遊歩道には大きな柿の木があり、実がたわわになっていた。
鳥がいないためか、いつまでも実が鈴なりになって、もう随分長い期間
同じような状態だった。今日歩いたら、まだ実がたくさん残っていたけれど、完熟した実は落ちて道路に広がっていた。その無残な柿を見たら、何とも
哀れな気がしてしばし眺めた。きっと命が尽きて落ちたなのだ。
また来年は見事に稔るだろうが、動物とは違う意味で「死」を感じた。
同じように感じたかは分からないが、立ち止まって落ちた柿をじっと
見ている男性もいた。私もそう長い命ではないが、道路に落ちた柿のような
無残な姿にはなりたくない。まして心身両面の指導者「エイジポジティブ
研究家」と偉そうに名乗っている私。年下の友人達は、私をロールモデルに
しているようだ。やっぱり「自分磨きは生きている限り続けよう」と、改めて
思った昼下がりだった。