「覇権主義国家・中国」②

2013-02-06 06:34:37 | 「パラダイムシフト」



     「覇権主義国家・中国」②


 5日夜、日本政府は中国軍艦が自衛隊の護衛艦に射撃用レー

ダーを照射していたと公表した。尖閣諸島の領海侵犯を繰り返

す中国兵の一部の撥ね返りが痺れを切らした挑発行為だとは思

うが、一気に東シナ海での緊張が高まった。わが国はそのよう

な挑発に乗らないことが重要だが、攻撃されれば反撃すること

は正当防衛に当たる。攻撃を受けた一事においてのみ我が国は

自衛権を行使することができる。われわれは再び奇襲攻撃を行

うことはできない。それまでは相手に武力行使のきっかけを与

えずに耐えるしかない。そこでは本来の「自衛隊」の真価が発

揮されることを望む。さらに、北朝鮮では国際社会の批判を無

視して核実験を強行しようとしている。しかし、北朝鮮はアメ

リカ本土への核攻撃でいったい何を得るというのだろうか?私

は、北朝鮮と中国の強硬姿勢がまったく関連なく行われている

とは思えない。前回にも記したが、強硬な敵対行動は内政混乱

の現れである。問題を隠蔽しようとする者は危機をでっち上げ

て問題をはぐらかす。どちらの国も国民は格差社会への強烈な

不満を抱えている。例えば、韓国の李明博前大統領の5年間の

在任期間は、最後の年を除けば、彼が在日二世であることから

概ね親日的な関係を築くことができて日韓関係は戦後では最も

友好的な交流が育まれた。日本からも多くの旅行者が韓国を訪

れさまざまな文化交流が花開いて韓流ブームが起こり、韓国で

も日本の先進技術を学ぼうとする直向きな姿勢が窺がえた。誰

もが二国間の雪解けは確かなものだと確信した政権末期に、宗

族は国家に優先する儒教社会の韓国ではお決まりの政治行事の

ように、大統領親族による不正問題が暴露されて、国民の信頼

を失い花道を汚した大統領は、国民の批判の矛先を反日へとか

わす狙いから豹変して日本との間で領有権争いをする竹島上陸

を敢行した。当時の野田総理は「いったいどうしちゃったの?」

と、それまで築き上げてきた友好関係を台無しにするちゃぶ台

返しに目を白黒させていた。このようにして、数多の権力者た

ちは国内政治への不満が嵩じてくると、その不満を国外との緊

張に目を向けさせて逸らそうとしてきた。それは何も韓国や中

国に限ったことではなく、古くはわが国でも、天下統一を果た

した豊臣秀吉は戦がなくなり立身出世の武勲を挙げる機会を奪

われた武士たちのストレスを朝鮮出兵に求めたし、明治維新で

は身分を奪われた士族の不満を国外に向けさせる狙いから征韓

論が説かれた。つまり、近隣国の俄かに強硬になった対日姿勢

は、単純に領土領海を巡る縄張り争いが国家挙げての喫緊の政

治課題だというよりは、実は、政治に対する国民の不満を発散

させるために権力者が仕組んだ対立であり、われわれは武力を

ちらつかせて威嚇してくる対立国の国情をよく見極めて対応し

なければならない。国内政治への不満を反日感情へと転換させ

ないためにも冷静な判断を失ってはならない。マス・メディアは一

部の過激な行動や言論といった出来事ばかりを取り上げるが、

報道とは事件報道のことであり何も起こらなかったことなど取り

上げない。しかし、何れの国民も大半はまず生活することが第一

で、それは我が国と言えども同じことで、血を吐かんばかりに愛

国を訴える者たちを横目で眺めながらマーケットの特売を求めて

足早に通り過ぎるそれらの人々が居ることを忘れてはいけないと

思う。それにしても新年早々、世界は殺し合うことの躊躇いを失っ

てしまったように到るところで銃声と爆音が鳴り響いている。世界

のグローバル化は地域の繋がりを崩壊させ、パンドラの函を開け

たように世界中に地域紛争をもたらしただけではないか。2013年

は世界平和が終焉を迎える年となってしまうのだろうか?なんか気

が滅入る。音声をマックスにしてこう叫びたい、

「人よ、寛(ゆるや)かであれ!」


                        (おわり)


