「あほリズム」(203)

2012-03-27 12:22:11 | アフォリズム(箴言)ではありません



               「あほリズム」


                 (203)


  問題は、壇上で手を振っているあの人物にあるというよりも、

  その人物に惜しみない拍手を送っている群衆にある。

  

          

                  (204)



  「この国を変えよう!」というスローガンに誰しも喝采を送るが、

  より酷く変わることだってあるとは誰も思っていない。


  

                   (205)

  

   彼らは自分で考えることが面倒臭くなって、新しいアプリを

   インストールするように、新しいガバナンスのソフトをダウン

   ロードする。



                   (206)


    改革者は自らが創った新しい制度をより慎重に運用することだろう。

    しかし、後を引き継いだ権力者はその制度をより大胆に乱用する。



                  (207)




   結局、民主党は消費税を上げるためだけの政権だったのか。








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「あほリズム」(202)

2012-03-27 02:08:43 | アフォリズム(箴言)ではありません
            「あほリズム」

                  

             (202)



 「自分自身を知る」とは理性による内省的な遡行である。「知る」

とは理性の仕事である。ところが、理性は、理性による行ないに対し

ては悔い改めさせることができても、本能に対して「かくあれ」と変

えさせることができない。いくら理性で解っていても恋しい人を忘れ

られないように。しかし、「自分自身を知る」とはその本能を知るこ

とでなければいったい何の意味があるだろう。もちろん、人格を変え

させることなどできないが、知ることはできる。そして、知ることに

よって自覚が芽生え、自覚は衝動的な感情を躊躇わせる。「自分自身

を知る」とは、本能に対して「何故、そうするのか?」と不断に問い

かけ、言葉として語らせ、その是非を理性が判断して、本能に「自

己変革」を迫ることである。心の穴を埋めとかないといつも同じと

ころに落ち込んじゃうよ。



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