ヘアサロンうつのみや・オーナーのスポーツやヒーローもの、雑談ネタを徒然なるままに
こーじ苑
タイガーマスクがデビューして30年目
今から30年前の今日81年4月23日は蔵前国技館で行われた新日本プロレ
スでタイガーマスクがデビューした日である。
この頃アニメでタイガーマスク二世がOAされていたが往時を知る私にはピンと
来なかったので見てなかったのだが‘タイガーマスクが登場した’という知らせ
には大いに驚いた。
当初はタイガーマスク二世のタイアップだったようだが、演じた佐山聡の四次元
殺法と呼ばれたストロングスタイルにメキシコのルチャリブレを合わせたような
立体感のある試合ぶりは斬新で‘単なる見世物ではない’と思えた。
こういった類のレスラーは普通は単なるショーレスラーに過ぎないのだが、実力
的にも本物でローリングソバットなど友人達とマネをし始めのは時間がかからな
かった。
更にジャーマン・スープレックスやタイガードライバーにサマーソルトキックなど
魅了される技も多く、さすがにコレらはマネできなかた。
もっとも今考えればダイナマイトキッドのような対戦相手にも恵まれた感が強い。
他にもライバルとしてブラックタイガーが登場したので‘今度はビッグタイガーと
キングタイガーが出てくるのではないか’など、友人達と話題になっていた。
そんな感じだから コレ以降は猪木の試合は見なくてもタイガーマスクの試合
時間だけは極力チャンネルを新日本プロレス中継にしていた。
残念ながらタイガーマスクの活動期間は短く83年8月に引退を表明してしまった
のだが、飽きられる前に終わってよかったのかもしれない。
今ではUFCを中心にしたリアルファイトが格闘技の主流になっているが、当時の
タイガーマスクの試合を見た時の衝撃は今でも忘れられないし もう1度見てみたい
気がする。
コメント ( 9 ) | Trackback ( 0 )
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同じ技使うでしょ
そりゃ観てる方飽きるよね
馬場さんいてブッチャーいて
そんだけで絵になるし
馬場さんとアンドレ 夢があった
タイガーマスクには上田(馬之助)さんが
1990年頃の週刊プロレスのインタビューで、初代タイガーマスクのことを「お子様ランチ」と言い、初代タイガーの登場以降プロレスを好きになる世代が広がり、それに合わせるようにプロレス自体が空中技や派手な技に片寄りつつある中、プロレスの凄味はもっと違うところに有ると警鐘を鳴らしていたが、それ以降もプロレスは派手な技の応酬、危険な技が連続するものになっていった。
今でも佐山タイガーやってるけど アナウンスの際
体重90何キロっていうと観客が一斉に
「えーーーー」ってブーイング起きるのがギャグみたいに
になってるのがwwww
さすがにそこまでは出てきませんでしたけど、虎ハンターで売り出した小林邦明や寺西勇との絡みも見応えがありましたよね。第一次UWFでタイガーを苦しめた藤原喜明がさしずめタイガー・ザ・グレートにあたるような役回りになるのかな、なんて当時は思ってましたよ。
4代目がみちプロにいますが、みちプロから分かれた大阪プロレスにも“タイガースマスク”なるマスクマンがいますね。背番号31の'80年代タイガース風のリングコスチュームで。(笑)
その警鐘は見事に当たりましたね。
技がハデになっていきましたし・・・・
今となては永源とラッシャー木村のかけあい懐かしいですよね。
>アミーゴ今野様
そうですね。
三沢が亡くなってますから・・・・
個人的に三沢まででした。
>吉法師様
そうですね、藤原喜明との試合も凄かったです。 小林邦明や寺西勇は覚えてますが・・・・
さすがに背番号31で80年代タイガースのリングコスチュームは引きますね。
http://www.youtube.com/watch?v=vcqN6DTPvlQ&NR=1
不覚初めて見た
馬場=赤というイメージですからね。
まぁ日本プロレス時代は赤以外も着用してましたけど、全日になってからは赤ばかりでしたので。
活動期間は短くてもインパクトが強い活躍でしたからね。
当時のレスラーには個性がありましたからね。
そうそう藤波の飛竜10番勝負というのもありましたよ。