ヘアサロンうつのみや・オーナーのスポーツやヒーローもの、雑談ネタを徒然なるままに
こーじ苑
V9ジャイアンツの‘左のエース’高橋一三死す
高橋一三氏死去=V9巨人「左のエース」
今日のニュースで元ジャイアンツの高橋一三が多臓器心不全のため
亡くなったと報じられていた。
高橋一三といえばV9時代の後半を中心に堀内恒夫と共に投手陣を
支えた左のエースで、どうしても堀内の方が有名ではあったが20勝
したのは堀内の1回に対して2回だし沢村賞にも2度輝いているのだ
から凄い。
レギュラーシーズンで5度、日本シリーズで4度の胴上げ投手に輝
くなど、ここ一番での勝負強さを持っており重要な試合で登板する
と‘勝てる’という安心感があった。
代表的だったのが勝った方が優勝という73年10月22日に甲子園で
行われたレギュラーシーズン最終戦のタイガース戦を9-0で勝った
のだがスクリューボールを駆使してタイガース打線を完封したピッ
チングは忘れられない。
堀内がビッグゲームに強いと言われていたのだが高橋も堀内に勝
るとも劣らない実績を持っていたのだからV9のジャイアンツが強か
ったのは当然だし、王貞治や長嶋茂雄を中心とした打線が看板では
あったものの堀内や高橋という左右の両輪がしっかりしていたから
こそのV9でもあった。
ただ73年の23勝13敗をピークに翌年から不調に陥り2年間で
8勝しか挙げられず75年オフに張本勲とのトレードで富田勝と共に
ファーターズに移籍すると、肩を痛めた事もあって技巧派に転向し
81年にファイターズがリーグ優勝した時には18勝を挙げ貢献した
のだった。
そういう意味では個人的に81年7月19日に平和台で行われたファ
イターズvsライオンズ戦で登板した試合を観戦したのだが芸術的な
投球でライオンズ打線を翻弄した姿は、永射保から敬遠のボールを
HRした柏原純一の2ランと共に忘れられないし生観戦できてよか
ったと思う。
奇しくも今年は共にファイターズにトレードされた富田勝も亡く
なっているのだが、野球を見始めた頃に活躍していた選手達が亡く
なるのは40年近く経っているとはいえ残念で寂しいものがある。
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当時の巨人の投手陣でもっとも頼もしいという印象で、トレードされたとき、「何で出すんだ!」と思いました。
V9の功労者やONのライバルだった人たちが去って行くたびに、悲しい気分にさせられてしまいます。
ご存知かもしれませんが、殆ど広島へ行きかけていた時に、契約金(大差はなかったらしいですが)の現物を百円札で見せて、額の多さに驚かせて両親が契約書にサインしたというエピが残っているそうです。
謹んでご冥福をお祈りします。
全くそう思いますね。
トレードで出された時は74年が2勝で75年も6勝6敗と
成績が下降気味だったのでしょうけど、80年代に入ってよくぞ復活したと思いますね。
そういう意味では80年代に入るとボロボロになった
堀内よりもクレバーで、年齢的にアジャストしたという事でしょうね。
ちなみに移籍先のファイターズでは81年に敵として凌ぎを削った江夏がやって来てリーグ優勝に貢献しているのですから昨日の敵は今日の友を髣髴しましたよ。