ヘアサロンうつのみや・オーナーのスポーツやヒーローもの、雑談ネタを徒然なるままに
こーじ苑
「がんばれ元気」に騙された
26年前の今日、10月18日は高校の修学旅行の東京自由行動の日だった。
15日から信州~黒部ダム~万座温泉~白根山~日光と廻り18日の午後に東京へ到着次第、班ごとに自由行動できる。
泊まりは本郷で隣が東大で後楽園球場も近くにある絶好の場所だ。
実は当時行われていたパリーグの前後期制プレーオフの第3戦がこの日に予定されており、後期残り2試合まで1位だったファイターズがそのまま優勝していれば後楽園で生で見れたのにと今更ながら悔しく思えたものだ。
心強い事にその年の夏休みに上京した男・Kが班にいた、そいつにどこをどう廻ればいいか尋ねたのだが東京ディズニーランドがなかった当時はメジャーな遊園地は後楽園遊園地。ここで絶対に遊びたいという希望だったが門限は21:00なので先に遊ぶか19:00頃来て遊ぶか?当然Kに相談したところ
「19:00までに戻って遊べばいい、22:00頃までやりよるぞ」
と言う。
「ホント大丈夫や?19:00で終わりとか言うなよ」
と同じ班の男が不満そうに言う、するとKは
「夏休みに22:00まで営業しよったし第一 ‘がんばれ元気’で元気の父親・シャーク堀口が死んだのが閉園間際やったろうもん」
と力説。
‘がんばれ元気’は当時みんな愛読していたボクシングマンガ、後楽園ホールで元気の父親・シャーク堀口が後の世界チャンピオン・関拳児と対戦し予想外の頑張りで死闘を演じるが力尽きてKOされる。「終ったら遊園地でいっしょに遊ぶ」という元気との約束を守り終了後遊園地で遊ぶのだが被ったダメージで脳出血を起し?元気を1人で遊ばせながら自分はベンチで息を引き取るという悲しいシーンがあり、みんな覚えていた。
通常シャーク堀口の試合はだいたい19:00頃からだからKの話は辻褄が合う。
結局Kの言う事を信用し新宿などを廻って19:00前に水道橋駅に到着したら
暗いではないか! 「そ、そんなバカな!」
入り口に行って見ると
‘10月以降は 18:00まで’と書いていた。
「こ、このヤロ~!ウソばっかり言いやがって!」
K君が暴力こそ振るわれなかったものの袋叩きに遭ったのは言うまでもない。
ただし捨てる神あれば拾う神ありとはこの事で今更行く宛がないので旅館に戻ったがなんとその日は世界フライ級タイトルマッチが19:30からOAされていた。
チャンピオン・大熊正二の防衛戦だったのだが放送局は当時九州になかったTV東京、前回の防衛戦は月曜だったので深夜に録画中継していたが今回は土曜という事で福岡では放送なしという事だった。
それが見られるという事で部屋に集まり見ていたら大熊圧倒的不利の予想通り1R にダウンする、ところが中盤から終盤にかけて大熊が猛反撃し2-1で僅差の判定
勝ち(2人のジャッジはいずれも1ポイント差)。
途中から帰ってきた連中がゾロゾロ参加して終盤は大盛り上がりで勝った瞬間バンザイの声が上がった。
このおかげで我々の機嫌も直りK君はホッとした事だろう。
でもマンガには気をつけなければとつくづく思った。
因みに後に蒲田時代の1年半で後楽園遊園地に行く機会は何度もあったはずなのに 1度も行ってない、やはり縁がなかったのだろう。
« 日本シリーズ... | 本来なら亀田... » |
初めて東京ドームに言ったときに後楽園ゆうえんちも
行ってきました。プロレスファンの連れ達を尻目に
『ここが、後楽園でぼくと握手だ!の後楽園かぁ』と
ひとりこっそりほくそえんでいました。
実際に大人になって、自分の稼いだお金で好きなだけ遊園地に行けるようになると、アトラクション(乗り物)などには、目もくれず、他の楽しみにすべての時間と体力とお金を使っていた。
もう、後楽園遊園地や三井グリーンランドや、西武園遊園地には行きたくない。
子供の頃に描いた幸せは、それが自分の手で実現されるようになると、形を変えてしまうものだな、と思った。
昔から戦隊モノのアトラクションよくやっていたみたいですからね。後楽園球場の時代はレフトスタンドの後方に
見えてました。
>柴田真紀様
子供の頃の夢が、いざ大人になったら大した事ない事に気付くときってありますね。私もその経験大いにあります