「禁煙のすすめ」(改)
さすがにこの度のタバコの値上げは厳しいし、恐らく更なる追い
打ち値上げも避けられそうにもない。それに、パソコンの前から立
ち上がると目眩(めまい)さえ覚えるようになったので、シケモクを
刺した竹輪を咥(くわ)えながら寝床の中でうつらうつらしながら考
えていると、夢枕に若き日の自分が現れた。と、書いて、果たして、
若き日の自分といえども自分自身とは幹を同じくしているはずで、
いくら夢の中であっても過去の自分と今の自分が相対するなどとい
う事態は起こらないのではと思いながら、
「誰だ?おまえは」
と声を掛けると、
「けっ、誰だもないやろ。若い頃のおまえだよ」
これまでに先の自分に向かって自らを過去の自分だなどと自己紹介
した者は凡そ皆無に違いないが、夢の中だから仕方ない。確かに、
そう言われてみれば夢多かりしあの頃の自分に間違いなかったが、
ただ、振り返って見ると若い頃の自分は、世の中の仕組みを知って
いるのは自分だけだと言わんばかりに何でも知ったかぶりをする嫌
な奴だった。その自分の分身が、
「何や、まだタバコなんか吸ってんのか」
と、呆れ顔で言った。
「大きなお世話じゃ」
と相手にしたくなかったが、そうはいっても自分の原点とも言える
分身に陋習を詰(なじ)られて面白くなかった。もちろん、私も生ま
れてすぐに母乳よりも先にタバコを吸ったわけではなく、さすがに
讃美歌は歌わなかったがそれでも「二十歳のエチュード」などを
読んでハムレットのように苦悶しながら、清い死を夢見た学生時
代さえあったのだ。だから、世間の因習に穢されていない全き自
分に意見されると堪えた。「あんな汚らわしいのは一生吸うつもり
はない」と固く誓った頃があったのだ。その若い頃の自分が、自身
以外のものに依存しなければならない情けない今の自分に憤って
いた。
「おれはそんな自立心のない人間になるつもりはなかった!」
と言い残して消えた。そうとも!おれは何て馬鹿げたことで人生の
を無駄にしてきたのか!自分の中に若き日の自分が甦り、今の私に
取り憑いて私自身も縋ろうとしている様々な因習を駆逐しようと誓い
直した。若き日の自分を呼び覚まして汚れなき原点に回帰すること。
その葛藤は世間ずれした自分にとって大きな覚醒をもたらした。や
がて、夢の中だけでなく酒に溺れて酩酊している時にも現れて、
「何してんねん!」
と叱った。そして「これは意志の仕事だぞ」と説得してくれた。お
お、それは若き日に心に留めたアンドレ・ジイドの言葉ではなかっ
たか!こうして私は彼さえ現れてくれれば喫煙だけでなく飲酒も、
さらには色欲さえも遠ざけることができると確信できた。
しかしそれからというもの、寝床に入って現(うつつ)を見失うと、
今度は一人の分身だけでなく、更には二十代の頃の自分や三十代の
頃の自分までもが次々に萌え現われて、そしてその人数が夜を重ね
る毎に増えていき、今では数十人の自分の分身たちが枕元に集って
これまでの私の所業を詰(なじ)り合って喧々囂々(けんけんごうごう)の
言い合いが始り、眠りから覚めると決まって変な寝汗を掻いていて、
思いとは裏腹に、竹輪に刺したシケモクを付け替えて目覚めの一服に
手を伸ばそうとしていた。
「まったく、うるそうて寝てられんわい!」
後記・・・マジでこの葛藤は禁煙には効果があります。 大事なの
はタバコなど吸わなかった若い頃の「感覚」を取り戻す
ことです。
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