人生修行の旅

「笑って、野垂れ死ぬ!!」
そのために、この人生をどう生きて、この命を何に使うか?人生一度きりの生き方を実験中!!

ネパールの会

2024年09月23日 | ネパール
勝どきにあるネパール人の青年が料理長を務める明るい雰囲気の居酒屋にてネパールの会がしっぽり開催されるというので参加させていただきました。

前に座ったのは浅見明子さん。

7年前に近所の公共の集会室にて開かれたボッチャ報告会に私がボーっと参加していると、「あの人に話しかけなさい!!!」と天の声が聞こえました。

素直に話しかけ挨拶をすると、
私の名刺に書かれた都内の住所を見て、
「私、この住所で働いてました!!!」
と当時借りていたテナントの前に活用されていた方でした。

話すとそれ以外にも、
○私と同じ栃木県出身で柔道をしていた(2学年下)
○浅見さんの親しい後輩が私の弟の親友であり、甥っ子の部活動の顧問
○これからネパールへ行く(JICA)
などの共通点があり、不思議なご縁でした。

そんな浅見さんは年中無体で動き続けており、私からみてもおかしいでしょ!?というくらいに、トレーナーの仕事をしながら、ボート、アイスホッケー、ドラゴンボート、船頭、ダンス、ボッチャ、ネパール、各種ボランティア、と日々動き回っています笑

そして浅見さんの横には、ネパールのそこそこの高さの山(4000m〜6000m)をトレッキングし続けている愛知からやってこられた村上愛さん。(某大手スポーツクラブのマネージャーを務めた経験を持ち、現在はパーソナルトレーナーとして活躍中!)

「山で眠くならない時は眠らなきゃいいんですよー!」

「3日くらい寝なくても大丈夫ですよー!」

「体内の血中酸素濃度が下がったらその場で足踏みを続けてればまた上がりますよ!」

過酷を過酷と思わない頭のネジが何本か外れている発言を終始笑顔で楽しそうに話す愛さんと、おかしな話しにうんっ、うんっ、うなずくお姉さま方。

集まった方々は、70代にしてバックパッカーとなりネパールを旅したり、動き続けていた方が元気と常に仕事と趣味とボランティア等のライフバランスをとり活動していたり、と本当に皆さん元気!!




(人生色々あるけれど)やりたい事や自分にできることを一生懸命やって生きている方々のエネルギーは何かが違うとネパールの会の覇気に圧倒されたゴールド・マン。。。

まだまだ修行が足りないことを痛感したようです。。。

余談ですが、今回のお店の料理長になった青年は元ストリートチルドレン。

(なんだかんだで長いお付き合いなので)来日してから映画のような話が色々ありましたが、現在は人情味溢れた社長の下で人の優しさと働く意義を感じ誠心誠意頑張って働いています^ ^




焼き鳥や各種創作料理とお酒が美味しい勝どきのフレンドリーなお店はこちら!

GOKiGEN
〒104-0054 東京都中央区勝どき4丁目10−8 カンナ荘 1F





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新たなステージへ

2024年07月08日 | ネパール
昨年スポーツ中の事故により頚椎を損傷したネパール人女性ヨソダさん。

4月中旬にお姉さんやコーチと共に来日して、頚椎損傷専門のジムに通いトレーニングに汗を流してきました。




過去に何回か投稿して、クラウドファンディングのご協力や心を寄せてくださった方々ありがとうございました🙏

職場から御一行のホームステイ先が近いこともあり、夜な夜な訪ねては夕飯をご馳走になったり、ラグビーのタックルをしてもらったりと交流を深めてきました。




聞けば聞くほど様々な方々の温かい気持ちで成り立っている今回のプロジェクト!!

