ロビンの観劇日記

芝居やオペラの感想を書いています。シェイクスピアが何より好きです💖

「凍える」

2022-10-21 23:08:40 | 芝居
10月11日パルコ劇場で、ブライオニー・レイヴァリー作「凍える」を見た(演出:栗山民也)。




10歳の少女ローナが行方不明になった。それから20年後、連続幼女殺害犯が逮捕された。
犯人のラルフ(坂本昌行)にローナの母ナンシー(長野里美)、精神科医アニータ(鈴木杏)がそれぞれ対峙する。

2004年トニー賞演劇作品賞ノミネート作品の由。ネタバレあります注意!

舞台は奥から客席に向かって白い通路、それと交差するように横にも白い通路。
左側の壁か正面奥の壁に、場面ごとに短いタイトルが映し出される。

アイスランド系米国人のアニータは、パンツスーツ姿でカートを引き、自分の部屋の一つ一つに別れを告げる。
旅行にしては大げさだ。引っ越しなのだろうか。
が、途中で急に嗚咽を漏らし、床を転げて苦しむ。
「ダメ!もう飛行機が出ちゃう!」大声を聞かれないためか、バッグの中に嗚咽する。
しばらくして「もう大丈夫。よし!」と歩き出す。
この人、どこかおかしい!

ナンシー登場。事件当日のことを語り出す。長女イングリッドと次女ローナ。近所に住む祖母の家に、ローナは一人で花ばさみを持って出かけた・・。

次にラルフ登場。やはり当日のことを思い出して語る。
女の子が一人で歩いていたので「こんにちは」と声をかけたが、返事をしてくれない。
それでもしつこく「こんにちは」と言い続けると、8回目か9回目にやっと返事をしてくれた。
嬉しくなってバンに誘うと、乗ってくれたので、鍵のかかる小屋に連れ込んだ・・・。

このように、劇は大部分、この3人のモノローグで進行する。

アニータは英国に向かう飛行機の中で、パソコンで同僚にメールを打っている。
その文面が壁に映し出される。
だがやはり、その言動は奇妙で、この人物が何らかの精神の異常を抱えているのではないかと思わせる。

ナンシーは、行方不明の子を持つ親たちの会に入り、PTAなどで講演する。
「変な話だけど、これが天職かしら、と思う」「こういうことしてる時だけ生きてるって感じるの」

ラルフは、部屋に警察が来たが、何も出なかったと言う。彼は大家の女性に出て行ってくれ、と言われて引っ越す。
幼児性愛のビデオテープ(わざわざ外国から取り寄せた)をたくさん持っている。彼の所持品の大部分がこれ。

アニータは英国で講演する。彼女の専門は犯罪者の脳の研究。壁に脳の図や論文が映し出される。

アニータはラルフと面談する。
ラルフは体に触られることを極端に恐れる。
F で始まる言葉を思いつくだけ言ってと言うと、FOUR, FARM , FUCK の3つの単語しか口に出来ず、それらを何度も繰り返す。
こういう人も、例えば「スーパーで買い物するから商品を15コ挙げて」と言うと、ちゃんとできるらしい。
物を限定されれば、言えるという。
だが、自由に言葉を挙げて、と言われると、できない。
この場合も、単語を9つ以下しか挙げられない場合は、脳に問題があるという。
(評者は観劇後、早速やってみたが、幸い F ならばたくさん挙げることができた。
英語の場合、例えば Q とか Z とかで始まる単語は少ないので、この実験では F や S を使うのだろう)

アニータは、ラルフと面談中、彼の足が悪いことを発見する。
いつ怪我したのか尋ねると、いろいろ出まかせを言ってごまかす。
子供の頃のことを聞くと、適当にでたらめを話すが、父親のことを聞くと、ガタガタ震え出す。
彼女が思った通り、彼は幼児期に義父たちから性的虐待を受けていた。

アニータの研究によると、幼児期の虐待によって、脳は損傷を受ける。
前頭葉も海馬も2割ほど縮小し、その結果、善悪の判断ができなくなり、コミュニケーション能力も欠ける。
そして、自分に都合のいいように相手の気持ちを解釈してしまう。
例えば、少女が嫌がっているのに気がつかず、自分はその子に好かれていると勘違いする・・・。

