「議論なき対立」

2011-10-27 18:37:56 | 従って、本来の「ブログ」

                「議論なき対立」


            
 原発の推進、廃止の議論にしても、またTPP参加を巡る議論に

しても、それぞれが意見の異なる者を締め出して集まっていくら気

炎を吐いても、それに反対する者は一切耳を貸そうとはしない。そ

んな虚しい蛸壺集会が憲法を巡る護憲改憲論議以来この国に根付い

てしまったようだが、果たして壁を隔てた議論からいったい何が生

まれるのだろうか?更に、それぞれの集まりで使われる情報でさえ

それぞれの都合のいいデータが集められ、データでさえ共有されな

いで賛成反対の意見を述べているのだ。放射能汚染の人体の許容量

など推進派と反対派でこんなにも数値が違うのかと思った。それぞ

れが議論を戦わす前にまずはその叩き台となるデータの統一を図る

べきではないだろうか。そして、心情に偏る総論ではなく各論につ

いて順次意見をディベートさせていく。そういう手順を踏んだ討論

が何故行われないのだろうか?「朝生」のような討論ショーは対立

が鮮明になっても何一つ問題解決へ歩み寄らないことは明白ではな

いか。会話にしろ議論にしろまずは相手の意見を正しく訊くことか

ら始まる。そして、考えは人が生み出すものであるから議論をする

人は何よりも自由に考える場が与えられなければならない。つまり、

それぞれが身を委ねている蛸壺を抜け出してそれを叩き壊す覚悟

を持たなければならない。蛸壺組織の利害に操られて「言わされて

いる」限り確執を解いて協調することはできない。否、利害に固執

するから議論を避けているのだ。議論とは、意見を同じくする者同

志が意見を確かめ合うことではない。意見の異なる者同志が互いの

意見を論じ合うことである。合意とはどちらか一方の頭の中にあるの

ではなくそれぞれの頭上にあるのだ。つまり、対立する者の意見を

しっかりと聴かなければならない。そうでなければ、われわれは真面

な議論を討わさずに決定を強いられることになる。結果、蛸壺組織

の言われるままに従わざるを得なくなる。しかし、如何なる組織にそ

の身を委ねていたとしても、飽くまでも意見は個人に委ねられている

のだ。


  

 

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 「禁煙のすすめ」(改) 

2011-10-26 06:30:08 | 従って、本来の「ブログ」


              「禁煙のすすめ」(改) 


