ヘアサロンうつのみや・オーナーのスポーツやヒーローもの、雑談ネタを徒然なるままに
こーじ苑
永遠のチャンピオン・大場政夫を偲ぶ
73年の今日1月25日は世界フライ級王者・大場政夫が愛車
・シボレーコルベットに乗って首都高速で事故を起し王座
在位中に亡くなった日である。
小3だった私は昼休みに男の担任のクラスの友人が「大場
が死んだ」と大騒ぎしていたのを聞いて信じられずに帰宅し
てから確認したものだ。
実は大場が世界を獲った試合は小1の10月で家族や従業員
達と一緒に観て勝った瞬間大喜びをしたものだ。喜んでいる
私に父が言ったのが「おい、大場は強いやろう。大場は何で
も好き嫌いなくたくさん食べるけん強いんぞ、お前も大場み
たいに大きく強くなりたかったら好き嫌いせんでたくさん食
べろ」という事。
後年知った事だが身長168㎝の大場は50,8㌔のフライ級で
は大柄なため減量に苦労していたらしい。だから父が言った
「たくさん食べる」というのは真っ赤なウソだったのだが、
コケの一念というべきか私は父のその言葉がその後見事に作
用し好き嫌いの無い大食家になったのだ。
当時日本に世界王者は5人いたが大場の人気はダントツで
長身から打ち下ろす強烈な右ストレートやチャンスに畳み掛
ける炎の連打は我々を魅了していた。
しかも4度目、5度目の防衛戦は1Rにダウンを喫し、それを
跳ね返してKO勝ちする逞しさがあり「リングでは絶対に10カ
ウントは聞かない」と豪語していたらしい。
高校を卒業して大場の生い立ちやドキュメンタリーを見る
と、かなり貧乏な一家に生まれハンバーグをジムに入門する
まで食べた事がなかったそうだ。
世界王者になって家族に家を建てるというのがモチベーシ
ョンになっていたようだが72年3月に3度目の果たして念願の
家を建て、6月の4度目の防衛戦のファイトマネーで日本に2台
しかなかったシボレーコルベットを買ったらしい。
考えて見ると当時のボクサーは結婚や女遊びは厳禁、酒や
タバコもダメ、そのうえ大場は減量がきついので食べ歩きも
ほぼ不可能という状況で唯一の楽しみが車だったそうだ。
不思議なもので世界を獲ってからの大場のスケジュールは
○○とやったら次は○○という具合に、いつも先がつまって
いたのだが1月2日のチャチャイ戦後はスケジュールが珍しく
空いていたようでそれで気ままにドライブとしゃれ込んでい
た矢先の事故のようだ。
シボレーコルベットは大場お気に入りの車だったようだが
車高が低いので前が見辛かったらしい。
因みにもう1台を保持していたのが‘キックの鬼’と言われた
沢村忠、大場が事故死して気味悪くなりすぐに売ったという。
大場のファイトに魅了された私は82年12月のボクシングマガ
ジンの付録の大場政夫のポスターを修行時代も大事に部屋に貼り
人生の励みにしていた。
大場存命なら今年57歳、ただ57歳の大場の姿は想像できない。
今日も大場が亡くなった10:00過ぎに黙祷を捧げたのであった。
・シボレーコルベットに乗って首都高速で事故を起し王座
在位中に亡くなった日である。
小3だった私は昼休みに男の担任のクラスの友人が「大場
が死んだ」と大騒ぎしていたのを聞いて信じられずに帰宅し
てから確認したものだ。
実は大場が世界を獲った試合は小1の10月で家族や従業員
達と一緒に観て勝った瞬間大喜びをしたものだ。喜んでいる
私に父が言ったのが「おい、大場は強いやろう。大場は何で
も好き嫌いなくたくさん食べるけん強いんぞ、お前も大場み
たいに大きく強くなりたかったら好き嫌いせんでたくさん食
べろ」という事。
後年知った事だが身長168㎝の大場は50,8㌔のフライ級で
は大柄なため減量に苦労していたらしい。だから父が言った
「たくさん食べる」というのは真っ赤なウソだったのだが、
コケの一念というべきか私は父のその言葉がその後見事に作
用し好き嫌いの無い大食家になったのだ。
当時日本に世界王者は5人いたが大場の人気はダントツで
長身から打ち下ろす強烈な右ストレートやチャンスに畳み掛
ける炎の連打は我々を魅了していた。
しかも4度目、5度目の防衛戦は1Rにダウンを喫し、それを
跳ね返してKO勝ちする逞しさがあり「リングでは絶対に10カ
ウントは聞かない」と豪語していたらしい。
高校を卒業して大場の生い立ちやドキュメンタリーを見る
と、かなり貧乏な一家に生まれハンバーグをジムに入門する
まで食べた事がなかったそうだ。
世界王者になって家族に家を建てるというのがモチベーシ
ョンになっていたようだが72年3月に3度目の果たして念願の
家を建て、6月の4度目の防衛戦のファイトマネーで日本に2台
しかなかったシボレーコルベットを買ったらしい。
考えて見ると当時のボクサーは結婚や女遊びは厳禁、酒や
タバコもダメ、そのうえ大場は減量がきついので食べ歩きも
ほぼ不可能という状況で唯一の楽しみが車だったそうだ。
不思議なもので世界を獲ってからの大場のスケジュールは
○○とやったら次は○○という具合に、いつも先がつまって
いたのだが1月2日のチャチャイ戦後はスケジュールが珍しく
空いていたようでそれで気ままにドライブとしゃれ込んでい
た矢先の事故のようだ。
シボレーコルベットは大場お気に入りの車だったようだが
車高が低いので前が見辛かったらしい。
因みにもう1台を保持していたのが‘キックの鬼’と言われた
沢村忠、大場が事故死して気味悪くなりすぐに売ったという。
大場のファイトに魅了された私は82年12月のボクシングマガ
ジンの付録の大場政夫のポスターを修行時代も大事に部屋に貼り
人生の励みにしていた。
大場存命なら今年57歳、ただ57歳の大場の姿は想像できない。
今日も大場が亡くなった10:00過ぎに黙祷を捧げたのであった。
コメント ( 5 ) | Trackback ( 0 )
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今でも印象に残るチャンピオンでしたね。
自分も20代半ばで、仕事、酒、マージャン等で
楽しい時代でしたね。
ボクシング協会も会長選で揉めているような報道も。
原田も長すぎるのでは?
チャンピオンになった時の姿は、忘れられません。
我々の世代で最高のボクサーをあげろと言うと大場の名前をあげる者が反数は越えると思います。
原田さんももう若い世代に譲って相談役に引っ込めばいいと思いますよ、脳梗塞で入院もしてますし。
>中野区民Y様
気持ち大いに分かります、やはり生きていて欲しかったですね。
なんで仲良くやれない?
原田と輪島は同い年なのですよね。
本来はそれこそ具志堅あたりの世代に会長を譲らないとまずいでしょう、でも具志堅も先日のプレゼンでは大ボケをやってましたね。