人生修行の旅

「笑って、野垂れ死ぬ!!」
そのために、この人生をどう生きて、この命を何に使うか?人生一度きりの生き方を実験中!!

ボリビア旅行記⑳~完~

2012年03月28日 | 
 9日間の旅を終えた。

最初は、旅の感覚を掴むのに時間がかかってしまった。



チェ・ゲバラを追い、

日本の開拓者魂に触れた今回の旅。

旅を開始したのが、24歳

時間とお金をやりくりしては、繰り返している。

行くごとに、物事の見方も変わっている。

それでいいと思う。人は常に変わるものだから。

ただ、変わらないものもある。

色即是空という物の捉え方と

やらずに悔やむよりやって悔やめ

という精神だ。


今、こうして“ある”全てのものに感謝しよう。

そして、きれいな空を見上げて

“上を向いて歩こう”


長文御愛読ありがとうございました。

山口 敬志

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ボリビア旅行記⑲~お礼巡業~

2012年03月28日 | 
 ボリビア最後の夕方。

前日に行ったマッサージ店にもう一度来てくれと言われたので、再訪した。

そうすると、
「昨日の御礼に、今日は無料で受けてくれ」と言われた。

確かに、昨日マッサージを受けた後に、お返しに肩のコンディショニングを行った。

どうやらそれが嬉しかったらしくお礼をしてくれた。本当に嬉しい。

ありがとう!!身体がすっきりしたよ!!

日本のカレンダーをプレゼントして、丁重に礼を言い、次のお礼巡業に向かった。

 次は、初日の夜に様々な情報を教えてくれた日系人の姉妹。

お礼に姉妹が所属するバレーボールチームに行って何かできることをすることにした。

ほぼ全員がボリビア人のこのチームはサンタクルス市内では強豪のようだ。

監督に挨拶をすると、

一番年の若い中学生くらいを2人ほど見てくれという。

他のメンバーはガンガン練習をする。

その練習を尻目に約30分、持てる限りの手法でその2人をにトレーニング指導した。


終わると、コーチたちの目が変わっていた。

「男子は近々試合なのでできないが、女子は全員を見てくれ」という話になった。

トレーニング研修inサンタクルス が始まった。







コーチ達からも個別に質問が飛び、姉妹の通訳で案内ができた。



お礼にサンタクルス市内NO1のおいしいレストランに連れて行ってくれ、今日の研修のお礼と

いうことでご馳走になってしまった。



たった5日間の滞在ではあるが、知り合いができ、色々な話を聞けるのはとても楽しい。


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ボリビア旅行記⑱~学校の先生になりませんか?~

2012年03月28日 | 
 ちょうど日系の子供たちが通う小学校があった。


いつものように勝手に中に入り、担当の先生に見学していいか聞くと、「いいよ~」との返事。

午後から日本語の授業のようだったが、まだ午前中だったために、スペイン語の授業を行っていた。

教室をのぞき見しながら、歩いていく。

なるべく授業を妨害しないように、、、、

と思うが、子供達からすると変な日本人が勝手に廊下を歩いていれば、気にならないはずはない。

高学年の授業で先生に事情を話し、(教師はボリビア人のため子供達に通訳してもらい、私も授業に飛び入り参加させてもらった。

そして、マジックショーで授業ジャック。



先生も一緒に楽しんでくれたので、結果オーライ。

授業に乱入してごめんなさい。

校長先生や教頭先生ともお話をして、私も以前小学校で体育講師をしていた経験を話すと、色々な話をしてくれた。

この日本・ボリビア小学校は私立で公立の小学校より月謝が相当高い。
(公立の小学校は4Bs、半公立12Bs、日本・ボリビア小学校800Bs)

