確かですが、悪いピッチが南米に有利だったのも確かでしょう。

が、この4年後にはJリーグが、13年後にはワールドカップが共催とはいえ開催されるのですから、物事というものは、進むときは早いのですね。
 
 
 
ホントにそうです (こーじ)
2019-06-13 21:08:45
>Bill McCreary様
 たしかに西が丘だけでなく‘総本山’ともいうべき国立の芝も酷かったですよ。

 そんな感じだからプロ化といっても‘無理だろう’と思ってましたけど、Jリーグの発足から一気にインフラが整備され特にW杯開催から一気に芝などもよくなりましたよね。

 初年度の等々力など剥げた芝をごまかすため緑の塗料を塗っていたのを思い出します。
 
 
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