 さすがにこの度のタバコの値上げは厳しいし、恐らく更なる追い

打ち値上げも避けられそうにもない。それに、パソコンの前から立

ち上がると目眩(めまい)さえ覚えるようになったので、シケモクを

刺した竹輪を咥(くわ)えながら寝床の中でうつらうつらしながら考

えていると、夢枕に若き日の自分が現れた。と、書いて、果たして、

若き日の自分といえども自分自身とは幹を同じくしているはずで、

いくら夢の中であっても過去の自分と今の自分が相対するなどとい

う事態は起こらないのではと思いながら、

「誰だ?おまえは」

と声を掛けると、

「けっ、誰だもないやろ。若い頃のおまえだよ」

これまでに先の自分に向かって自らを過去の自分だなどと自己紹介

した者は凡そ皆無に違いないが、夢の中だから仕方ない。確かに、

そう言われてみれば夢多かりしあの頃の自分に間違いなかったが、

ただ、振り返って見ると若い頃の自分は、世の中の仕組みを知って

いるのは自分だけだと言わんばかりに何でも知ったかぶりをする嫌

な奴だった。その自分の分身が、

「何や、まだタバコなんか吸ってんのか」

と、呆れ顔で言った。

「大きなお世話じゃ」

と相手にしたくなかったが、そうはいっても自分の原点とも言える

分身に陋習を詰(なじ)られて面白くなかった。もちろん、私も生ま

れてすぐに母乳よりも先にタバコを吸ったわけではなく、さすがに

讃美歌は歌わなかったがそれでも「二十歳のエチュード」などを

読んでハムレットのように苦悶しながら、清い死を夢見た学生時

代さえあったのだ。だから、世間の因習に穢されていない全き自

分に意見されると堪えた。「あんな汚らわしいのは一生吸うつもり

はない」と固く誓った頃があったのだ。その若い頃の自分が、自身

以外のものに依存しなければならない情けない今の自分に憤って

いた。

「おれはそんな自立心のない人間になるつもりはなかった!」

と言い残して消えた。そうとも!おれは何て馬鹿げたことで人生の

を無駄にしてきたのか!自分の中に若き日の自分が甦り、今の私に

取り憑いて私自身も縋ろうとしている様々な因習を駆逐しようと誓い

直した。若き日の自分を呼び覚まして汚れなき原点に回帰すること。

その葛藤は世間ずれした自分にとって大きな覚醒をもたらした。や

がて、夢の中だけでなく酒に溺れて酩酊している時にも現れて、

「何してんねん!」

と叱った。そして「これは意志の仕事だぞ」と説得してくれた。お

お、それは若き日に心に留めたアンドレ・ジイドの言葉ではなかっ

たか!こうして私は彼さえ現れてくれれば喫煙だけでなく飲酒も、

さらには色欲さえも遠ざけることができると確信できた。

 しかしそれからというもの、寝床に入って現(うつつ)を見失うと、

今度は一人の分身だけでなく、更には二十代の頃の自分や三十代の

頃の自分までもが次々に萌え現われて、そしてその人数が夜を重ね

る毎に増えていき、今では数十人の自分の分身たちが枕元に集って

これまでの私の所業を詰(なじ)り合って喧々囂々(けんけんごうごう)の

言い合いが始り、眠りから覚めると決まって変な寝汗を掻いていて、

思いとは裏腹に、竹輪に刺したシケモクを付け替えて目覚めの一服に

手を伸ばそうとしていた。

「まったく、うるそうて寝てられんわい!」


 後記・・・マジでこの葛藤は禁煙には効果があります。 大事なの

     はタバコなど吸わなかった若い頃の「感覚」を取り戻す

     ことです。

 


 

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「自分自身にための覚書」⑨

2011-10-22 10:35:17 | 従って、本来の「ブログ」

 
  
             「自分自身のための覚書」


                    ⑨

 