アニータは講演で語る。
「この理論は、残念ながら世間に広く認められはしないでしょう。なぜなら、善悪の基準、犯罪、罪の概念が、根本から変わってしまうからです」

ラルフは義父たちに性的暴行を受け続けたために、脳に障害を負っていた。
真に罪深いのは、その義父たちなのに、彼らのやったことは家庭内の暴力ゆえ、彼らは裁かれることがない。
この青年は加害者だが、同時に被害者でもある。
まったくやりきれない重苦しいテーマではあるが、あまり知られていないことも多く、観客は舞台から目が離せない。

ナンシーは平凡な主婦のようだが、知的な人。
長女に背中を押され、ラルフと面会すると、昔家族で撮った写真を何枚も見せる。
その時は、ラルフも自然な会話ができた。
その後、彼に父親のことを尋ね、彼が苦しみ出すと、ローナの写真を見せて「ローナも苦しかったのよ」と言う。
ラルフはその時初めて、自分のしたことの意味を、おぼろげながら悟ったのかも知れない・・・。

役者は3人とも達者な演技。
ラルフ役の坂本昌行は初めて見たが、その熱演ぶりに驚かされた。
たぶん研究熱心な人なのだろう。
ただ、残念ながら滑舌があまりよくなく、下を向いて話す時などセリフが聞き取れなかった。

戯曲としては、冒頭のアニータのシーンが奇妙だ。
友人の夫と寝てしまったために、頭も心も混乱していることが原因らしいが、それだけとはとても思えない。
いきなり異常な振る舞いを見せられて、観客は「この人、どこかおかしい!何か病気持ってる」と思ってしまう。
飛行機の中でも異常な言動は続く。
だが英国に着いてからは、精神科医として講演を行い、シリアルキラー・ラルフとプロらしく慣れた態度で面会し、彼の精神状態を冷静に分析する。
その落差が腑に落ちない。
作者としては、ただ専門家が犯罪者を分析するだけでは単調になる、と思ったのだろうが、むしろ焦点がぼやけてしまうのでは?
そこが、戯曲としては惜しいと思う。

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「ガラスの動物園」

2022-10-12 10:25:56 | 芝居
9月28日 新国立劇場中劇場で、テネシー・ウィリアムズ作「ガラスの動物園」を見た(演出:イヴォ・ヴァン・ホーヴェ)。



新国立劇場の海外招聘公演。仏語上演、日本語と英語の字幕付き。

不況時代のアメリカ、セントルイスの裏町のアパートで、母と娘と息子がひっそりと暮らしている。
母アマンダは昔の華やかな思い出が忘れられない。娘ローラは高校中退、専門学校も辞めてしまい、家に引きこもっている。
弟トムは倉庫で働いて、家族のために家賃を払っているが、鬱屈した思いを抱えて詩を書いている。
娘の将来を心配した母は、トムに、誰かいい男性を連れて来るようにと頼む。
トムは同僚のジムを連れて来るが・・。

英語やドイツ語とはまた違った、短くて鋭い響きのフランス語が美しく魅力的。

冒頭、母親(イザベル・ユペール)はキッチンで料理をしながら盛んに子供たちに話しかけ、自分でも立ったまま食べ、飲み、動き回る。
そのエネルギーに圧倒される。しかも早口!
そして食べ物は全部本物。シリアルもミルクも。
蒸発した父の肖像画が壁にかかっているはずが、ないのが困る。セリフにも出てくるのに。
ソファと椅子がないのも不自然。
だから役者たちはキッチンのカウンターに座ったり、舞台の端(客席の真正面)に座ったりする。これもまた不自然。
なぜ椅子とソファを置かないのか分からない。

雨が振り出すと、母と息子は慣れた様子で空き缶やコップをいくつも取り出し、雨漏りが垂れる床に置く。

4人全員に共感できるし、感情移入できるというのが、やはり名作。
母親の言動も少々喜劇的に見えかねないが、それでも娘の将来を心配してのことだから、とても笑えない。
よい暮らしと輝かしい青春時代を謳歌していた彼女が、思いがけず没落してからも、かつての栄光の日々を語るのは、仕方ないことだろう。
しょっちゅう聞かされる子供たちは可哀想だが。

