今日の新聞の地方版を見ていたら今年度の福岡県文化功労賞受賞者に中学
時代の恩師・花村利彦先生が顔入りで載っていて驚いた。
中学の社会科の先生で2年まで習っていたし1年の時の担任で3年の時に転任
となり私が帰郷した頃は石炭記念館の館長を勤めていたりして市政だよりには
地元の歴史についてのコラムも執筆していた。
‘田川地区全体の郷土研究について幅広く活動し、田川地区の郷土研究の第一
人者’というのが受賞理由だから、凄い事だと思う。
というわけで昼過ぎに自宅に お祝いの電話したところ妙に他人行儀な物言いで
敬語を使われ妙にこそばゆい感じだった。
現在81歳らしいので写真を見ても老けたなと思ったと同時に私らを受け持って
いた時が ちょうど私の年代の40代後半だったわけで、長身で夏でもスーツを
着ていたというのが印象に残っているしゆったりした物言いが特徴だった。
それにしても私が先生の授業を受けていた時は けっこう怒られまくり、特に前期
に男子生徒の策略で学級委員にさせられたものの自習時間に先頭に立ってサボっ
ていたのだから当然だ。
年に何度かぎっくり腰になっていたのだが、最初の時にはホームルームに来ない
ので今日は休みだと思って騒いでいたら女子生徒が職員室に行った後に呼び出し
を受けて行ってみると職員室のイスの背もたれを支えにして いかにも辛そうにして
いた。
そして私の姿を見ると‘オレが動けんのやから学級委員のオマエが みんなを
統率せんといかんのにオマエが先頭に立って遊んで どげんするとか’と怒られ蹴
りを入れられた後に‘あいたたた・・・’と言う始末。
それでも現実社会を分かっていたので中1の時に起きたロッキード事件で悪人
扱いされていた児玉誉士夫に 引っかけて気に食わないヤツを‘オマエは児玉か’
などと言うのが流行っていた。
それを嫌がった生徒が先生に その旨を告げると‘児玉誉士夫と言われるとは
オマエ凄いやないか、あれは大物で総理大臣より偉いんぞ’とみんなに聞こえる
ように言うと不思議な事にそれ以降は‘児玉’呼ばわりが止んだのだ。
小学校時代の女の先生なら‘そんな事を言ってはいけません’になるのだろが、
反対に‘児玉誉士夫のような大物になれ’と言った方が特に中学生には効果的
だったのだ。
そういう意味では凄いと今でも思う。
花村先生、本当におめでとうございます。