富士山山開きの直後にネパールから連絡がありました。
私のブログを以前から読んでいる方はご存知かもしれませんが、
10年以上前から交流しているネパールでストリートチルドレンを柔道等を
通して支援しているダルマ先生が、柔道の審判講習で6月中旬から来日します。
色々と話して、その流れで富士山も一緒に登ることになりました笑
今年の山開きの富士登山は、ちょっと色々な風が吹いてきましたよ!
「富士山に初めて登ったのはいつですか?」と質問を頂いたので、
ちょっと物語風にお答えしています。
16年前の話です。
柔道とバイトと大学の授業に明け暮れて、まだ真面目な青年だった頃です。
日曜に試合があり、珍しく月曜と火曜が部活が休みになりました。
月曜の午後に講義に出ながら、ボーっと外を眺めていると、外から声が聞こえてきました。
「今から24時間自由だよ。日本一の山、富士山行っちゃいなよ。」
登山などしたこともないのに、どこからか聞こえました。
調べてみると、夜に新宿から富士山5合目にバスが出ていることが分かりました。
手持ちのお金は1万円ちょい。
往復のバスと電車賃で約6000円なので、残りのお金で雨合羽と懐中電灯を購入して、
期待に胸を膨らませながら冒険へと旅立ちました。
ほぼ外国人しかいないバス車内、行ってみて気付くどこが登り口なのかも分からず立ち往生からのスタート。
登山未経験の私が選ばれた、初めての「富士山」では、
想像し得ない出会いと体験が待っていました。(山頂でのプロポーズや世界を旅する冒険家との出会い)
その時の体験は、道徳授業の教材用に自分でまとめたので記載しますね。
(長いからお時間のある方は読んでみてくださいね。誤字・脱字はご愛嬌で^ ^)
山開き富士登山ですが定員に達しましたが、トレーナーにサポートを依頼したので3名追加です。
ご興味のある方は、バス等の予約もあるためお早めにお申し込みください。
富士山で人生が変わるかもしれないし、変わらないかもしれない。
ただ、私は登ったおかげで人生が変わりました。以上。
6月30日(土)~7月1日(日)山開き富士登山2018(五合目スタート、山小屋1泊)
詳細→
https://blog.goo.ne.jp/weed_soul5669/e/a9d93c37226880ca6c7c86fd50168330
申込→
https://ssl.form-mailer.jp/fms/48d2a7e5570087
以下、ご興味のある方用の山口作成の道徳授業
「非日常を求めて」
私が、富士山に登ろうかと思ったのは何か日本一のことに挑戦(ちょうせん)してみたいと考えたからです。
私は別に山登りが趣味(しゅみ)というわけではありません。
なのに、日本一に挑戦しようと思ったときに富士山が浮かび、そして富士山が私を呼んでいるような気が知ったので、
登ろうと決心しました。このチャレンジを、私は2002年7月8日に決行しました。
準備したもの
○懐中(かいちゅう)電灯(でんとう)
○雨具
○トレーナー、 ナイロンジャケット2着
○おにぎり
○水1,5リットル
○チョコレート、
○ビニール袋、タオル
私は、ジーンズに運動くつで登りましたが、この運動くつは後に後悔することになりました。
やはり、富士山に登るならば登山くつが一番だと思いました。
また、電池も多めに持っていったほうがいいと思います。
とちゅう、電池が切れてしまったので、私は山小屋で、4本1000円で買うことになりました。
後、富士山には水道はないので飲料水(いんりょうすい)はもっていくべきだと思います。
冒険(ぼうけん)の流れ
17:30 南与野のアパートを出発。
19:50 新宿発 富士五合目(ごごうめ)行きのバスに乗る。(片道2600円)
22:10 富士5合目に着く。
22:30 登山開始。
3:30 富士山頂(さんちょう)に着く。
4:25 ご来光(朝日)を見る。
5:00 富士山の山頂を一周する。
6:00 下山開始。
8:20 5合目に着く。
11:00 新宿行きのバスに乗る。
13:10 新宿に着く。
14:30 アパートに帰る。