知っているほんの一部ですが、

クラファン用動画作成からアテンドまで全てを担った方、
トレーニング指導から心のケアまでサポートされた方、
ボッチャを教えてくれた方、
住居を快くサポートしてくれた方、
移動の際にドライバーをしてくれた方、
近所に住む色々と差し入れしてくださった方、
その他多数、、、






昨日、最後に会えそうなタイミングとジムに伺うとまさかの不在。。。

待っていると現れたブラッドピットみたいな男性。その方もまたネパール御一行に会いに来られたそう。

これも何かのご縁とイスに座って約30分ほど話すと、御一行のラグビー先生であり、サポートするために2日前に来日され、来週一緒に戻るようです。
(ラグビー選手でもあり登山家でもあり7000m弱の山にも登るそうです!幸運にもネパール御一行と対面することができました^ ^)

必要な時に必要な人が現れるというのを肌で感じました。

約3ヶ月間に渡る日本の生活でたくさんの優しさに触れたようです。これからも紆余曲折あると思いますが、前へ突き進んでいけば、何かしらの道が開いていくことと思っています^ ^

ダンニャバード!
フェリベトゥンラ!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ネパールで頚椎損傷

2024年05月03日 | ネパール
昨年の夏、スポーツ中(ラグビー)のアクシデントにより怪我をしたネパール人女性ヨソダさん。

頚椎損傷になり生活状況は一変しました。
(首から下はほとんど動かない。)

日本と違い各種サポート等はないようで、お姉さんが仕事を辞めて24時間介護。

様々なご縁と流れから2週間前に来日して頚椎損傷専門のトレーニングジムJ-Workoutさんにてリハビリ中と聞き訪問してきました。

ジムのトレーナーさん達がヨソダさんに寄り添い、時に鼓舞し、共に身体の感覚を取り戻そうと様々なアプローチでサポートされています。
(私もトレーナーの端くれとして勉強になります)







このジムで働く一人のトレーナー(浅見明子)は、以前に青年海外協力隊でネパールへ行かれた経験もあり、ネパール語もダンスもお手のもの!?

異国の地にやってきたヨソダさん、お姉さん、コーチのシャービーさんたち御一行を持ち前の底抜けの明るさで心身ともにケアされていました。(浅見さんの働いている姿を見たのが初めてでちゃんと働いているんだと感動!)

ヨソダさんの懸命なリハビリトレーニングが終わり、一息ついたところに現れたのはゴールド・マン!!



ここからがトレーニングの始まりですよ!!

チームネパールvs惑星ゴールドで
Let's gold!!

1.プルダウンvsチェストプレス

2.ネパールダンス



勝った負けたはブラックホール!
(よく分からないからどっちでもいいの意味)

コーチのシャービーさんにも熱が飛び金して、ヨソダさんのお姉さんを背負ってスクワット!

トレーニングして、
ブルブルマシンでリラックスして、
太陽の光を浴びて、

今できる最善を尽くし、
やることをコツコツやっているヨソダさん御一行と周りで支える人々。







現在、クラウドファンディングもしていますので、ご興味がある方は下記をご覧ください🙏


ヨソダさん動画




クラウドファンディング

『一緒に一歩を』ネパール女子ラグビー選手を、日本のリハビリ施設へ

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

おかげ様の心を持つネパール人が起こした小さな奇跡

2023年08月19日 | ネパール
ネパールで様々な支援活動を行う古屋祐輔さんから紹介されたペンバさんは、柔道の畳を送るなどして交流が続くエベレストの麓にあるモンジョ村(2850m)出身。現在は栃木県で歯科衛生士の専門学校に通う20代女性です。

ペンバさんが通ったモンジョ村の小学校を建てた日本人(島崎四郎さん 95歳 石川県)に会いたいと相談を受け、2か月前にオンラインで対面しました。

その時の投稿

そして日本のお盆休みを活用して、ペンバさんは栃木県から石川県へ行き、実際にお会いしたようです。

ペンバさんは会う日程が決まってから、モンジョ村の小学校の会長や先生たちとオンラインでお話しされ、ペンバさんが島崎さんに辿り着いたことに村人含めて歓喜しました。

そして島崎さんが学校を建設してから22年後の2023年にモンジョ村からの感謝状が届き、思わぬ出逢いと感謝に喜びの輪が広がりました。








おかげ様の心を忘れずに、行動を続けたネパール人が起こした小さな奇跡。

私も関われたことを嬉しく思っています^ ^
ダンニャバード🙏

北國新聞記事

ペンバさんが書かれたFB記事

島崎四郎さんの息子(克宏さん)が書かれたブログ

95歳の奇跡!(その1)

95歳の奇跡!(その2)

95歳の奇跡!(最終回)

95歳の奇跡!(続編)

