ヘアサロンうつのみや・オーナーのスポーツやヒーローもの、雑談ネタを徒然なるままに
こーじ苑
‘ゼッケン67’の物語から57年
今から57年前の今日64年10月14日は昭和東京五輪の陸上競技が
始まった日らしいが、この日に行われた男子1万m決勝で国語の教
科書に載るドラマがあった。
レース自体はアメリカのビリー・ミルズが世界記録保持者である
オーストラリアのロン・クラークを最後の直線で逆転し28:24:04
のタイムで金メダルを獲得し、1週間後にマラソンで銅メダルを獲
得する円谷幸吉も6位に入る健闘を見せたのだがドラマはその後に
起きたのだ。
周回遅れのランナーが走り切ったと思われたのだが最後のゼッケ
ン67を付けたランナーが何と1周どころか3周遅れでゴールする形に
なり、当初は観客も嘲笑気味だったのだが脇腹痛をガマンしながら
懸命に走り最後は金メダリスト以上の拍手を受けてゴールする。
この選手はスリランカ(当時はセイロン)ラナトゥング・カルナ
ナンダで31:26:06の自己ベスト記録をこの年に五輪に臨んだの
だが、現地入りしてカゼを引くなどコンディションを崩してしま
いレース半分を走った時点で先頭から2分半以上遅れてしまう。
それでも必死に最後まで走り切り34:21:02のタイムでゴール
したわけだが周回遅れになっても棄権せずに完走した姿は‘五輪で
重要な事は勝利する事だけではない’という精神を体現したもので、
70年代の小学4年生の国語の教科書に‘ゼッケン67’という題名で載
ったわけだ。
この物語を習ったのが73年だから東京五輪から9年後という事で
リアルタイムで見た人も多かったのではないかと思うし、決して
運動神経がいいわけではなかった私としても長距離を走る時に例
え最下位でも棄権せず最後まで頑張れば得るものがあるという事
を学んだわけだ。
ウィキによるとカルナナンダは2日後の5千m予選3組で13人中
12位で予選落ちし、それから10年後の74年にボートの事故で亡く
なったらしい。
ところがカルナナンダの孫が群馬で、介護福祉士として働いて
いるという話が載っており何という縁なのかと思ったのだった。
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