ドーハの歓喜から10年

 今から10年前の今日11年1月30日未明にカタールのドーハ・カリ
ファスタジアムで行われたアジア杯決勝で、日本はオーストラリア
相手に延長後半108分に長友佑都が上げたクロスを途中出場した李
忠成がボレーで決めた1点を守り切り04年中国大会以来の優勝を決
めた日である。

 サッカーアジア杯は07年度からW杯翌年に開催されるようになり
前回はサウジに準決勝で敗れた後、韓国にも3位決定戦で引き分け
PK戦で4位に終わっていた。

 もともとアジア杯は五輪の年に行われていたので強化の中間点的
な位置付けだったのがW杯翌年に開催となると、日本のような計画
的に旧チームからの世代交代を図る国にとっては優勝となるとハー
ドルが高いものがあったのだ。

 ところが今から10年前のカタール大会では前年南アフリカW杯で
グループステージを突破したチームの中心メンバーが若かったため、
それなりのベストメンバーで臨む事ができたわけだ。

 とはいえアルベルト・ザッケローニ監督が就任して間もない事や
調整時期が短かったというハンデを追いながら臨んだグループステ
ージ初戦でヨルダンに後半ロスタイムで追い付き1-1で引き分ける
と、シリアに一旦追い付かれたものの2-1で勝ち最終戦ではサウジ
相手に5-0で快勝してグループBを1位通過する。

 ベスト8では開催国カタール相手に2度にわたってリードを許しな
がら香川真司のゴールで追いつくと終了間際に伊野波雅彦のゴール
で勝ち越して3-2で勝つと、準決勝では韓国相手にPKで先制されな
がら前田遼一のゴールで追いつくと延長で細貝萌のゴールで勝ち越
すが終了間際に追い付かれ2-2で引き分けPK戦ではGK川島永嗣が3
人を止めて3-1で勝ち決勝に進出。

 そして決勝では先述したようにオーストラリア相手に延長の死闘
の末に1-0で勝ち、93年10月に行われたアメリカW杯アジア最終予
選の最終戦でイラク相手にロスタイムで追い付かれて引き分けに持
ち込まれ出場権を逃したドーハの悲劇の地でドーハの歓喜に変えた
のだ。

 これで南アフリカW杯直前の沈滞ムードから一変し‘日本強し!’と
いうイメージができたわけだが、思えばこの優勝辺りがザッケロー
ニ・ジャパンのピークだったようで以後はメンバー湖底による弊害
が目立つようになり3年後のブラジルW杯ではジーコジャパン同様に
1分2敗でグループステージ敗退になったわけである。

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