多くは日系の3世にあたる子供達であり、午前はスペイン語で午後は日本語を勉強するそうだ。

なるべく日本の教育と同じように行うため、指導方法等も日本の方式で行っている。

職員室に入ると、ここは日本なのではないかと錯覚してしまうほどだ。

血が薄くなるに従って、日本語が話せなくなるという問題点も南米にいる日系の方々で出ているようだが、

ここ日本・ボリビア小学校では質の高い授業と日本語教育を行うことでカバーをしていた。



昼休み子供達が外に出てきた。

私も一緒になって遊んだり、マジックを披露した。

途中、裏庭に行ったが蚊が何十匹と身体の周りをまとわりついた

子供達は全然気にしていなかった。

日本語で話している時は、日本の子供達と変わらないなぁと思っていたが、蚊に対する対応を見て、

ボリビア産まれ・ボリビア育ちなんだと実感した。

午後は、なんと授業で話をさせてもらえることに。

私が色々な国を旅した話や日本での私の仕事のことなど話した。



そして、みんな驚くべきことに日本の現状を良く知っていて日本が大好きだった。

アイドルもマンガもアニメも知っている。なぜなのか?

それは、このボリビアでもNHKは映るようだ。だから、情報はテレビとネットから行っている。

日本同様に、AKBの人気が凄かった。もし、AKB関連の方がいたら、この日本の真裏の日本でも

ファンがいることを伝えていただきたい。


まだ見ぬ故郷の日本を愛しんでいることが子だもたちの会話の中から感じた。





「今度は、旅人ではなく学校の先生としてボリビアに来ませんか?」

帰りがけに誘われた。

せっかくなので、込み入った話も聞いた。

条件は悪くないが、こんな貴重な経験は将来教師を目指す志高い学生が一番適任だと思いますと丁重にお断りした。

その代わり、もし該当する学生がいたら是非紹介したい。


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ボリビア旅行記⑰~もう一つの日本~

2012年03月28日 | 
 朝の6時に起き、乗合タクシーに初挑戦した。

事前にノートに行きたい場所を書いた個所を用意して、それを見せながら乗合タクシーを選択する。

大柄の女性と一緒に助手席に乗り込み、颯爽と道路を走る。

乗り換えも運転手が案内してくれ、スムーズに行った。

お金をぼったくることもなく、ぶっきらぼうな運転手だが、いい人なのだろう。

ボリビアの中の沖縄。



なんとも不思議な感じだが、もう一つの沖縄がここにある。

開拓の歴史が分かる資料館があったので訪ねてみた。




戦後、日本から船でやってきた人々。

ジャングルを切り開き、農作物を作り、多大なる苦労をしてきたことが、記録された資料や写真から分かった。

その中でひと際目を引いたのは、運動会やお祭り、相撲大会や駅伝などの催し物がずっと実施されてきたことだ。

人はどんな環境においても、仕事だけでなくそのような行事などがなくてはならない

のだということを改めて気付かせてもらった。

ボリビアの中の沖縄から色々な気付きを頂いた。
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ボリビア旅行記⑯~髭剃りで気分一新~

2012年03月28日 | 
 サンタクルスの街に戻り、宿の鏡を見た。 

5日間蓄えた髭が顔を覆っていた。

気分を変えるため、床屋に行き髭を剃ってもらった。

山奥の村に冒険に行く時の気分とはうって変って、爽やかな気分になっていた。

サンタクルスで初めて日本人の方たちとも出会った。

ツアーで日本からやって来て、郊外に観光の予定がストライキで郊外に出られずに、
市内での観光になっていることを聞いた。

もし、一日ストライキが早まったら、私は山奥の村に行けなかったのかもしれない。

外国では、日本では有り得ない事が日常茶飯事に起きる。

どうしようにもどうしようも出来ない事が多々ある。

そんな時は最大限の行動をして、最後は“運”に身を任せるしかない。


ツアーのサポートアルバイトをしていた日系の大学生から、

翌日行こうとしている日系移民の方たちが多く住むコロニア・オキナワへの行き方をばっちり教えてもらうことができた。

言葉も何も分からない中で、同じ民族、同じ言葉を話せて助けてくれるということが素直に嬉しかった。
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ボリビア旅行記⑮~川を渡れ!!~

