「あほリズム」
(199)
サッカーは相手のゴールにボールを蹴り込む競技である。ボールを
持った選手は、頭の中にゴールまでの展開を描きながら味方の選手に
パスをするか、或いは自分でドリブルをして相手選手に取られないよ
うに攻め上がる。そのドリブルは、ボールを再び自分が支配出来るよ
うに考えて蹴り出さなければならない。つまり、自分がイメージした
ところへ正確に蹴り、今度はそのボールに自分自身が追い着く。何度
もそれを繰り返してゴールに向かう。サッカーのドリブルとは、自分の
理想を現実のボールに与え、次には理想を失った自分が、前に出し
た理想を再び自分のものにしようと追い駆ける。現実と理想を、また
はザイン(存在)とゾレン(当為=かくあるべし)を、自分とボールの間で
互換しながら目的を遂げようとする。サッカーのドリブルとは、まさに
人間の生き方のメタファー(隠喩)なのだ。ただ、そんなことを考えなが
らドリブルをしていると簡単に相手選手にボールを奪われてしまうが。
(200)
我々は、安易に追い着けないボールを蹴り出したり、または、相手
選手にボールを奪われることを怖れて、イメージのない味方選手へ
のパスを出したりしていないだろうか。現実とはかけ離れた理想、或
いは理想を見失った現実、そのどちらからも閉塞した状況を打開す
る精度の高いドリブルは生まれない。
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