宮地神仙道

「邪しき道に惑うなく わが墾道を直登双手
または 水位先生の御膝にかけて祈り奉れ。つとめよや。」(清水宗徳)

(ハア?な五郎の ハア?な五郎による ハア?な五郎の冊子)

2011年07月29日 | Weblog

 

 

 

■■■「神仙道統の虚構」のゴミ冊子を書いた宮道東汚=天行居信者の五郎は、
自分が神仙道の本部に属していたという事を、必死に隠そうとしている。
もし宮道東汚=天行居信者の五郎でなければ、「神仙道の本」に関して
マギーさん個人にあれほど噛みつく理由もないのである。■■■

 


(ゴミ冊子 18ページ)

 


■■■そして、もし宮道東汚が神仙道本部と関わっておらず、
しかも「道統論は虚構」と主張し、
まゆ子も「関わりたくない」なら、どうやって御晩年の清水先生の通信記録を閲覧したり、
会員の数を把握できるのだろうか。

しかも「両宮地家から絶縁されていた」のだから、清水先生の通信記録を閲覧したと言うのは、
宮地家の人間ではあり得ない事になる。

つまり、宮道東汚=天行居信者の五郎は、宮道の通名を使っても宮地家の人間ではなく、
宮地の神宝を不当に私腹している人間である。■■■

 

★★★そして「本部全体の活動」と書きながら、「晩年では70名ほど、分派を入れても160名ほど」と
書き、故意に神仙道本部の規模を矮小させている。
神仙道誌を見れば、清水先生は神仙道の発行以外にも神祭や伝法などを行われ、
多忙を極められていた事が明らかである。

しかもこのキムチ臭い冊子では、清水先生の御病気や清貧について、意図的に全て省かれている。

帰幽された方や離れた人も含めて、入門者は全部で1000人だった。★★★


■■■しかも、「晩年に個別面談を行っていた」と書いているが、
個別面談や面会は神仙道誌にも書かれているように、道士会開設当初から行われていた。


よしおの怪文書「声明書」に、「清水氏が個人面談を厭っていた」と虚偽を書いていた部分に
便乗しようとして、宮道東汚=天行居信者の五郎、再び自爆である。■■■

 

 

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「大陸の仏教呪(続)」

2011年07月29日 | Weblog

 


【十一面観音心呪】

一切の病や不吉や魔鬼を除き、一切の願望を遂げることができ、
魔障や毒などにおかされる事もなく、一切の諸仏を称え、
随喜を得ることが出来る功徳がある。


「敬礼三宝 (けいれいさんぽう)。
敬礼聖智海遍照庄厳王如来 (けいれいせいちへんじょうしょうごんおうにょらい)。
敬礼一切如来応正等覚 (けいれいいっさいにょらいおうしょうとうかく)。
敬礼聖観自在菩薩摩訶薩大悲者 (けいれいせいかんじざいぼさつまかさつだいひしゃ)。

タデャト オン ダラダラ ディリ ディリ ドゥル ドゥル
イッテ ワッテ カレ プラカレ プラカレ
クスメ クスメワレ イリ ミリ シリシチ
ジョランアパナヤ スッダ サットワ
マホコルニカ スワホー。」

 

【釈迦牟尼涅槃前呪】

この呪は様々な功徳があるが、至心に読誦しているうちに
不思議な力が発揮されるとされる。

「アモリ ピモリ ニエモ リメンジャリ
シモラー ルオジェバイサンマンナバチリ
スオーポラー ター スオー タン ニ 
ポルオモター スオータンニ
モナ シー アー ブチピラーシ
アーン モライチ ポランミ ポランモ
スオリフラーニフナ モヌライチ。」

 


【阿しゅく如来滅定業眞言】

「ナモ バギャバテ アクソブヤーヤ タターガターヤ
アルハテ サンミャク サンブッダヤ
タドヤター オン ガガニ ガガニ ロカニ ロカニ
トルタニ トルタニ トラータニ トラータニ 
プラチハタニ プラチハタニ サルバ カルマン
パラム パラヤ アクソブタ ビツド スバーハー。」

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