2012年03月28日 | 
 おばあちゃんの宿を朝に出発。

スピードマックスで、サンタクルスの街に向かう。

しかし、途中渋滞があり、みんな立ち往生している。

ドライバーはそれを見抜くと、車をUターンさせ、違う道を探し出した。

頼りになるドライバーだ。

いつも思うが、私はドライバーに恵まれている。

チベットでヒマラヤ越えをした時のドライバーも細く不安定な道を巧みに運転してくれた。

ネパールでもトップクラスの運転技術を持った方が運転してくれる。

そんな男達といると、どんな状況でも、きっと何とかしてくれるオーラが漂っている。

マルティスさんもまた同様に、道行く人々に聞きながら抜け道を探した。

そして、舗装されてない道を選び車を走らせると、目の前が川になっている。川を渡っている人を見ると膝のところくらいまで深さがある。



さすがにこれはダメかと思い、ドライバーを見た。

目を閉じ、神に祈りを捧げるやいなや、車を川に向かって進めた。

マジで!?

目を疑ったが、明らかに川の中を走っている。

もし、途中で止まったらどうするのだろう。

きっと何とかなるし、何とかするという思いなのだろう。

何とか車も無事に川を渡り、ホッと一息をつき、真剣な顔から笑みがこぼれていた。



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ボリビア旅行記⑭~夜のミステリー~

2012年03月28日 | 
 8時ごろ宿に戻ると、何やら騒がしい。

ドライバーやおばあちゃんの孫の青年も来ていて、話している。

予想するに、おばあちゃんがどこかに行ってしまって行方不明のようだ。

近所の方も来てくれるが、どこに行ったのか、皆同様に首を横に振っている。

電話をしても通じない。おばあちゃんは元気そうだが高齢だ。何かあったのかもしれないと私も心配に思った。

しかし、急激な眠気が襲い、部屋に戻ってベッドに倒れ込むように寝てしまっていた。




「ピンポーン、ピンポーン」

誰かがチャイムを鳴らした。

1分後にまた鳴った。

玄関のドアを誰かが激しく叩いている。

もしかしたらこの宿には私しかいないのかもしれないと直感的に思った。

そして、これは私が対応しなければならないと寝惚けながら考えた。

部屋を出て、暗闇の中玄関のドアの前に立った。向こうには誰がいるか分からない。

「誰ですか?誰ですか?返事をしてください」

応答がない。それもそのはずだ。日本語で話しかけていた。

勇気を出して、鍵を外してドアを開いた。

「ワッ!!」とほろ酔い気分のスペインの若者が入ってきた。

反射的に攻撃しそうになってしまったが、朝に見た顔だったことに気付いた。

おばあちゃんが消えたことを伝えると、

「それはミステリーだ!!」とスペインの若者が騒ぐ。

そして、「何でドアを開けたんだ。こんな夜中に開けるとは危ないぞ!!」と言われたが、

「お前らかもしれないと思い、開けたんだ。」と言い返すと、返す言葉がないようだった。

「とりあえず鍵をしっかりかけて寝よう!!」

それぞれの部屋に戻り私はまたすぐに眠りにつく。






「ピンポーン ピンポーン」と鳴った。

1分後

「ピンポーン ピンポーン」と再び鳴った。

スペインの若者たちが階段を下りてくる気配はない。

ここは私がいくしかないようだ。

忍び足で玄関に出向き、開けるかどうか悩んだ。時間は深夜12時近い。

どこか向こう側をみる方法はないか考えると、隣の部屋から何とか外が見えそうだった。

カーテンを開き、こっそり外をのぞき見ると、











そこには派手なピンクの服を着た女性が立っていた。

あっ、おばあちゃんだ!!


