「ボーダー」⑤

2012-03-12 09:03:25 | 境界性パーソナル障害(BPD)



                「ボーダー」⑤


 我々は未だしも社会的な繋がりが強くて、そうは言っても家族

や組織を重んじる社会で暮らしているが、個人主義の国々では孤

独の虚しさに苛まれた人の絶望は計り知れない。かつて、「本当

のジャックリーヌ・デュプレ」というビデオを観たことがあった。

 ジャックリーヌ・デュプレはイギリス生まれの女流チェリスト

で、天賦の才能は直ぐに開花し、十才のときに国際的なコンクー

ルに入賞して、十六才にして早くもチェロ演奏家として衝撃的な

デビューを果たし国際的な名声を得た。その演奏はビデオの中で

も再三流されていたが、本当にすばらしかったことを記憶してい

る。すぐに、女流チェリストとして演奏を行なって世界を駆け回

り、二十一才の時にピアニスト、ダニエル・バレンボイムと結婚する

が、二十六才の時に「多発性硬化症」という難病に蝕まれて、そ

れからは舞台に立つことなく四十二才で惜しまれながらこの世を

去った。

 彼女は、四才から姉と一緒にチェロを習い始め、姉を追い越し

て十才の時にはすでにその才能が認められた。つまり、彼女は「

人間になる」前にチェリストになってしまった。しかし、チェロ

を演奏して人々を感動させることは出来ても、チェロを持たない

人間としての自分はどう生きて行けばいいのか分からなかった。

チェリストとしての名声よりも「人間になりたかった」彼女は温か

い家庭を求めたが、音楽家としての野心を棄てられない夫には

理解されなかった。あなたは私という人間ではなく、私の音楽を

愛してるだけだったの?チェロが弾けなくなった私を愛してはく

れないの?早くして世界的な名声を得て、さらに言えば若くして

大金を手にしても決して幸せになれるわけではないことを、彼女

は退屈な演奏会を飛び回りながら思った。そして、邦題の「本当

の」が意味する事実が暴露される。彼女は、自分が望んでいたは

ずの幸せな家庭を営む姉夫婦を嫉んでか、あろうことか姉の夫の

肉体を求め、姉は苦渋の末にそれを承知する。この本はそのお

姉さんによって書かれた。やがて、難病からの回復が見込めなく

なり、彼女の往生際を遂に世界的名指揮者となった元夫のダニエ

ル・バレンボイムが訪ねる。ところが、彼女は彼との面会を頑なに

拒み、身内だけに看取られて独りで旅立った。何とも寂しさとやり

きれない思いが残ったが、ただ、彼女、ジャックリーヌ・デュプレが

奏でるチェロの「エルガー」の荘重な調べが気高く流れて涙を堪え

ることが出来なかった。そして、何故か個人主義社会の孤独とは

こんなにも絶望的なものかと思った。

 BPDは個人主義の進んだ欧米ではメンタルヘルスの専門医に

よって随分以前から研究され、今ではその治療法も確立している。


                                  (つづく)

                      
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 「ボーダー」④

2012-03-12 04:27:23 | 境界性パーソナル障害(BPD)



              「ボーダー」



 さて、BPD(境界性パーソナリティ障害)とは、個人の中に、

個人的自我が形成されないまま、情報社会の中で社会的自我ばか

りが増長して、個人的自我が消滅して個人と社会のバランスが崩

れて倒錯が起こり、個人的自我にとっては手段であったはずの社

会が目的化してしまう。個人的自我は萌芽のうちに間引かれて社

会的自我だけが自我を形成する。すると、社会が無ければ「何の

ために生きているのか解らな」くなり、孤独に堪えられなくなっ

て自己を他者に依存するようになる。共同体や国家、或いは宗教

が生きる目的となり孤独の虚しさを埋める。実は、我々は症状の

軽重はあっても誰もがBPDに罹っているのではないだろうか?

 近代文明社会とは物質文明である。我々の暮らしは様々な機械

製品に依存して成り立っている。目の前にあるパソコンを取り上

げられたら、私は恐らく孤独に耐えられなくなって仕方なく本を

読むか、或いは孤独を忘れるために酒に手を伸ばすかもしれない。

というのも、私を形作る器官のほとんどは、皮膚にしろ五官にし

ろ外の世界へ向けられているからだ。自分以外の他者に依存せず

に自らの孤独と向き合うことなど一時も出来ないだろう。そもそ

も「自己」などといっても社会との関わり中から生まれた意識で

ある。自己の充実は社会との関わりの中からしか生まれないでは

ないか。いったい誰が文明を棄てて社会を棄てて自らの孤独と向

き合って自己を満たすことが出来ると言うのか。我々は「依存」

せずに生きることなど出来ないのだ。つまり、我々は、否、生き

ものすべては他者への依存によって生きている「依存症」である。


                                 (つづく)


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