ネパールの心友ダルマ先生を日本に招くために、
現在動いている。各種役所等に行き、書類を揃えネパールに送った。
それでも、ビザがおりるかどうかは50%だという。
日本に来た際には、富士登山、被災地訪問、日本のNPO等の見学などを予定している。
そして、これを実現させるために4月からネパールで働いている古屋君が動いてくれている。
最初からうまくいくことなど数少ない。
うまくいかないから、なんとかなるようにする。
現在、ネパールに住む古屋君のFACEBOOKの投稿が印象深かったために、
引用させていただく。
以下、引用文
ネパールで初めて「憲法」というものが作られた。町の外では号外をばら撒き、憲法の制定に狂喜乱舞する有様もうかがえる。
「ネパールに憲法が制定すれば、これからのネパールはきっと変わるはずさ。我が国はもっと発展する。」
そんな記念すべき日に私も立ち会えて光栄である。
ここ1カ月の憲法制定への国の混乱を見ていると、大日本帝国憲法制定当初の明治時代の日本もこんな感じかなと、さながらタイムスリップしたような感覚だ。あそこで演説している人は髭を生やしているの感じが板垣退助だ。風貌はバンカラだが会話の節々に知的さを漂わせるあの学生は後の夏目漱石かな。大河ドラマの世界に迷い込んでしまったと心の中でにやけながら、カトマンズ市内を歩いている。もうしばらく滞在すれば文明開化の鐘の音でも聞こえてくるだろうか。
私はこの国では孤児院の職員と子どもたちと共に生活をしている。ネパールには貧困地帯、いわゆるスラムが数多く点在する。この孤児院ではいくつかのスラムを援助するため、スラムに小さいながらも学校や育児所を建て、養育困難な家庭の子どもたちを孤児院で引き取り支援をし続けている。私もネパールに来る度に、スラム地域の学校、育児所を訪問していた。
4度目のネパール訪問。国の方針により私が訪れていたスラムの撤去が決定したと聞かされた。衛生上、治安の問題、国の景観を守るためにこのスラム地域に公園を作るらしい。そして先週、スラムの強制撤去が施行された。スレッジハンマーを振り上げ、全てをなぎ倒すネパール政府。スラムで生活していた人はなす術もなく倒壊していく我が家を見つめるしかなかった。翌日には家も学校も育児所も跡形もなく粉砕され、家具などの残骸が痛ましく胸に残る。これからの生活に対してネパール政府からの支援は一切ない。今はNGOが仮住まいのテントと炊き出しをして生活している。
スラム、貧困の問題はネパールに限るものではない。今現在の日本でも同じ問題は起きている。私はとりわけネパールが貧しい国だとか多くの問題抱えているとかを強調するつもりはないが、愛着を持っていた場所が崩されていく姿には言葉に落とせない感情であった。
今日はネパール憲法制定記念の日
憲法が制定されたことは歴史に残っても、スラムが崩壊されたことは歴史に残らない。
憲法が守れるものがあっても、守れないものがある。
それでもスラムで生活していた人たちは私の訪問を温かく迎えてくれたこと。
そこだけは守られていたかもしれません。
~ネパール・スラムより~
現在動いている。各種役所等に行き、書類を揃えネパールに送った。
それでも、ビザがおりるかどうかは50%だという。
日本に来た際には、富士登山、被災地訪問、日本のNPO等の見学などを予定している。
そして、これを実現させるために4月からネパールで働いている古屋君が動いてくれている。
最初からうまくいくことなど数少ない。
うまくいかないから、なんとかなるようにする。
現在、ネパールに住む古屋君のFACEBOOKの投稿が印象深かったために、
引用させていただく。
以下、引用文
ネパールで初めて「憲法」というものが作られた。町の外では号外をばら撒き、憲法の制定に狂喜乱舞する有様もうかがえる。
「ネパールに憲法が制定すれば、これからのネパールはきっと変わるはずさ。我が国はもっと発展する。」
そんな記念すべき日に私も立ち会えて光栄である。
ここ1カ月の憲法制定への国の混乱を見ていると、大日本帝国憲法制定当初の明治時代の日本もこんな感じかなと、さながらタイムスリップしたような感覚だ。あそこで演説している人は髭を生やしているの感じが板垣退助だ。風貌はバンカラだが会話の節々に知的さを漂わせるあの学生は後の夏目漱石かな。大河ドラマの世界に迷い込んでしまったと心の中でにやけながら、カトマンズ市内を歩いている。もうしばらく滞在すれば文明開化の鐘の音でも聞こえてくるだろうか。
私はこの国では孤児院の職員と子どもたちと共に生活をしている。ネパールには貧困地帯、いわゆるスラムが数多く点在する。この孤児院ではいくつかのスラムを援助するため、スラムに小さいながらも学校や育児所を建て、養育困難な家庭の子どもたちを孤児院で引き取り支援をし続けている。私もネパールに来る度に、スラム地域の学校、育児所を訪問していた。
4度目のネパール訪問。国の方針により私が訪れていたスラムの撤去が決定したと聞かされた。衛生上、治安の問題、国の景観を守るためにこのスラム地域に公園を作るらしい。そして先週、スラムの強制撤去が施行された。スレッジハンマーを振り上げ、全てをなぎ倒すネパール政府。スラムで生活していた人はなす術もなく倒壊していく我が家を見つめるしかなかった。翌日には家も学校も育児所も跡形もなく粉砕され、家具などの残骸が痛ましく胸に残る。これからの生活に対してネパール政府からの支援は一切ない。今はNGOが仮住まいのテントと炊き出しをして生活している。
スラム、貧困の問題はネパールに限るものではない。今現在の日本でも同じ問題は起きている。私はとりわけネパールが貧しい国だとか多くの問題抱えているとかを強調するつもりはないが、愛着を持っていた場所が崩されていく姿には言葉に落とせない感情であった。
今日はネパール憲法制定記念の日
憲法が制定されたことは歴史に残っても、スラムが崩壊されたことは歴史に残らない。
憲法が守れるものがあっても、守れないものがある。
それでもスラムで生活していた人たちは私の訪問を温かく迎えてくれたこと。
そこだけは守られていたかもしれません。
~ネパール・スラムより~