「常ならざること」②
精神とは、本能から生まれる情熱と理性がもたらす正義によって
生成されるとすれば、われわれは明らかに本能の退化による情熱の
欠如によって精神を衰えさせている。何も精神などを持ち出さなく
ても卑近な例を上げれば、若者の恋愛に於いてさえも欠けているの
は情熱である。つまり、本能である。今や彼等は理性によって恋愛
対象を選ぶが、そもそも恋愛とは本能的な結び付きなのだ。理性に
従って結ばれても愛が芽生えるとは限らない。むしろ、理性が情熱
を封じ込め二人の世界は失われ、やがて社会の中で二人の絆を確か
めようとして社会との関係を求めようとする。そしてこう言うのだ、
「私は社会が認めた人しか愛せない」と。しかし、それは倒錯した
精神だ。本能による愛とは如何なる条件も求めない。われわれは恋
愛でさえ情熱によらない社会的な、従って理性が仕切る恋愛を求め
ている。しかし、情熱のない恋愛は愛を生まない。何故なら、われわ
れの本能は打算(理性)を嫌うからだ。つまり、われわれは本来の恋
愛を避けて、恋愛を社会的な手段として利用しようとしているだけな
のだ。かつては、そんなものを恋愛とは言わなかった。理性が後悔す
るかもしれないような恋愛を愛とは呼ばなかったのだ。
(つづく)
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