「覇権国家・中国」

2013-02-02 08:19:39 | 「パラダイムシフト」



          「覇権国家・中国」


 あまり仮定のことを言いたくはないが、中国は政治的にも経

済的にもそんなに持たないと思う。このまま何年にも亘って今

の経済発展を続けることなどまず出来ないだろう。いや、それ

どこか既に社会のいたるところで経済格差への不満が拡大し

ている。中国の覇権主義は国内に充満する不満を外へ吐き出

させるための装置である。それは、かつての日本帝国が辿った

道を思い起こさせる。覇権主義である限り中国が易々と主張を

取り下げることはないだろう。そして、覇権主義である限り、

まず中国の方から何らかの機会を狙って行動してくるだろう。

かつて私は、台湾がその先例になると思っていたが、すでに台

湾は経済的な利害から大陸に呑み込まれたと思う。地図を見

れば明らかで、中国の尖閣諸島への執拗な接近は台湾との間で

何らかの合意がなけばできないと思うからだ。そこで、南沙諸

島の領有権を巡る中国政府の手口が尖閣諸島でも繰り返される

という専門家の意見は頷ける。蠅でもコソ泥でも狙った獲物の

周りを何度もうろついて確かめるのは略奪者の本能である。中

国はその機会を窺がっているのは間違いないだろう。ただ、私

はこれまでの日本政府の慎重な対応がそれほど拙かったとは思

わない。確かにいくつかの不手際はあったかもしれないが、中

国に尖閣諸島を占領するための武力行使のきっかけを与えるほ

どの軽率な行動はして来なかった。石原前東京都知事が言うよ

うに、自衛隊が上陸して領有権を主張してくれた方が、中国当局

にとっては、国民の政権に向けられる批判を反日運動へとかわす

ことができて、しかも、その国内世論を背景にして強権発動もし易

かったのではないだろうか。前都知事がそれもわざわざアメリカで

発言した都による尖閣諸島の土地の買い取り話が国有化へと推

移して、中国当局による9.11の反日デモを仕掛けるきっかけを

与えた。われわれはつい目の前の対立に目を奪われてしまうが、

中国国内に目を遣れば、様々な問題が表面化していて、もし経済

状況が悪化すれば忽ち国民の不満が一気に噴出して国内は混乱

し隣国との領有権争いどころではなくなるだろう。共産党一党独裁

政権が最も恐れているのは国民による民主化運動なのだ。それは、

ソ連崩壊時のような民族国家独立の乱立さえ生まれるかもしれない。

われわれは、中国国民の反日感情を煽って領土拡大を目論む中国

政府とは面と向かって覇権を競わずに、豊かさを知った国民が民主

化と自由を求める運動で指導するであろう活動家たちや、自治権を

奪われて民族の伝統文化を蔑ろにされた自治区の指導者たちを支

援する方が、つまり、中国のゴルバチョフ、いや明日の孫文たちの

活動を支援する方が、わが国の領土領海を守るための最も効果的

な方法ではないだろうか。


                                (おわり)


「人よ、寛(ゆるや)かなれ」

2013-02-01 03:44:42 | 従って、本来の「ブログ」



        「人よ、寛(ゆるや)かなれ」



 本は読むためのもので飾るためにあるのではないという信念

から読まなくなった本は大方処分したが、「そうだ!」、確か

ボードレールだったと思うが部屋には一冊の本も置かずに思索

に耽ったと何かで読んだことがあったからかもしれないが、そ

れでも、どうしても捨てられずにニコチンで燻製のように茶色

く変色した本棚を眺めていると、ふと、若い頃に読み耽った金

子光晴の本が眼に留まった。私は、どうしてか言葉から生まれ

る詩情に疎くって、たとえば、中原中也の詩を読んでも未だに

何が言いたいのかよく解らずにいるくらいで、もちろん金子光

晴も詩人として作品を遺した人だったので、読んだ記憶があっ

ても一編の詩も浮かび上がって来ないで、「確か、蛾だったよ

な」くらいで、そんなことだからおそらく彼の詩集は処分して

しまったに違いないが、ただ、一冊だけ残された「人よ、寛(

ゆるや)かなれ」と題された随筆が目に留まった。これも題名だ

けが気に入って辛うじて手元に残ったが、その内容については

まったく忘れてしまった。さっそく中を開いて読んでみたが、

その人と為りは甦ってきたが然したる想いはなかった。つまり、

私には、「人よ、寛(ゆるや)かなれ」という題名だけが彼のメ

ッセージとして残されていた。

 今日は情報技術の飛躍的な発展によって、伝わってくるニュ

ースや社会の在り方について、過ちが許されない世知辛いモラ

ルが近代人を縛っている。何気ない呟きさえも全世界の人々に

まで知れ渡り非難される。何もかもが整ってないといけなくて、

油断して階段を踏み外した者は抹殺されるバトル社会である。

しかし、われわれとはそんな確立した存在だろうか?少なくと

も私は、ゴミの分別さえ出来ない分別のないだらしない人間で

ある。欠伸さえも気兼ねなくできない社会で「人よ、寛(ゆるや)

かなれ」という言葉ほど私の心を緩ませるメッセージはない。

それにしても、いったいわたし達は何処へ急いでいるのだろうか?

 その随筆の中で彼は、「われわれは、すぐに極限に走る傾向

があって、余裕が少ない。」と言いながらも世界中を放浪して

きた経験から、「それも、日本人だけに限ったことではなく、

どこの民族でも、多少、ニュアンスのあらわれかたがちがうだ

けでぎりぎりのところで人間がそれぞれもっているもので、時

には、その熱っこさにびっくりすることがあった。」そして、

「中国人の二重底性格にも、一面拳から血を流すまで机をたた

いて、じぶんを通そうとして議論をしている若者たちがいて、

議論の主旨も寛大さを欠き、一方的な憎悪をかきたてていた。」

さらに、さまざまな民族に於いても、他人を排他することで自

分を正当化しようとする偏狭で利己的な論理の不条理に暗然と

した。当時(1974年)はまだ米ソ冷戦の最中で、ベトナム戦争、

中東紛争の悲劇が世界を不安に陥れていたが、その解決を探

るために繰り返し会議を重ねても、「その解決の埒があくのがお

そい」「そのわけは各国の政治人の、それらの国を代表した言い

分が、――もちろんその国々の全体の人々の意見が利我的で、

すこしの損もしまいとがんばれるだけがんばることで、解決が長

引く。」「その延び延びのあいだに、多くのいのちがなくなった悲劇

が、人間精神の今日の欠落を指摘しているにもかかわらず、だれ

にも、なにほどのこともできないようである。」「そして、これはどうや

ら逆に、個人の賦活、ひとりひとりの精神生活の反省がされなけれ

ば、悲劇はなくならないのではないかとおもうと、僕は、全身の血が

退いていくおもいがする。」 と語っている。

金子光晴『人よ、寛かなれ』より

 果たして、われわれは、寛(ゆるや)かであるだろうか?


                       (おわり)