① 19:00に新宿バスターミナルに着き、きたいと不安をむねにバスのチケットを買いました。
② 19:40にバスが来て、乗り込み指定(してい)の席に行きました。2,3分後に外国人たちが乗ってきて、私と外国人8名でここは外国じゃないのかという気持ちになりました。最後に日本人の2人組のおじさんたちが乗り40名乗りのバスを11名というぜいたくな車内でした。体力をたくわえるため眠りにつきました。
③ 22:10富士5合目にと着きました。おりると思ったより寒く持ってきた服を着ました。しかし、真っ暗でどこから登っていいのか分からずに悩みました。周りの外国人も私に英語で登ったことはあるかと聞くが、私は慌(あわ)てて、初めてと英語で言い返しました。日本人2人組のおじさんとおじいちゃんがけいけん者だというので彼らを先頭に、私と一人できたアイルランド人のサムと
ドイツの学生6人(男3人、女3人)と一緒に登山を開始しました。
④ 最初はいきなり下り坂でしたが、少し歩くとちゃんと坂になっていました。30分くらいたつと、2人組のおじさんたちがおくれだし、ベテランの彼らはゆっくり登るというので、私と外国人7名は先に登りました。1人できたサムは山登りの経験(けいけん)はあるらしく、きちんと懐中(かいちゅう)電灯(でんとう)などを持ってきていました。しかし、ドイツ人グループは懐中電灯を持ってきていなかったので、2つあった私のものを貸しました。彼らはもし、ほかに誰もいなかったらこの暗やみをどうやって登っていったのだろうと思いました。夜の富士山は明かりもなく本当に真っ暗です。途中の休けい所などでは、お互いに持ってきたお菓子を食べあいました。彼らは、私にバナナやアーモンド、パイナップルなどをくれました。私の下手な英語で話をしていくと、ドイツ人の6人組は2週間前に日本に旅行(りょこう)にきて、女性たちは、運動はしてないが、男性たちはスキーの選手ということでした。他にも、ドイツの国の話や、日本の好きな食べ物など私もできるかぎりの英語を使って話しました。彼らは明日の午後には(下山したら)オーストラリアに向かうと
言っていました。なんともハードなスケジュールだと思いました。
男性たちはまさにナイスガイで、女性たちは明るく優(やさ)しかったです。サムの方は、33才で昔はラグビーをやっていたと話してくれました。スポーツの話では私が、週6回の午後の練習(れんしゅう)と週3回の朝練をしていると話したら驚いていました。アイルランドでラグビーをやっていたときは週に1回しか練習をしないと言っていました。日本は様々なスポーツで練習をやりすぎていると思いました。サムと私は、スポーツは楽しむものという意見にお互いがさんせいしました。また彼は、今は東京で英会話の先生をしていて、時間があると世界を旅していて色々な山に登った経験があると話しました。他にもスキューバダイビングのライセンスを持っていて、筋肉(きんにく)もすごく、
まさに野生児(やせいじ)という感じのする人でした。山腹(さんぷく)からの夜景は、本当にきれいでした。写真をとりましたが真っ黒だったのは、残念でした。
⑤ 登っても、登っても山頂に着かない山道に体力に自信のある私は少し疲れました。しかも、私たちはあまり休けいを取らずに登っていったので、外国人の体力はすごいと思うとともに、私の自信のあった体力が情けなく感じました。上に登るにつれて、ゴツゴツしている岩場などあり、ちょっと険(けわ)しいところもあり私の想像(そうぞう)以上でした。私が手をついて登る岩場もサムは携帯電話を片手にすいすい登ったときはおどろきました。なんとか3時間かけて8合目まで着きました。その山小屋では私と同じくらいの年の学生が働いていて、2ヶ月間下山しないで働くと言っていました。登ってきた外国人と上手に英語を話すのを見て私は負けたと思いました。日本の約6年の英語の勉強はテストのためだけになっていたのではないかと感じました。私は、7年近く英語を勉強したのに、あまり話せない自分に腹が立ちました。山小屋の人に聞くと山頂まで後2時間はかかると言いました。そんなにあるのという気持ちをおさえ、気を取り直して歩き出しました。
