① Bonsai (盆栽)
昔、ロンドンの小さな英会話学校で、何の話の流れだったか、若い英国人講師が「あなたたち、ボンサイ持ってる?」と生徒たちに尋ねた。
というのも、生徒が全員日本人だったからだろう。5~6人いて、ほとんどが駐在員の奥さんだった。
私が他の人たちに聞くこともせず「いえ、私たち、まだそんな年じゃないので」と笑いながら軽く答えると、先生驚いて「えっ?ボンサイってお年寄りがするものなの!?」
と目を丸くしていた。1994年か95年のこと。
当時、ロンドンでも他の都市でも、あちこちの駅前でBonsai が売られていた。日本と違って、新しいものに敏感な若者たちに人気のようだった。
人が植物に手を加えて小宇宙を構成するという表現形式は、それまでの西洋社会になかったので興味津々らしい。「クール」ってことだろう。
その後も盆栽人気は続いていて、わざわざ日本まで買いに来る人たちもいるらしい。
② play second fiddle (セカンドバイオリンを弾く ⇒ 人の脇役を演じる)
昔アガサ・クリスティーの小説を読んでいたら、ある家でパーティが開かれていて、そこでいつもと違ったことが起き、「彼はセカンドバイオリンを弾いて
いるのだ」という表現が出てきて、ふーんと思った。
初めて見る言い回しだったが、その意味するところはすぐにわかった。パーティで、いつも会話の中心にいた男が、その夜は別の男に主役の座を奪われて
かすんでしまったということ。なるほどと思い、非常に印象的で忘れられない。
ところが先日、ある英和大辞典を見ていたら、この表現が載っていて「人の脇役を演じる、人を引き立てる」とあった。
では最近の翻訳家たちは、この表現を、こう訳してしまうのだろうか。そうかも知れない。
でも、元の表現の面白いニュアンスが消えてしまって残念な気もする。
昔、ロンドンの小さな英会話学校で、何の話の流れだったか、若い英国人講師が「あなたたち、ボンサイ持ってる?」と生徒たちに尋ねた。
というのも、生徒が全員日本人だったからだろう。5~6人いて、ほとんどが駐在員の奥さんだった。
私が他の人たちに聞くこともせず「いえ、私たち、まだそんな年じゃないので」と笑いながら軽く答えると、先生驚いて「えっ?ボンサイってお年寄りがするものなの!?」
と目を丸くしていた。1994年か95年のこと。
当時、ロンドンでも他の都市でも、あちこちの駅前でBonsai が売られていた。日本と違って、新しいものに敏感な若者たちに人気のようだった。
人が植物に手を加えて小宇宙を構成するという表現形式は、それまでの西洋社会になかったので興味津々らしい。「クール」ってことだろう。
その後も盆栽人気は続いていて、わざわざ日本まで買いに来る人たちもいるらしい。
② play second fiddle (セカンドバイオリンを弾く ⇒ 人の脇役を演じる)
昔アガサ・クリスティーの小説を読んでいたら、ある家でパーティが開かれていて、そこでいつもと違ったことが起き、「彼はセカンドバイオリンを弾いて
いるのだ」という表現が出てきて、ふーんと思った。
初めて見る言い回しだったが、その意味するところはすぐにわかった。パーティで、いつも会話の中心にいた男が、その夜は別の男に主役の座を奪われて
かすんでしまったということ。なるほどと思い、非常に印象的で忘れられない。
ところが先日、ある英和大辞典を見ていたら、この表現が載っていて「人の脇役を演じる、人を引き立てる」とあった。
では最近の翻訳家たちは、この表現を、こう訳してしまうのだろうか。そうかも知れない。
でも、元の表現の面白いニュアンスが消えてしまって残念な気もする。