かつて学校で、ジム(シリル・ゲイユ)はローラ(ジュスティーヌ・バシュレ)のことを「ブルーローズ」と呼んでいた。
そのことをローラが言うと、ジムは大声で「ブルーローズ!」と言いつつ飛び上がる。すぐに思い出したようだ。

戯曲が普遍的ということ。だから4人の登場人物全員に共感しかない。これはすごいことだ。
そのことを今回、改めて思った。

ただ、中劇場は、この芝居には大き過ぎた。

フランスの俳優たちが、米国の芝居を、なぜわざわざ日本に持って来てフランス語でやるのか、と当初は違和感があったが、
これは、イザベル・ユペールの驚くべき演技を目撃できるというめったにないチャンスだった。
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「住所まちがい」

2022-10-03 22:32:41 | 芝居
9月26日世田谷パブリックシアターで、ルイージ・ルナーリ作「住所まちがい」を見た(上演台本・演出:白井晃)。



ネタバレあります注意!
1990年初演の作品。今回が日本初演の由。
この日はその初日。
舞台は壁も床も家具もドアもすべて白、白、白!(美術:松井るみ)。
上手と下手にそれぞれドアがあり、客席側にも一つ、見えないドアがあるという設定。正面に大きな窓、その左手にトイレ。
左側にデスクと椅子、右側にカウチ、右手奥に冷蔵庫。

最初に会社経営者・仲村(仲村トオル)が客席の通路を通って客席側のドアから入る。
彼は、ある女性と密会する約束をしていて(しかも初デート)、ここを会員制のクラブだと思っている。
次に左のドアから元警察官で警備員の渡辺(渡辺いっけい)が入って来る。
彼は仕事で、とある事務所にやって来たはずだった。
最後に大学教授・田中(田中哲司)が右手ドアから入って来る。
彼はここを出版社だと思っていて、もうすぐ出版される自分の本のゲラを受け取りに来たのだった。
三人は、それぞれ自分でない役者の名前を名乗る(!)。例えば、渡辺いっけいが「仲村です」という風に。
・・なお、面倒なので、これから彼らのことは役者の実際の名前で書くことにする。
みな、目指す住所が違う。
三人とも自分が間違ったかと思い、建物の入り口まで戻るが、そこにはやはり、ちゃんと目指す団体の名前と住所が書いてあるという。
仕方がないので、みな諦めて帰ろうとすると、今度はドアが開かない。
閉じ込められた!と慌てるが、いろいろ試してみると、それぞれ自分が入って来たドアからは出られる(つまりドアが開く)、と分かる。
一体どうなっているのか?!
田中は、いったん外に出る。
仲村が「ビールが飲みたいなあ」と言いつつ冷蔵庫を開けると、幸いビールが何本も冷えている。
渡辺が「僕はビールじゃなくてオレンジジュースがいいなあ」と言いながら開けると、あ~ら不思議、今度はビールはなくジュースがたくさん入っている!
この冷蔵庫は一体どうなっているのか?!

田中が土砂降りにあったと言って、ずぶ濡れで戻って来る。
他の二人は窓から外を見ていたが、空は晴れていて、雨など全然降っていなかった!
何なんだ一体?!
田中は何か飲むかと聞かれて、温かいココアが欲しい、と言う。
それはさすがにない、と言われながらも田中が冷蔵庫を開けると、何とココアがあった!しかも温かい!
一体どうなっているんだ?!

警戒警報が発令され、外出禁止となる。
三人で一夜を過ごすことになり、彼らは冷蔵庫の謎を理論的に説明しようとし、また雨の謎を解こうとする。
その時、電話が鳴る。
彼らは、このわけのわからない状況を誰かが説明してくれるかもと期待するが、ただの間違い電話だった。
渡辺と田中はカードを始めるが、田中はまるで下手で負け続ける。
手持ち無沙汰な仲村はデスクの上にあったリオデジャネイロの住所録を読んでいるが、突然、恐怖に陥る。
そこに自分の名前が載っていたのだ!さらに渡辺の名前も田中の名前も載っていた。
表紙をよく見ると、「リオデジャネイロ」ではなく「リオジャネーゾ」とあった・・・(笑)。
これは、これから死ぬ人間のリストだ、とおびえる三人。
渡辺がジョークを話そう、と言って長い話を始めるが、オチが仲村には全然面白くない。
田中は哲学者たちの言葉を列挙する。
話はなぜかいつも死についての話になり、次いで罪と神の問題についての議論が始まる。
悪いことをした男が「私がなぜこんなことをやったのか?それは私が私だからです」と言う。
彼は神に向かって「なぜ私をこんな風に造ったんです?」と言う。
つまり、悪事はその人間を造った神の責任なんじゃないか、という理屈だ。