PS ペンバさんが石川県からの帰り道、タイミングが合い大宮駅で会いました。歯科衛生士としての将来のビジョンやネパールと日本を繋ぐ社会貢献活動への想いなど話してくれました。私はペンバさんは自分の使命や役割を分かっている気がしました。

そして同タイミングで大宮にて開催されていた40代現役柔道家の集い。。。
これも何かのご縁ということで、そちらにも顔を出しましたが、覇気を持つ柔道家たちにも負けず劣らず会話を返していたペンバさん。

柔道やった方がいいよ!!と勧誘されてました笑




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あなたのおかげで勉強ができ今があります。

2023年06月05日 | ネパール
エベレストの麓(約2850m)にあるモンジョ村で生まれ育ったネパール人女性ペンパさん。

現在は日本の大学を卒業し、歯科衛生士になるために栃木で専門学校に通っています。

ペンバさんが9歳まで学んだ村の学校を建てたのは日本人の方だと知り、いつか直接御礼を言いたいと思っていたそうです。

ネパールで様々な支援活動をする古屋祐輔さんを知り、そこから私を紹介し、ペンバさんの学校を建てた日本人の方に連絡を取りました。

その日本人は石川県に住む島崎さん、御年95歳です。普段は電話と手紙のやり取りでしたが、今回の話しで息子さんが手伝い、LINEが加えられネパール、石川、栃木を繋いで初対面。




島崎さんの25年前のモンジョ村の学校建設話しを聞いて、涙が止まらないペンバさん。

まだクラウドファンディング等がないその時代に、島崎さんが中心となり、みんなの力で建て、いい循環になるようにと考えて色々なアクションをしたそうです。

「モンジョ村に生まれて、学校のない場所に学校を作ってくれてありがとうございました。学校があることで勉強ができました。学校があることで親と一緒に暮らすことができました。そして今の私があります。」

と涙ながらに感謝を伝えるペンバさん。




私にとっては、学校を誰がどんな想いで作ってくれて、それに想いを馳せて感謝する感覚を持ち合わせていなかったので、横で聴きながら、なんとも言えない気持ちでした。

95歳の島崎さんから、
「一年一年吸収をする。旅をしたり、経験をたくさんすると社会をみる目が豊かになる。他人に対して優しく、自分に対しては厳しく、というのは私の主観だよ。私の想いとして、生涯勉強だと考えて努力してほしい。そして誰かの役に立ち、愉快に楽しい人生を送ってほしい」
とペンバさんにメッセージが送られました。

時代を超えて、繋がった95歳と27歳。

「父は高齢とはいえ認知もなく、足腰もしっかりしており、まだまだ生きると思います。私が先にボケないようにします笑。いつかペンバさんと父が生対面できることを楽しみにしています。」

小さなオンライン対談でしたが、周りの方々もなんだか嬉しくなる時間でした。




繋いでくれた古屋祐輔さん、
石川の島崎さんとそのご家族、
急な訪問も快く対応してくれた栃木の山口家の皆さん、

ご協力ありがとうございました🙏






PS  ペンバさんと私のFBでの共通の友人を見ると1人だけ日本人がいました。
その名は「移動式銭湯 天真」。
前に大分で会いました^ ^と嬉しそう。
まさか日本に来て、移動式銭湯・マンとゴールド・マンとつながるとは、、、
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

町道場の灯と小さな草の根活動

2022年05月07日 | ネパール
「ネパールの場所は分かるかな?」

と先生が訪ねると、

「南米!!」

「アフリカー」

ちょっと質問を変えますね笑

「世界一高い山は?」

「富士山!!」

と元気よく答える子ども達。

「中国とインドの間にある小さな国がネパールです」

栃木にある小さな町道場から

子ども用の柔道着を役立ててほしいという連絡をいただき、

ネパール人柔道家のロハン先生と一瞬に受け取りに行ってきました。

約2時間、一緒に稽古をすると、

「ロハン先生は何が食べ物すき?」
「ネパール語教えてー」
「また練習にきてねー」

と子ども達に囲まれて大人気。

こうした交流で、子ども達も外の世界に興味を持つきっかけになったようです^ ^












先生達が子ども達に熱心に指導をされている様子を見て、私が子どもの頃から変わらぬ町道場の様子にタイムスリップしたような錯覚に陥りました。

私もこうして育っていったんだよなーとしみじみと感じるとともに、小さな草の根活動にも協力してくれるなんて本当に有り難いと改めて思いました。

柔道着を寄付してくださった国分寺柔道会の先生方、

どうもありがとうございました!

