宝石ざくざく◇ほらあなJournal3

ロシア語をはじめ、外国語学習に関するあれこれを書いておりましたが、最近は…?

パチンコ

2021年04月10日 | 
『パチンコ』(ミン・ジン・リー 池田真紀子(訳)文藝春秋)を読む。
アメリカでベストセラーというのをどこかで見て書名は記憶してたのだけど、たまたま去年の雑誌『文藝春秋』をチラ見したら著者のミン・ジン・リー氏と作家の村田沙耶香氏との対談が載っていて、にわかに読みたくなったのであった。
図書館でまず上巻だけ借りて来たのだけど、巻を置く能わざるおもしろさで、続けてすぐに下巻を借りに走った。絵や写真を言葉でなぞるのではなくて、言葉から「本当」の情景や感情を紡ぎだしている。本当の本当は分からないけど、著者は間違いがないよう誠実に取材を重ねていると思うし、視点に偏りがなくて信頼できる。

在日コリアンの物語、と書くだけで、なんだかいろいろ面倒くさい感情を読む人に引き起こすのだろうなと思うと、ブログを書くのもためらわれるが、とにかく、私はこの小説を読んで初めて、在日コリアンの人たちの生きづらさがいろいろ腑に落ちたように思う。自分がそれぞれの登場人物のようにその時代に生まれついたら、そして逆に、自分が当時の日本人だったら、朝鮮半島から移り住んできた人にどんな感情を持ったかということが、ありありと我が事として感じられた。小説の力ってすごい。

著者がこの小説の着想を得たのは1989年のことだそうだが、実は私が在日コリアンの問題を初めて意識したのもその頃だったように思う。
関西の学校だったからか「同和問題」が一般科目の必修になっていて、そこで「在日」も扱われていたのだったか。しかし、それまで田舎でみんな同じような感じと思って育ってきたので、今一つ問題の根っこが分からなかった。
在日三世の人のエッセイを読んだ記憶もあるけど、それは「在日の特殊性ばかり言われるけど、自分は普通に暮らしていますよ」という内容だったと思う。
小説家とか映画監督とかの活躍も目立っていたから、むしろアイデンティティをはっきりと押し出せてうらやましいとすら思っていたような気がする。
日本生まれで日本がいいと思えば帰化すればいいのにねとわりと簡単に思ってもいたような。

直接の知り合いもいなかったし、在日コリアンおよび朝鮮半島について、偽善でもなんでもなく差別意識は全くなかったと思う。無知で世間知らずともいえるし、よく言えば無邪気だった。
なので、ネット社会になり、「世間」の空気を知るようになり、かなり驚いた。
親切なつもりで書かれたのであろう懇切丁寧な説明を読んだりもして、影響を受けたりもした。
どういうふうに考えて、どういうふうに接していけばいいのか分からなくなって、かつての無邪気な自分が懐かしくなったりもした。

ま、でもネットで関心を持ってそういう記事を読んだりする方は、ぜひとも『パチンコ』一読をお勧めする。

本題とはやや外れて印象に残ったのは、早稲田大学に入ったノアが世界文学を心の友としていたこと。
私、一応外国文学を専攻していたのに、まるっきり未読なものが多いことがコンプレックスなのであった・・・今からでもぼちぼち読み進めたいものだ・・・