 「今は精神なき時代」と記して礑(はた)と思った。そうだ、われ

われは精神なき時代を望んでいたのではなかったかと。実際、われ

われは過去にも精神注入棒などという堅い棒を無理やり呑み込まさ

れてきたのだ。やっと敗戦によってそんなお化けが居なくなったと

思ったら、すぐにイデオロギーによる精神主義や新興宗教による精

神主義が蔓延り、今では八百万の神が犇(ひし)めく神国には、様々

な目には見えない精神(スピリチュアル)がこの国を取り巻いている。

しかしそれならば、かくも悲惨な大震災を予言する霊言なり神託が

何故告げられなかったのか?大地震が来るぞと言って触れ回る霊能

師が何故現れなかったのか?他人の明日を占うことよりも容易(たや

す)いはずではないか。たとえば、震災前まで世間からは異常者扱い

されて、そのお告げに従った者たちだけが被害を未然に防ぐことが

できて、震災後にその能力を怖れられている霊能者が居たならば、

私はその霊能者なら信用しても構わないが、そうでなければ、カタ

ストロフィーすら予言できない霊能者が、それには一切触れようと

もせず白々しく他人の運不運を騙るのは、誑惑(きょうわく)の謗(

そし)りを免(まぬが)れないではないか。

 さて、精神などと些(いささ)か時代掛かったものを博物館の奥に

仕舞い込まれた柳行李の封印を切って持ち出すつもりも、また畏れ

多くも朝堂に額ずき拝して御簾奥より詔(みことのり)を賜りて、遍

く(あまね)く津々浦々に知らしめるつもりもないので、精神などと

いう大仰な言葉ではなく社会理念と呼んでもいっこうに差し支えは

ないが、しかし精神とはいったい何を表す言葉なんだろうか?そも

そも社会とは共同体である限り何らかの社会理念がなければ共同す

る必然がない。ところが、資本主義社会とは競争原理によって成り

立ち、社会というリングでは日夜勝者と敗者が判定される。そして、

運よく勝者の栄誉を手にした者はそれまでの心情をあっさり転向し

て敗者たちを蔑(ないがしろ)にし、敗者はそんな勝者への不信を募

らせる。果たして、そのような共同体に共通の理念が生まれるのだ

ろうか。勝者と敗者が共に手を携えて社会を発展させることができ

るだろうか?勝者と敗者を分断するようなそんな卑俗なルールのこ

とを社会理念と呼べるだろうか?だから、こう言い直さなければな

らない、「今は理念なきルールだけの時代」だと。

 実は、われわれの共同体は資本主義経済の下ですでに破綻してい

るのだ。所得格差が階級を作り、階級が階層化して排他的になり、

共同体の理念が忘れられ、それぞれが自分たちの既得権を守ること

しか考えなくなり、わが身の利害に関わる社会改革(ルール変更)に

は是非なく反対する。階層の違いによる足の引っ張り合いは社会を

硬直化させ相互の共感が失われ交流が途絶え、一億二千万人を乗せ

た船「日本丸」は船底の亀裂から浸水し始め、三等客室はすでに浸

かってしまい、しかしその情報は一等客室で憩う人々には届けられ

ず適切な対処が遅れ、気付いた時はに手遅れとなって沈没するだろ

う。

 共感について、トーマス・マンは「ヨゼフとその兄弟たち」の中

で次のように述べている。

「他人の心の動きに対する無関心や無知は、現実に対する関係をま

ったくゆがめてしまい、人を盲目にしてしまう。アダムとエヴァの

時代からこのかた、つまり、ひとりの人間がふたりの人間になって

からこのかた、他人の身になってみようとしなかった者、他人の眼

で観ようと試みることによって自分の真の状態を知ろうとしなかっ

た者、そういう者は誰一人として生きながらえることはできなかっ

たのだ。他人の感情生活に想像力をはたらかせて、それを察知する

技術、つまり、共感というものは、自我の限界を打破するという意

味で賞賛すべきものであるばかりでなく、自己保存の欠くべからざ

る手段なのである」と。

 グローバル経済によってもたらされた貧富の格差は日本だけに及

ばずアメリカを始め世界各国で問題を生みその対立は国内で起こっ

ている。グローバル経済の問題がローカル経済に回帰してきたのだ。

社会は人間が共存するために営まれるなら、少なくとも共生(シェ

ア)について無関心であってはならないはずだ。街にはホームレス

が溢れ、自殺者の数が年間三万人を超え、無縁社会が拡がっている。

もしかしてわれわれは「他人の心の動きに対して無関心や無知」に

なっていないだろうか。つまり、自分の権利ばかりを主張して「現

実に対する関係をまったくゆがめてしまい、盲目に」なっていない

だろうか。「他人の身になってみようとしなかった者、他人の眼で

観ようと試みることによって自分の真の状態を知ろうとしなかった

者、そういう者は誰一人として生きながらえることはできなかった

のだ」とまで彼は言う。 他人との共感は何よりもまず話し合うこと

から生まれる。われわれは他人と話す時、「他人の感情生活に想像

力をはたらかせて、それを察知する技術」を得る。それは「他人の

眼で観ようと試みることによって自分の真の状態を知る」ことにも

生かされるのだ。つまり、他人への共感は自省心を生み「自我の限

界を打破するために」生かされ「自己保存の欠くべからざる手段」

となる。もしも、トーマス・マンの言うことが正しければ、われわ

れは「他人の心の動きに対する無関心や無知」でいるために「自己

保存の欠くべからざる手段」を見失い、やがて我らが「日本丸」は

「誰一人として生きながらえることはできな」い事態を招くことに

ならないだろうか。



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「自分自身のための覚書」⑧

2011-10-21 12:36:22 | 従って、本来の「ブログ」

 


            「自分自身のための覚書」


                    ⑧


 これまでの日本社会は、経済人の優れた経営能力によって政治家

の無能を経済で補ってきたと言われてきたが、ここに至ってそうばか

り言えないニュースが続いている。所謂、創業者の跡を継いだ二代

目三代目の社長による馬鹿げた不祥事が相次いでいる。彼らは何と

しても業績を伸ばさなければならない使命を受けているので、という

のは設備投資やブランド力は先代の苦労によって築かれているから

で、逆風の中、功績を焦るあまり社会的な立場を見失い、じり貧に耐

えられなくなって粉飾や偽装に走らざるをえないのかもしれないが、そ

れが世間に知れると詭弁を繰り返して、さらにそれが不信を生む結果

になっている。もちろん、そんなことは食品偽装問題や脱税などバブ

ル崩壊以降何度も起こってはいるが、それにしても東電を始めとす

る原発を巡る電力会社や官庁の嘘っぱち会見や、さらには大王製紙

のバカ息子による使い込みがあったり、オリンパスの就任したばか

りの外人社長の交代劇など、何れも日本を代表する大企業の中で、

これまでなら信じられなかった経営陣によるドタバタ劇が起こってい

る。もしかすると報道されているのは氷山の一角で、多くの会社の

役員室で夜な夜な怪しい話し合いが続いているのかもしれない。

優秀と持て囃された日本の経済人さえもただ社名を守るためだけに

汲々として、政治家と肩を並べるまでに堕落したのかもしれない。

そうなれば、いよいよ日本再生は遠退くばかりで、遂に頼みの綱も

細ってしまったなあと、経営者としての社会的責任を露も口にしな

い自分勝手な言動を聴くと経済人のモラルも地に落ちたもんだと

情けなくなってしまう。

 あのー、 大丈夫ですか?日本。ギリシャみたいにならない?

 

 「国の借金、1000兆円突破へ=復興債発行で-11年度末見込み」

                               (時事ドットコム)

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