帰り道、ロハンくんと色々お話しすると、

新しい職場の上司が、

「何か困っていることはないか?」
「仕事終わったら、よければ銭湯に行こう!」

などと色々と気遣ってくれて、

毎日とても楽しく一生懸命に働けているようです^ ^

また乱取りを横目で見ていましたが、
内股や払い腰、背負い投げ、足技ととてもきれいで、小学生や中学生に丁寧な技を教えたり柔道の楽しさを伝えたりしていました。(私が教わりたいくらい)

昔から変わらない町道場の灯と、

小さな小さな草の根活動、

いつか誰かの何かに繋がりますように🙏
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

まるで違う価値観を聴く

2021年10月07日 | ネパール
約12年前、私にそそのかされてネパールへ行き、その後現地に渡り、様々な国際協力活動をしている古屋祐輔くんが市ヶ谷にあるパーソナルトレーニングスタジオearthを訪ねてきてくれました。

たまたまパーソナルのセッションを受けていた柔道家の方も20分くらいだけでも話を聞いてみたいとご一緒に。

○犬に噛まれたら大変!?
○未来への意識
○死生観
○自殺と誘拐・拉致について
○働く事について
○陸続きの国々同士の国境沿いで起きている事
○エベレストに広がる柔道について
○経験した闇の話

などの内容(ちょっとネット上には公開できない話含めて)をそれぞれが思っている、考えている事を話し合い、思慮を深めていきました。

そもそもが違う(教育や文化や歴史等)ので、まるで違う価値観なのも当たり前だし、何が正しいとか正しくないとかではなく、そういった現実が今目の前に起きていて、それに対して自分はどう考えて、どう生きていくのか、そんな事を自然に考える時間となりました。

クライアントの方も

「若いうちに日本とは違う物差しの考え方があるという事を子ども達にも身をもって体験させたいなあ。前提が違う価値観や考えを知れるのは本当に貴重ですよ。」

とあっという間に3時間が経過してびっくり笑




古屋くんは10月後半にネパールへ帰国する前に講演会があります。(リアル参加、オンライン参加、後日録画配信等あり)

ネパールに住み、現地の人々と同じ目線で生活して、困っている方々の支援活動等を行なってきたリアルなお話しを通して、何かを感じたい方にはオススメです^ ^

*詳細はこちら
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

同志の旅立ち

2021年05月21日 | ネパール

古い同志がちょっと先に旅立った。


2009年に出会って以来、活動を共にした。


直接会うのは数年に一度だけれど、


ネパールで会うと陽気な笑顔でいつも安心させてくれた。


ラテン系のノリで、


いつも明るく、


未来の子ども達のためにと想いを持って生きていたと思う。


私の日本の友人たちも会った人はとてもお世話になっていた。


お子さんが2人いて、まだそれほど大きくない。


まだまだこれからやりたいことや見たかったことなどたくさんあったと思うけど。


想いを紡いで生きますよ。


どうぞヒマラヤの地で安らかに。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

至誠を全うする92歳

2020年08月18日 | ネパール
前に遡りますが、2017年に柔道の畳を届けたエベレスト柔道クラブの道場開きセレモニーに参加しました。







セレモニーも終わりつつある頃に、シェルパ族の方が私を手招きしてある部屋に入れました。

そこには1人の初老の男性の絵が飾ってあり、




「この人がこの小学校(セレモニー会場)を建ててくれた日本人だ。もし会うことができたら御礼を伝えてほしい。ただずいぶん前だし、もういないかもしれないが、、、」

日本に戻り、色々な方法を駆使して調べ、

その方に電話すると、

妻が出て、

怪しまれ、

切られました。。。

詐欺か何かに思われたようです。

確かに!

