福岡県代表は九州国際大付

 今日行われた夏の甲子園の福岡県予選の決勝で九州国際大付が筑陽
学園に9-0で勝って27年ぶり3度目の甲子園出場を決めた。
 九国大付にとっては八幡大付時代の82年夏以来の甲子園だから、まさしく
悲願の出場だろう。

 今年の春の九州大会でも優勝しているし、福岡県予選の戦いぶりを見て
いても頭一つ抜けている気がした。
 久しぶりに福岡から大型チームが出場している感じなのだ。

 九国大付は以前も記したように我々の最後の相手。
 我々が入学した30年前の79年夏に初出場し、我々と対戦した2年生が
3年になった82年に春夏連続出場していた。

  だが甲子園では、何故か必ず不運に見舞われていた。 

 79年夏は大型左腕・ジャンボ宮城を擁してベスト4に入った横浜商と初戦
で対戦。
 ピンチを切り抜けた1回裏にチーム一の俊足ランナー・宮下がヒットで
出塁し、すかさず盗塁でノーアウト2塁。
 ここで2番の沢田が三遊間に打ち返し、抜けたと思われた打球が宮下の
足に当たりランナーがアウト。

 当たってなければ宮下の足なら先制タイムリーになっていただろう。
 結局この回に先制できず、直後に2回・3回に計5点を奪われ1-6で敗
れた。

 82年春は前年秋の九州大会準優勝で乗り込んできたが、初戦で対戦
したのが またしても横浜商。
 1回裏に2アウトから3番・荒井幸雄を歩かせ4番・高井の2ベースで先制
されたものの、4回表に4番・川端のタイムリーで追いつく。

 5回裏に2アウト1塁から2番の2ベースで勝ち越され1-2のまま迎えた
8回表に1アウト1・2塁のチャンスで川端のカウントは2-3。
 ここで高めの明らかなボールを見逃すが球審のコールはストライク、
結果的にダブルスチール成功で2アウト2・3塁になったが本来なら1アウト
満塁だった場面だ。

 5番が倒れ1-2で再び横浜商に敗れたが横浜商は準々決勝で荒木大輔
の早実に3-1で勝ってベスト4に進出したチーム。
 対戦したエースの三浦が3年になった翌年は春夏連続で準優勝して
いるのだ。

 更に82年夏は初戦で対戦した日大二相手に6回裏1アウトまで4-2と
リードしながら雷雨でノーゲーム。
 3日後の再試合では途中逆転したものの6-9で敗れている。

 83年以降は88年に選抜出場した柳川に準決勝で勝ったものの、決勝
では甲子園で準優勝した福岡第一に大敗。

 バファローズの日高が4番キャッチャーだった94年は4-0から7回に2点、
8回に4点取られる逆転負け。

 更に02年は柳川相手に4-1でリードし9回2アウト満塁から走者一掃の
2ベースを打たれて追い付かれ、延長戦では再三あったサヨナラの
チャンスを潰して15回引き分け。
 再試合で8-11で敗れるなど不運続きだった。

 東北時代にダルビッシュを擁して03年夏に準優勝した若生監督を招聘し、
ユニフォームも横浜スタイルのグレーから東北スタイルのピンストライプに
変えるなどチームを変えようとするのがよく分かっていただけに今回の
27年ぶりの甲子園出場は関係者にとっても感無量だろう。

  甲子園準優勝監督が率いる九国大付が八幡大付時代の不運から脱却
できているか?答は もうすぐ出る。

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
高校野球福岡 (Rikimaru)
2009-07-29 02:04:36
母校九国大付甲子園に行きます
八大付の頃のお話しなどとても
楽しめました
ありがとうございます
 
 
 
おめでとうございます (こーじ)
2009-07-30 00:09:18
>Rikimaru様
 おめでとうございます、よかったですね。
 卒業生としては感無量だと思いますよ。

 記しているように私の現役時代が八大付の全盛期でしたから、特にインパクトは強いのです。
 お望みとあれば、甲子園に出た頃の話はできますよ。
 
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