⑥ 残り800mとなるがその勾配(こうばい)もきつくなり、私の体力もどんどんうばわれていきました。みんなほとんど話さなくなりました。私は、息をするのが辛くなり、心臓がおどろくほど速くなりました。そして、頭が痛くなり、今にでも倒れこみたい気持ちでいっぱいでしたが、気合と根性(こんじょう)でほとんど休むことなく登りました。もう、ほとんど限界に近づき、だめだと思ったその瞬間(しゅんかん)、目の前の坂は消えました。頂上に着いたのです。私は、サムやドイツ人たちと握手(あくしゅ)をした後、頂上の休けい所の前に座り込みほとんど動くことができませんでした。20分ほど休むと休けい所の戸が開き、店が営業しました。寒さでふるえていた私は、すぐに店の中に入りました。店の人は外の気温は
3℃で体感(たいかん)温度(おんど)はマイナスだよと言っていました。私は持ってきたおにぎりを食べようとしましたが、胃(い)が受けつけずに吐きそうになりました。
⑦ 4時を少しすぎると、空がだんだんと明るくなり始めました。雲が下にありました。私は雲の上の世界にいるのだという思いがこみあげてきました。そして、太陽が顔を出すと、私の頭痛(ずつう)はふっとびました。私は夢の中にいるような不思議な感覚(かんかく)になり、その場所に同化してしまったような気分になりました。ぼうぜんと朝日を見ました。
私たちはお互いに写真をとりあいました。その時、頂上にいた1組の外国人の男性がいきなりポケットから箱を取り出し、中から指輪(ゆびわ)を出してプロポーズをしていました。女性は世界で一番幸せな顔になり、喜びの涙を流しその指輪をしました。私は、その姿に感動して、幸せな気分になりました。私たち8人は、見守った後、拍手で彼らの未来を祝いました。
⑧ 頂上の休けい所でドイツ人たちは休むと言うので、私とサムは2人で、頂上を1周することにしました。内側は火口、外側はがけとちょっと危険でしたが、その景色は最高にすごかったです。
私は日本一の高さから日本を見ることができて感激(かんげき)しました。雲の上の世界を楽しむことができました。
⑨ ドイツ人たちは後でゆっくりおりるというので、午後から仕事のあるサムと夕方からバイトのある私は、下の5合目のバス停で体力を回復させようという話になり、すぐに下山をしました。永遠と続く砂利(じゃり)の下り坂をどんどんおりていきました。サムは長年の経験で歩くのが上手でした。私はついていくのが精一杯(せいいっぱい)。普段から鍛(きた)えてある私の足も悲鳴(ひめい)をあげ、ひざがガクガクとふるえて痛かったです。何回も転びながらおりていきました。残り500mで5合目に着こうとするところは木々もあり、鳥の鳴き声も聞こえました。その時サムは私にストップと言い、こう言いました。
No people No building No traffic.
Bird is free.
私はその言葉を聞いたとき、なにか自然の本来の姿を感じたような気がしました。本来、生物とは自由であるのに、私たち人間は、自分たちのために木を切り、建物(たてもの)を立て、自然を減少(げんしょう)させてきました。しかし、サムの言葉と鳥の声を聞いたとき、そこには自然があり、自由がありました。私は、生物と共に生きることができる社会にしたいと考えました。
そして、無事に5合目にたどり着き、おみやげ屋の横で体を休め
この冒険が終わりになるのをさびしく思いながら、バスを待ちました。11:00にバスが来て、私はそれに乗り、日常に戻っていきました。
終わりに 私は、日本一の山に登ってみようと心に決め、実際(じっさい)に登ることができて本当によかったと思います。途中(とちゅう)、苦しくなることもありましたが、頂上からの朝日がそれを忘れさせてくれました。私はこの冒険を終え、いつでも夢や目標を追い求め、自然を大切にして、自分をいつでも高められるように努力を続けられるような人になりたいと思いました。この経験は私にとってすばらしいものとなりました。 山口 敬志
長文お読みいただきありがとうございます!
あれからもう20回以上の登山・・・
まさかこんな人生を歩むとは笑
人生ってどうなるか本当に分からないものですね。