最初は色々大変でしたが、

石川県のご自宅まで訪ねて、

なんとかシェルパ族からの御礼を

直接会って伝えることができました。

その後も時々メール等のやり取りをしていて、

今年の3月にネパールへ行く予定だった際には支援等を申し出てくれました。(渡航は延期)

メールのやり取りからも

まだまだエネルギッシュに活動しているのが

伝わってきます。

そんな活動が昨日、石川県の北國新聞に掲載されて、

私の名前も出していただきました。

有り難いことです。








人はどんな事でも、

自分にとって役割だなと感じたり、

生きがいを持っていると、

生きる意欲が湧いて充実していくのだなと

交流を通して思います。

今朝、1通のメールが届きました。

「元気で92歳の私を追い上げて!!」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

その後のエピソードと心の灯

2020年01月17日 | ネパール
世界の村で発見!に登場した古屋くんがテレビ後のエピソードを書いてくれています。

想いを持ち、描きたい未来を信じていると様々な奇跡が起きていくのだなと読んでて思いました。

古屋くんは大学の後輩とされてますが、私のフリーター時代、公共の体育館ジムでアルバイトしていた時に、古屋くんのベンチプレスの補助をして出会いました。(記憶は曖昧ですが)

巡り巡ってあれから10数年。こうやって日本やネパールにまで広がった出会いやご縁に感謝ですね^_^

ちょっと余談ですが、テレビの出たモンジョ村にある小学校は、これまたうん十年前に日本人がサポートして建てたものでした。

シェルパ族の方々(現地に住む人々)に、もし日本に帰ってからミスター島崎に会うことがあったら御礼を伝えてと言われました。

3年前になんとか探し当て、会いに行き仲良くなったのが島崎のじっちゃんで年齢は90代。

ビールを飲みながら色々とお話しをしてくれて一宿一飯お世話になりました。

久々に「モンジョ村がテレビ出ますから見てくださいねー」とメールをすると、

「体力気力不足で失礼してます」と、なんとも心もとない返信。

それがテレビ放映後に
「久しぶりにモンジョの小学校や景色を見ることができたよ!日本の青年が活動しているのがよく分かる内容。励ましのメールを送りたい!」

と文章からエネルギーが伝わってきました。

そして5日後には柔道着を10着集めたとの連絡が!

90代半ばの島崎のじっちゃんは、またまた元気になったようです^_^

何歳になっても、心の灯をつけて生きたいもんだなって思う放送から1週間の出来事でした♪

以下、古屋祐輔氏の文章を転載

「こんなところに日本人」を見ていただいた方ありがとうございました。
様々の方からメッセージをいただいておりまして、返事をまだできていない人…すみません。

 実は今、自分はビザの関係により日本にいるので、「こんなところに、なんでネパールの古屋が?」みたいな変な誤解を生んでいて申し訳ないです。
「え?何?あの人って二人いるの?」ってすれ違いざまに小声で聞こえたのですが、190cmの謎の巨体が二人もいたら迷惑でしかないでしょう。
 後1ヶ月後にはちゃんとネパールにいますので少々お待ちください。

・・・さて。

 本には「あとがき」があるようにテレビ番組にも『編集後記』と言うべきものを書いてみてもいいのかと思うのです。
あの番組が完成されるまでに多くのスタッフたちが関わり作成されています。その人たちに感謝の思いを記したいのと、やはり収まりきらない話について書くべきことがあったからです。
 なので「編集後記」も読んでいただきたい。・・・と言うより、実は撮影後の方が、僕たちにとって、そしてエベレストの柔道にとって、大きな出来事がありました。
だから今、筆を走らせている自分がいるのです。

 あの番組はもう去年の8月に収録されています。実は…そこから先の続きの物語があるのです。



「こんなところに日本人」と言う番組は、タイトルの冠通り「こんなところ」つまりは日本の日常からはるか遠くの秘境に住んでいる人をピックアップした番組です。
 しかしながら、実際に収録して、番組のディレクターさんたちから聞かれることは「住んでいる場所」が過酷だとか険しいとか、そのような地理的な質問はほとんどありませんでした。
 その代わりに聞かれるのが「どうして住んでいるのか?」そして「どのような人生を歩んできたのか?」との生きる姿勢ばかりを問われました。

