ロビンの観劇日記

芝居やオペラの感想を書いています。シェイクスピアが何より好きです💖

アイ・アム・マイ・オウン・ワイフ

2010-02-22 14:34:42 | 芝居
2月16日吉祥寺シアターでダグ・ライト作「アイ・アム・マイ・オウン・ワイフ」を観た(劇団「燐光群」、坂手洋二演出)。

これは、演出家によれば「現代アメリカの劇作家が、ベルリンの戦中戦後を生きた実在の人物シャーロッテ・フォン・マールスドルフの世界を描く」芝居である。
舞台は「彼女」の集めたアンティーク家具の博物館と地下の秘密バー。作家は彼女の元に何度も通い、波瀾万丈の半生を聴き、そのインタビューをもとに一人芝居を書いた。今回はそれを16人で演じ分けるという。
題名から分かるように、彼女はゲイであり、女装している。彼女の大事なものは「1にMuseum(博物館)、 2にMöbel(家具)、 3にMänner(男たち) 」。

脚本はさすがトニー賞とピューリツァー賞を受賞しただけあって、文句なしに面白い。

役者たちは全員(女も男も)黒のロングスカートに上も黒で、パールのネックレス姿。劇場に入るとそういう格好をした男優の一人が近づいてきて、にこやかに「お席にご案内します」と言うのだ・・・。おお、そこはすでに非日常の異空間だった。

不幸な少年時代、暴力的な父、男装でレズビアンの伯母から進むべき道を示されたというエピソード、戦時中はナチスと、戦後は東ドイツの秘密警察といかにやり合ったか、という話、店での出来事・・・。
彼女の店での人々の振る舞いを聴くと、「かもめ」のアルカージナよろしく「ふん、デカダンね!」と吐き捨てたくなるが、しかし、次第に彼女の実像は曖昧になってくる。彼女の話はどこまでが真実なのか。後半マスコミに取り上げられて騒ぎになり、毀誉褒貶に晒され・・・。
どんな時代でも人は生きて行かねばならない。そしてもし普通と違った志向を持っていたとしたら・・・。

役者たちは皆よく訓練されており、声もよく通る。
群舞(?)と言うか、16人の役者たちがそろって計算された通りに動くのはいいが、なぜそういうことをするのか。たぶんセリフの応酬だけでは観客が退屈するだろうというサービス精神からに違いない。しかし元々一人芝居として書かれた作品だから、オフブロードウェイでの初演の時はこんなものはなかったはずだ。次はぜひ一人芝居バージョンを観てみたい。日本でそれが可能だろうか。

音楽は場面ごとに適切に選ばれていて効果的。
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2009年の芝居の回顧

2010-02-17 20:08:26 | 回顧
ちょっと遅くなったが、昨年観た芝居の総括をしておこうと思う。ついでに書き忘れたこともここで書いておきたい。

①「ヘンリー六世」(11月)鵜山仁演出 新国立劇場 
     まずは何と言ってもこれ。日本初演ではないが、ほぼそれに近い画期的な公演。 中嶋朋子という役者も発見できた。

②「ユートピアの岸へ」(9月)ストッパード作 シアターコクーン
     日本初演。これも9時間の大作だが、全く飽きさせない作品の力は大したものだ。

③劇団「プロペラ」の「ヴェニスの商人」と「夏の夜の夢」(7月) 東京芸術劇場中ホール 
     女優がいないのは残念だが、”Thysby, or not Thysby ・・”というギャグは忘れられない。実に楽しい連中だ。


④「リチャード三世」(1月)いのうえひでのり演出 赤坂ACTシアター
     古田新太はTVでは「怒りっぽいが根は人のいいおっさん」とか「一見いい加減だが実は親切な男」などという役が多い。実は何を隠そう私は彼のファンなのだが、その彼がリチャード三世をやると知って、一体どんなリチャードになるのか想像もつかなかったが、根っからの悪人はやはりこの人には似合わないようだ。軽い。だがコミカルな味が生きる場面もあった。長い付き合いの演出家が彼をうまく使ったのだろう。この話が来た時は本人も驚いたのではないだろうか。それとも劇団「新感線」ではこういう役を普通にやっているのだろうか。
     女優陣については既に書いた通り、三田和代・銀粉蝶・久世星佳とすごい役者がそろっていて実に見応え、聴き応えがあった。 
 それから一つ発見したこと。いわゆるヘビメタという音楽が全然いやじゃなくて、むしろ胸に迫ってきたので我ながらびっくり。

⑤「犀」(4月)イヨネスコ作 文学座 松本祐子演出
      特に後半の緊迫感が素晴しい。

⑥「海をゆく者」(12月)マクファーソン作 栗山民也演出
      小品ながら忘れ難い味わいがある。この作者の他の作品も観てみたい。アイルランドからは時々すごい人が出てくる。

⑦「ムサシ」(3月)井上ひさし作 蜷川幸雄演出 彩の国さいたま芸術劇場大ホール
      いやだいやだと言いながら去年も結局彼の作品を3つも観てしまった。だが他の作品と違ってこれは音楽(宮川彬良)がよかった。ただし途中、わざわざ埼玉まで来てただのドツキ漫才なんか見たくない、と思うところもあったが・・。
劇中の踊りの音楽と振り付けが素晴しい。これだけでも観る価値あり。舞台美術(中越司)も目が洗われるようだ。          
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岸田國士小品選

