サッカー人気が ここまで上がるとは思えなかった20年前

「頼むさかい、日本リーグの選手らに満員の国立でプレイさせたってや」
ファン代表/明石家さんま 

 これは20年前の今頃、東京の電車の中で見かけた中吊り広告だ。
  昨日アップしたジャパンボウルに行くのに京浜東北線の電車内で見た
のだが、これは89年2月26日に国立で行われるサッカー日本リーグの
後期開幕戦である読売vs三菱と日産vsヤマハのダブルヘッダーを満員の
観衆の下でやろうとリーグ事務局が立てた企画だった。

  2月26日の観客は4万1千人だったそうで、それまではメキシコ五輪直後
の三菱vsヤンマー戦の4万人だったので新記録となった。
 ただし実際は3万人入ってたかどうかという入りだったものの、中吊り
広告に2千万をかけ 社会人から子供のサッカークラブにまで国内5千の
チームに招待券をばらまいた手前、新記録にしないと格好がつかなかった
ようだ。 

 当時‘国立ボウルゲーム’と我々が言っていたのが、正月から成人の日
にかけて国立で行われる競技。

 元日がサッカー天皇杯決勝。

 2日は大学ラグビー準決勝。

 3日はアメリカンフットボールのライスボウル。

 6日は大学ラグビーの決勝。

 7・8日は高校サッカーの準決勝&決勝。

 15日にラグビーのNHK杯 というスケジュールだったが、当時 最も入って
いたのがラグビーで 天皇杯が一番観客が少なかった。 

 特に87年など、ある外国のスター選手が天皇杯決勝と東海大一vs国見
の高校サッカー決勝の両方を観戦したのだが‘天皇杯より観客が多い’
と驚いていた。

 それが逆転したのが93年のJリーグ開幕の前哨戦となった92年のナビ
スコ杯だった。
‘サッカーがプロ化したので’とは当時よく言われていたが、Jリーグがプロ
野球のような企業の宣伝部門の一部なら ここまで盛り上がらなかったと
思われる。

 やはり独立採算制にしたのが原因だろう。

 独立採算制になると親会社におんぶに抱っこというワケにはいかない。
 だから関係者は‘いかに黒字にするか’といつも考えていた。

 Jリーグ発足前は‘こんな田舎で採算が取れるわけがない’と思われて
いた地域にチームができ、しっかりと黒字経営しているのだ。 

 この20年間でJリーグが本来のプロとしての経営のスタンダードを作った
と言っても過言ではないだろう。
 その最たる例がJリーグのチーム数の増加で‘10球団の1リーグ制’
などと血迷った事を推進しようとした競技とは根本的に違うのだと思えた。 

 大事なのは、やる気なのだから。

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