 僕自身はエベレストには年に何度も行っています。しかし間違ってほしくないのは実際にそこでは生活していません。ナレーションをしっかり聞くと分かりますが、普段はカトマンズに住んでいるとのことになっております。番組上カトマンズでの活動の放送は憚れてしまうので、エベレスト柔道での活動を撮影してもらいました。
 ・
 ・
 ・
 私の人生の道筋にはたくさんの人との出会いがありました。
 1つは、高校時代の英語の先生との出会いであったり、1つは大学の先輩の山口敬志さんとの出会いであったり、1つはネパールの孤児院でお金を僕のカバンに入れてくれたディネスであり、、1つはエベレストの柔道家カジ先生、、、さらに続けよう。1つは1歳の時から知っている我が愛娘のようなルビー。1つは子どもたちの柔道に懸命なダルマ先生。1つは、1つは、、、1つは、、、、1つは、、、、

 あげればきりがなくなるくらいの人との出会いが何にも縁もゆかりもないネパールへ、そしてエベレストにまで導いてくれたのだと思っております。(番組では3人としてまとめられていますが…)

 その話しを聞くために、わざわざエベレストにまで登って来てくれた森口さんやスタッフさん、本当にありがとうございました。冷蔵庫にお茶を取り入ったら終わってしまうわずかなテレビの放送時間でも、あれは本当に3日間13時間かけて、登っていますからね。



「ささやかな大きな嘘」

 このような言葉のものが一つあるとするならば、実はあのエベレストの道場にはテレビで伝えきれていないものがありました。大きな問題に直面していましたことまでは、テレビ番組での放送ではそこまで流されていません。

 先輩山口らとともに建てた柔道場は2850メートルのモンジョ村。
 しかしこの村にある学校は7年生(日本の小学校6年程度)までしかないんです。8年生からの学校は3800メートルのクムジュン村にしかなく、子供達は中学生に上がるタイミングでみんなモンジョ村を離れてクムジュン村の寮で生活します。

 なので、中学生に上がると、それと同時に柔道を辞めないといけなかったのです。

 ここまで柔道をやってきて、実力もついてネパール国内の柔道大会でメダルまで取れるようになったのに…柔道が続けられない。カジ先生や僕たちたちが嘆いているのではなく、主役であるエベレストの柔道をしている子供達が「柔道続けたいのに…」と悲しそうに言うのです。

 標高3800mの村でも柔道を続けたい…

 標高3800mのクムジュン村にはこの生徒数500人程のエベレスト地域で一番大きな学校があります。そして、なんと奇跡的なことにクムジュンにはかつてカトマンズで柔道をやっていた柔道家がいるんです。
柔道をやりたいという子たちがいて、柔道を教えたいという先生がいて、あと足りないのは畳だけ。

 畳さえあれば問題が解決するという状況なのですが、正直また畳を集めてまた送るってことには僕たちは二の足を踏んでいました。

 ためらっていた理由は二つ。
 
 1つは率直に言って大変。畳集めるのもしんどいし、また輸送費に数百万かかります。頂上についてもう歩きくたびれた足。しかし頂上まだもう上だったというのか…まだ歩けというか…

 2つ目はこれ以上は支援でなく支配にならないか?という意識です。

 自分たちが建てました!というのは達成感あるし、喜びもあるけど、これ以上、日本側だけで奮闘ばかりしていると、今度はエベレストの人たちが僕たちに何も言えなくなってしまう。

 支援と支配、搾取と開発は紙一重の言葉です。

 また新たな労力と多額の資金がかかるなら、他にやるべきことがあると判断し、時流が来るのを待っていようと思ったのです。
.
.
.
 一方で、モンジョ村に柔道場ができた柔道の先生のカジには新しい夢もできました。
 クムジュン村の標高3800mの場所にも柔道場ができたら世界一高い場所で世界一強い人を決める「天下一武道会」を開きたい!大会を開いて、エベレストの子たちが世界一になる姿を見たい!という新しい夢です。

 そして、この夢は「天下一武道会」という世界一を目指すだけのような、ただの浪漫での想いではないんです。
 実はエベレスト地域には「エベレストマラソン」という世界一過酷なマラソンが年に一度開催されます。それに、その大会はかなり盛り上がるんです。エベレストマラソンのおかげで多くの人が訪れてくれ、エベレスト地域の大きな産業にもなるんです。
 登山を目的として以外で大勢の人が訪れてくれ、人が主役になれるんです。