2010-02-10 21:32:30 | 芝居
1月25日新国立劇場小劇場で、岸田國士小品選を観た(西川信廣演出)。

「紙風船」「葉桜」「留守」の3篇。この順番がいい。

一つ目の「紙風船」の夫婦(若松泰弘と麻丘めぐみ)の会話には驚いた。この二人、新婚二年目だというのにそろって「日曜日が怖い」と言う。最後まで二人の会話を聞いていても何が何だかさっぱり分からない。何だかフランス映画の中の夫婦のようだと思い、チラシをよく読むと、作者は東大の仏文を出てフランスに留学し、かの地で演劇を学んだ由。それで謎が解けた。これは舞台装置を見ると日本の話のようだが、実はそうではなかったのだ。作者は人間心理の細かいひだに分け入って、ドライに冷徹に分析して見せるフランス流の作劇術に魅了されたのだろうが、残念ながらそれは日本人の心性には合わないようだ。

二つ目の「葉桜」。お見合いをした娘(村井麻友美)とその母(音無美紀子)。母はその男の態度が気に入らないのでこの縁談には乗り気でない。娘は男が特に娘の気持ちを尋ねることもなく、好きだとも言わないことにやや不満はあるが、母が「この話は断るよ、いいね」と念を押してもはっきりいいとは答えない。母は歯がゆがって何とか娘の気持ちを聞き出そうとする。さすが年の功で、母が上手に微妙なことを打ち明けられる雰囲気にもってゆくと、娘はついに母の耳元でささやくのだ、二人の間にあったことを。母がショックを受けるや彼女は「うそようそよ」と必死で打ち消そうとする。それがたまらなくいじらしい。
母はその瞬間覚悟を決める。「私は始めっからあんたとあの人を夫婦にするつもりだったのよ」と心にもないことを言って娘を抱き締めるが、涙は押さえても押さえ切れない。
ああ、昔はそうだったろう。今ならどうということもないのに。本当に女にとっていい時代になったものだ。無理に結婚しなくても、他にいくらでも生きる道があるのだから。
葉桜の下で二人はどこまでいったのだろう。

西洋への憧れが強く描かれる。「活動」を見て女性が大事にされているのを知ったのだろう。「西洋はいいねえ」と母。「日本間と西洋間ではどちらが好きですか」と男に聞かれて娘は「そりゃあ西洋間の方が好きですわ」と答えた、と言う。

母は19歳で嫁に来た。娘も今その年になった。母の頃の結婚よりはずっとましだとは言え、相手の男は資産家の親の言いなりで職もなく、女性に対しては手は早いが誠意を見せることを知らない。彼女の行く末が思いやられる。
彼女は情け無いほど無知で無力だ。例えば、情報交換できるような女友達とかいないのだろうか。

二人の女優は実の母娘だ。それがやり易いんだかやりにくいんだか分からないが、共演できてすこぶる嬉しそうだった。

三つ目の「留守」。音無美紀子の変貌にあっと言わされた。始め同じ人とは気がつかなかった位だ。うまい。そしてその演技を自ら楽しんでいる。観ている我々も実に楽しかった。
或る家の女中お八重(麻丘めぐみ)が、主人のいない間に隣の家の女中おしま(音無美紀子)を呼んでおしゃべりしている。お八重は「遊ぼうよう」と言う。まだそれ位若いのだ。
それぞれの主人達の話、町内の噂話・・・。そこに八百屋の青年(若松泰弘)がやって来ると、調子のいいおしまは彼を部屋に招き入れ、挙句は寿司の出前を頼んで・・・。
若い八百屋とお八重のこれからを観客に淡く期待させつつ芝居は終わる。
若松泰弘はどこかで観たと思ったら、'07年に紀伊国屋ホールで「ぬけがら」の主役をやった人だった。声がいい。
麻丘めぐみはずっと昔歌手だった頃しか知らなかったが、いつの間にか立派な役者になったようだ。


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按針 (ANJIN )

2010-02-01 13:20:54 | 芝居
1月18日天王洲銀河劇場で、「按針 (ANJIN) 」を観た(脚本:マイク・ポウルトン、演出:グレゴリー・ドーラン)。

嵐で日本に漂着したウィリアム・アダムス(三浦按針)を主役に据えて、戦国時代から徳川時代にかけての日本における彼の運命、家康との交流、外国人商人や宣教師との葛藤・・・を描き出す、意欲的な歴史劇。その楽日を観た。

家康役の市村正親は安心して耳を傾けることのできる数少ない役者の一人だ。声がいい。
按針役のオーウェン・ティールは雰囲気はぴったりだが、演技がやや単調。祖国イギリスに残してきた妻スザンヌと現地妻お雪との間で苦悩する姿も共感を呼ばない(これは脚本のせいでもあるが)。
宣教師ドメニコ役の藤原竜也は英語もなかなかいい。この男、実は北條氏の末裔という設定で、後半腰に刀を差して侍姿になり言葉遣いも武士に戻ると、途端に生き生きしてくる。
淀君役の床嶋佳子が素晴しい。声も張りがあって美しく、誇り高い奥方を毅然と演じた。

全体に細切れのシーンが多過ぎて散漫な印象。脚本が凡庸。時にコミカルなシーンがあって救われるが、ストーリーもセリフもお定まりのものばかりで新鮮味に欠ける。人物像がいささかステレオタイプ(特に淀君、お雪など)。
ただ、家康が西洋の学問や文化を貪欲なほど吸収しようとした好奇心溢れる人物だったとか、知らなかったこともあり、今までのイメージが少し変わった。

題名は「家康と按針」の方がいいかも。主役であるはずの按針のいない、家康のシーンのほうに、むしろ見所が多いのだから。


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