「あほリズム」 (199)(200)

2012-03-25 14:06:45 | アフォリズム(箴言)ではありません



           「あほリズム」



            (199)


 サッカーは相手のゴールにボールを蹴り込む競技である。ボールを

持った選手は、頭の中にゴールまでの展開を描きながら味方の選手に

パスをするか、或いは自分でドリブルをして相手選手に取られないよ

うに攻め上がる。そのドリブルは、ボールを再び自分が支配出来るよ

うに考えて蹴り出さなければならない。つまり、自分がイメージした

ところへ正確に蹴り、今度はそのボールに自分自身が追い着く。何度

もそれを繰り返してゴールに向かう。サッカーのドリブルとは、自分の

理想を現実のボールに与え、次には理想を失った自分が、前に出し

た理想を再び自分のものにしようと追い駆ける。現実と理想を、また

はザイン(存在)とゾレン(当為=かくあるべし)を、自分とボールの間で
 
互換しながら目的を遂げようとする。サッカーのドリブルとは、まさに
 
人間の生き方のメタファー(隠喩)なのだ。ただ、そんなことを考えなが
 
らドリブルをしていると簡単に相手選手にボールを奪われてしまうが。



             (200)


 我々は、安易に追い着けないボールを蹴り出したり、または、相手

選手にボールを奪われることを怖れて、イメージのない味方選手へ

のパスを出したりしていないだろうか。現実とはかけ離れた理想、或

いは理想を見失った現実、そのどちらからも閉塞した状況を打開す

る精度の高いドリブルは生まれない。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 哲学へ
にほんブログ村