 カジ先生はいつも、クムジュン村にも柔道場ができたら「天下一武道会」を開催するんだ!と強く意気込んでいました。この前の収録の時にもクムジュンの柔道場の見通しが何もないのに「天下一武道会ツアー」のスケジュールを一人で考えているんです。
実はカットされているのですが収録でも次の夢として「天下一武道会を開く!」とは豪語していたんです。

 そして全ての収録が終わり。いつか「天下一武道会」叶ったらいいな…そんなことをカジさんも僕も森口さんも、ロケの人たちみんな思っていました。



ちゃんと神様は見てくれました。

 なんと収録が終わった2週間後に畳が手に入ったのです!
IJF(国際柔道連盟)がくれた畳をエベレスト柔道のためにと寄贈してくれたんです。カジ先生もエベレストに神がいると興奮しました。
 収録を終えてすぐに、こんな奇跡が起こったんです。カジさんがカメラの前で語った声はエベレストの神々にちゃんと聞こえたのでしょう。

 畳が手に入ればここからは早いです!畳を運ぶための輸送費も、エベレスト地域の市長が動いてお金を出してくれました。もうモンジョ村の柔道でしっかりメダルをとる結果を残してくれているので、もう現地の政府も動いてくれます。足りない分はカジ先生自身で資金繰りをしてくれました。

 そして…念願だったクムジュン村に畳が届いたのです。
 これで標高3800mのクムジュン村でも柔道ができるのです。今の時期は雪が積もっているのと、寒すぎるので柔道は開始していないのですが、 3月、4月春が来て温かくなった時には、富士山よりも高い、世界一高い場所で柔道の練習が開始されるんです。

 カジ先生の夢だった「天下一武道会」。雲の上の話、夢のような話、と最初は思っていましたが…来年?再来年?どちらにせよ目に見えるような近い未来で本当に実現が可能なところまできたんです。
 試合会場に向かうまで、歩いて4日。そして世界一のエベレストの麓で大会をすると思うと胸が膨らみませんか?

 2年前に「エベレストを笑わせろ」という投稿をしました。 

 2年という月日が経って・・・
 
 エベレスト…君も、きっと笑ってくれてますよね?



 そして…今回のことで一番嬉しいのは

「もう僕たちの力が何も必要なかった」ということ。

 次のクムジュン村での柔道場は、自分たちが動かなくても、エベレストに住んでいるカジ先生や現地の人たちで全てを実行できてしまったんです。
 もう主役は僕たちではなくて、ここからは現地の人たちです。誰の力も借りずに彼らだけで動いているのですから。

 愛着がある場所が手をかからなくなるのは寂しいものがあります。
 ですが、どんなにいい活動でも外国人が主導で行うと、延々と資金繰りを続けないといけなく、財力と体力が持ちません。現地の人が「やりたい!」という熱い想い。それに寄り添う形で僕たちがいるべきなんです。
  
 収録が終わった後2週間後に起こったこの奇跡。

 世界一の場所で柔道ができれば…きっとエベレストの輝き以上にエベレストに住んでいる人たちが光り輝く街に変わっていくことでしょう。

これからはエベレストの目的は山だけではない。

人です!

エベレストに住んでいる人たちです!!

エベレストに住んでいる人の輝きに触れたくなってきませんか?



 放送があって色んな人からメッセージが来たりしている中、エベレスト柔道キャプテンのナビンもとても喜んでおりました。
 番組で「夢はオリンピックに出たい!」という事を言っていましたが、テレビ的に言わせている事は全くなく、ずっと昔からオリンピックに出たい!って自分から言っているんです。最近は「センセイ、将来は柔道になりたい!柔道家じゃなくて、柔道になりたい!!」と。
 
 久々にあらわれた柔道馬鹿です。

 今日もエベレスト登山に行った友達が道場や学校に行ってくれました。柔道のおかげで、子供達がたくさんの人と触れ合え、学びがます環境になってくれる事…きっとエベレストの山々も願っていたことでしょう。

世界一は山だけでなく、エベレストに住んでいる人たちも。

 今は寒い冬ですが、クムジュン村でも柔道が開始される、温かい春の訪れまで、、、日を数えて待つのが楽しくてしょうがないのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする