大場政夫-花形進の宿命の対決から40年

 今から40年前の昨日72年3月4日に行われたのがWBAフライ級タイトル
マッチの大場政夫-花形進戦である。


 前年の10月に1位のフェルナンド・カバネラに大差の判定勝ちして小林弘・
西城正三・沼田義明といった世界王者陥落の雪崩現象を止めた大場が3度目の
防衛戦の相手として選んだのが花形で、3年半前に両者は対戦し大場は僅差の
判定負けを喫していた。


 花形は大場に勝った半年後に日本王者になるとロスでWBCフライ級王者の
アラクラン・トーレスにノンタイトルで判定勝ちするなど一気に世界に近づいた
ものの5ヵ月後のタイトルマッチでは判定負けし、5連勝した後にエルビト・
サラバリアに挑戦するが またしても判定負けと世界に届かず。


 いずれもメキシコとフィリピンと敵地に乗り込んでの挑戦だっただけに大場への
挑戦は日本で行われるし、しかも1度勝った相手との再戦だけに花形にも期する
ものがあっただろう。


 ただ花形が試合前にカゼを引いてコンディションを崩していたのが大いに残念
で、試合は大場の圧勝ではないかという予想が大半を占めた。


  ところが1Rに花形の左フックで大場をがグラつくという意外な立ち上がりを
見せ、出入りの激しいスタイルで大場を押し込む。


 それでも3Rぐらいから大場もペースアップし距離を取りながら飛びかかるように
打ち込む花形をジャブとショートフックで迎え撃ち、更に的確なワン・ツーでポイン
トをピックアップして行く。


 試合前のカゼと序盤のハイペースでスタミナが心配された花形だったが終盤も
一進一退の攻防で両者一歩も引かずに打ち合って試合は判定となり、2-0の
僅差で大場が判定勝ちを収め3度目の防衛に成功したのだった。


 あれから40年経ち、90年代以降は日本人同士の世界戦が珍しくない時代に
なったが最初の沼田義明-小林弘戦と大場-花形戦を除くと世界戦レベルに
相応しい白熱の試合となったのは薬師寺保栄-辰吉丈一郎戦を含めて数える
ほどしかないのが実状だ。

 やはり世界戦での日本人対決は指名試合か団体の統一戦以外では安易に
行うべきではないと考える。

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