突然物音がして、床が一部割れ、下から白い光が部屋の中に差し込み、床下から掃除婦(朝海ひかる)登場!
バケツとブラシと箒を持っている。
みなあっけにとられる。

掃除婦は、冷蔵庫を開け、当たり前のように洗剤(アリエール)を取り出してほほ笑む。
三人は彼女を神あるいは神の使い(聖霊)じゃないかと思い、仕事を手伝おうと申し出る。
女はみんなの親切に感謝し、「じゃあ私はちょっくら休もうかね」とカウチに横になってくつろぐ。
さらに、冷蔵庫からシェリー酒とグラスを出して来て飲み、新聞を広げて読む。

そんな彼女に向かって、三人はそれぞれ告白を始める。
実は、仲村も田中も脱税したことがあった。
仲村は、かつて20人の従業員を一度にクビにしたことがあった。
自分のこれまでの道のりを語っているうちに、そのことを思い出し、「それかあ・・」とうなだれる仲村。
女「うちの息子と同じさ。息子もクビになってね。始めはみんなちやほやしてたのに」
「十字架にかけられたのさ」(!)
女の言葉はいちいち深い意味があるようにもとれる。
そもそも彼女の最初の言葉「ここを掃除しに来ました」、この言葉には、実は深い意味があるのではないか、と一人が言い出す。
「一人息子がいてね」
一人がおずおずと質問する「息子さんは大工ですか?」
「いや」というので彼らが一瞬ほっとすると、「息子の父親が大工でね」(!)
そう、ナザレのイエスは正確には大工ではない。
彼の母(マリア)を妻に迎えたヨセフが大工なのだ。
てことは、やっぱりこの女性は聖母マリア!?
彼らの興奮と怯えは頂点に達する。
仲村は彼女の前にひざまずき、彼女に取りすがって言う。
「実は今まで教会に一度も行ったことがないんです。でもこれからは行きます!」・・・
この後も、目の覚めるようなことが起こったりするのだが・・・

舞台を日本に移して大胆に書き換えたという白井晃の上演台本が秀逸。
シェイクスピアの上演台本は断固ご免こうむるが、こういう台本は大歓迎だ。
塩野七生、佐藤愛子、上野千鶴子、宇野千代、相田みつを等々の名前が舞台を飛び交う。
どうやら元の戯曲には、日本では知られていない現代作家たちの名前が頻出するようだ。
そんなのをそのまま訳したって我々にはさっぱりわからないんだから、これでいいんです。

ただ一点、ルターの言葉として「たとえ明日世界が滅びるとしても、私はリンゴの種を蒔こう」というセリフがあったが、
正確には「リンゴの木を植えよう」だ。
そもそもリンゴは種を蒔くものではないでしょう。
ちなみに、この言葉はただの伝説であり、いかにもルターが言いそうな言葉ではあるが、彼が言ったという証拠は残っていない。

役者たちはみな好演。
キャスティングもいい。この4人の組み合わせが何とも言えずいい。
仲村トオルの舞台は初めて見たが、なかなかどうしてうまいものだ。
特に渡辺いっけいは役柄にぴったり。

白井晃と言えば、初めてその名前を知ったのは、テレビドラマ「王様のレストラン」(三谷幸喜脚本)でソムリエをやっていた時だから
もうだいぶ前のこと。
その後、彼が演出した作品も見たことがあるが、今回改めて、そのセンスと知性を見直した。
これからも期待してます。

まったく知らない作家の作品だったが、役者陣が魅力的(評者は朝海ひかるのファン)なので来てみたら、正解だった。
不条理劇ではあるが、実に面白い。




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