ビビッド能里子トーク・サロン

医学的にも珍しい満十年の認知症介護について。自己分析や気分転換、幸せを感じる心の癖の付け方、メチャ料理など楽しく書きます

ヨーガと私(6)

2020-12-10 07:23:05 | エッセー

 初めててインドへ行ったのは、多分その頃だと思うが、催眠法とヨーガ教室を

経営している先生が企画したヨーガ研修旅行だった。でも、実際はヨーガの研修

はあまりなく観光旅行でガッカリした。その時代のインドは私にはあまりに衝撃的

で「もう絶対行きたくない」と思った。何年か過ぎてその頃から「ヨーガ指導者

として、これは瞑想だと思える経験をしていない」と、座禅、その他の精神療法

を色々学んだが、どうしても体験できずに悩んでいた。

 それから私のインド通いが始まったが、短い期間のためもあるが何度インドで

修行しても「瞑想状態」を得られなく、とても悩み焦っていた。

 そんな時「インドの聖地リシケシで1週間宿泊し修行する」ツアーがあり

私は喜んで参加した。多分インドへは6回目だったが、リシケシの有名な

「シバナンダアシュラム」へ宿泊することになっていた。

 ところが、雨の降る寒い門前で4時間も待たされが、結局宿泊できず、近くの

「ツーリストバンガロー」に泊まった。そこから早朝暗い内に起き、徒歩30分

ほどの「シバナンダアシュラム」へ通い修行をすることになった。

 まだ暗い早朝は星が降るように美しかったが、とても寒かった。

懐中電灯をつけて、所々に落ちている牛の糞を踏まないように、注意して歩いた。

 アシュラムは薄暗く宗教的な感じで、マントラ、アーサナ、呼吸法はあった

が、私が最も求めていた瞑想はなかった。

 あっと言う間に日が過ぎて、私は「何のためにリシケシに来たのだろう?」と

悲しくてならなかった。指導者ばかりのツアーだったが、その中に二人参加の

女性達と仲良くなり、その方達も自分の求めたものが得られないと、そのもど

かしさが共通だった。色々話し合い残りの観光旅行をパスして、どこかのアシュラム

の門を叩いて修行し、帰りのデリー空港で落ち合うことに決めた。

そこで門を叩いたのが「ヨーガニケタンアシュラム」で、二人は英語が流暢なので

そこでリシケシに来た経緯など詳しく話し、自分達が求めている気持ちを訴えた。

 すると、そこで1週間修行できることが決まり、私達3人は抱き合って喜んだ。

コメント
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