急いで玄関を開けた。


「サンキュー、サンキュー」悪びれた様子もなく、笑顔だ。

事情は分からないが、無事で何よりだ。とにかく元気な姿で帰ってきてくれた。


部屋に戻り、眠ろうとするが今度は蚊の夜の攻撃で寝付くことができずに本を読みながら朝を迎えた。
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ボリビア旅行記⑬~マジックは世界共通~

2012年03月28日 | 
 バイアグランデに戻り、市場に行った。リュックに、マジックグッズを入れた。

靴の修理職人達の手捌きを勝手に観察した。ごつごつの手で丁寧な仕事をする。


見せてくれたお礼にマジックを披露した。


「ワァオー」歓声があがる。そして、子供たちが群がり、マジックショーが始まった。



目の前で繰り広げられる不思議なことに対する反応は万国共通だ。

私がやってみせ、そして子供達もトライ。我先にとばかりにチャレンジする。たまにちょっとサポートして、成功したりすると得意顔だ。

暗くなるまでマジックショーは続き、いつの間にか人だかりができて大人達とも仲良くなっていた。

「与えよ!されば与えられん!」

昨日とは村の雰囲気が違ってみえた。
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ボリビア旅行記⑫~白いサイン~

2012年03月28日 | 
 念のため持ってきていたトレイルラン用のシューズに履き替え、虫に刺されないようにロングTシャツを着て、帽子をかぶる。

手持ちの500ccの水に運命を委ねた。

気温は25度くらい。

所要時間は2~3時間。

距離は往復6~8kmくらいと推定される。

ワクワクが始まった。

ドライバーに1時間40分だけ待っていてほしいと伝えた。走ればそのくらいの時間だろう。

「GOOD LUCK」ドライバーが親指を立てて見送ってくれた。

地図をもとに山道を駆け下りる。

小川を飛び越え、トウモロコシの中をかきわけた。



道がなくなった。

「迷ったら白いものを探して!!」声が聞こえた。丹念に下を見ながら、目印を探した。



下を見ながら辺りをあるくと、小さな石に白い矢印が書かれている。

道が見つかった。

そこからさらに下る。
「先にずっと進むと、小川にぶつかる。そして、斜めに折れ曲がって進むとすると巨大な石がある」

言われた通り小川があり、斜めに折れ曲がり進むと道がなくなった。

下を見て、足跡がないか探すが小川の手前で消えていた。

目の前を見ると、巨石に文字が書かれている。


小川を渡り、この巨石を登った。目の前がひらけた。

ちょっとした広場になっていて、チェ・ゲバラのシンボルである星が描かれていた。


約45年前、チェ・ゲバラはこの地で“理想”のために戦っていた。


信念を貫いたチェ・ゲバラは、最後はどんな思いだったのだろう…

目を閉じて、五感を研ぎ澄ました。


残りの水を計算してペース配分を行い、道を登った。

1時間40分ちょうどで戻った。

「GOOD!!」

ドライバーがほほ笑んだ。

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ボリビア旅行記⑪~必要な時に必要な人が現れる~

2012年03月28日 | 
 脳裏に、チューロ渓谷という言葉がよぎった。

チェ・ゲバラが軍に追われて捕まった場所だ。ふと行きたいと思った。

ドライバーにジェスチャーで訪ねてみた。

ジェスチャーでこんな感じで言われた。「その場所は山道を1時間以上歩いて往復2~3時間かかるので一緒には行けない。

けど、地図はあるからそれを見て一人で行くのはOK。」と一緒に資料館に行った。

地図を見せてもらったが、ここがイゲラ村、斜め下がチューロ。


さすがにたまに登山を行う私もこの地図では行くことは難しい。

道が書いてあるわけでもなく、方角もどっちかよく分からない。

他に方法はないものかと思考を変えた瞬間だった。

必要な時に必要な人が現われる。

ガタガタガタガタ

一組のカップルがやってきた。

そして、チューロ渓谷には今行ってきたという。

さらには、英語も通じる!!

この土壇場に来て、何たる偶然。

これは行きなさいと何かの意図により命じられているようだった。

話を聞くと、標識などは一切なく、脇道をずっと歩いて行くと最後のチューロ渓谷に出るらしい。

熱心に説明してくれて、私はそれを聞きとりながら地図を書いた。

ありがとう!!行ってくるよ!!

車に乗り込もうとした時、そのカップルの女性が走ってきた。

「道に迷ったら白いものを探して!!」


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