ロビンの観劇日記

芝居やオペラの感想を書いています。シェイクスピアが何より好きです💖

「リチャード三世」

2017-11-21 11:20:53 | 芝居
10月18日東京芸術劇場 プレイハウスで、シェイクスピア作「リチャード三世」を見た(上演台本、演出:シルヴィウ・プルカレーテ)。

シェイクスピア全作中、最も胸躍るピカレスクロマン!破滅にむかって突き進む悪のヒーロー、リチャード三世を人気・実力共に最も充実する
佐々木蔵之介が演じる。演出は、圧倒的なビジュアルセンスと過剰なエネルギーが渦巻く舞台作りで「ルーマニアの蜷川」とも称すべき巨匠
プルカレーテ。日本の俳優への演出はこれが初めて!(速報チラシより)。

舞台は15世紀後半のイングランド。ランカスター家とヨーク家の王位争奪を中心とする貴族の争い(薔薇戦争)は続いている。
「歩いていると犬も吠えかかる」ほど醜く、しかし野心家のリチャードは、忠臣バッキンガムと共に周囲の人間を次々と陥れ、残虐非道な
企みに手を染めていく。自らが殺したヘンリー六世の王子の妻アンを手に入れ、友、先王の息子、王妃、実の兄と邪魔な人間を次々と
葬り去ったリチャードは、ついにイングランド王国を手に入れるが・・・(チラシより)。

翻訳は木下順二。これが不思議。松岡和子訳でもなく小田島訳でもなく、なぜよりによって木下順二訳を使うのだろうか?誰が決めたのだろう。
演出家は意図的に、日本人にあまり知られていない訳を使いたかった?

舞台は四方を天井から下げた布で覆ってある。石壁に囲まれた牢獄のよう。
冒頭はパーティ情景。黒ズボンに白シャツをだらしなく羽織った男たちが中央の長方形のテーブルを囲んでワインを飲み、ロックに合わせて
体を揺らしている。
最初の有名なセリフを、リチャード(佐々木蔵之介)はマイクを手にしゃべる。少々唐突。
プルカレーテの上演台本で、しかも元が木下訳なので、聞き慣れないセリフが多い。

ただ、役者たちは達者。
原作には登場しない代書人という役の渡辺美佐子以外、全員男性。
グレイ夫人エリザベス役の植本純米(潤改メ)は、驚いたことにカツラもつけず、つるつるのやかん頭で登場!個人的にはこういうのはあまり
好きではないが、次第に気にならなくなるのは大したもの。
マーガレット役の今井朋彦は女装姿が様になっており、ドキッとするほど美しいが、セリフは小声の部分が少し聞こえ辛い。
ヨーク公夫人役の壤晴彦は見た目は怖いおじさんだが、張りのある声がいい。

正面のカーテンがゆっくり上昇すると、扉がいくつも現れる。そこからリチャードに殺された人々が顔を覗かせ、リチャードを見ている。
次々にマイクを手にし、彼に対して恨みを述べ、最後は全員「この世に思いを絶って死ね!」と節をつけて歌う。実に爽快。気持ちいい。
このリズミカルな歌は、昔テレビ番組「セサミストリート」で流れていた、1から10までの数え歌にちょっと似ている。
今気がついた。ひょっとしたら、ここでこの歌を歌いたいがために、木下訳を使ったのか!?
だって小田島訳は「絶望して死ね」で、この曲に合わないから。

リチャードの敵であるリッチモンドにも亡霊たちがやって来て、こちらは反対に「生きて栄えよ」と語りかけるのだが、そっちは全部省略。

ラストは車椅子が出てきて、それに座ったリチャードに、老婆がタバコとピストルを渡し、リチャードは自殺する。
この終わり方はどんなものか。原作では戦場でリッチモンドに打ち取られるのだが。
やはり奇をてらっている?

プルカレーテと言えば、20年位前(!)、東京グローブ座で彼の演出する「テンペスト」を見たことがあった。
あれも相当変わっていた。
上演開始直前までお客は客席に入れず、俳優たちが客席側から登場した後、やっと入れてもらえたり、冒頭の嵐のシーンを全部ナレーションで
済ませたり、最初の方でプロスペローを人形にしてみたり。
この人は一貫して風変わりだ。そして過剰なエネルギーが渦巻く舞台というのも変わっていない。
変わった人の、変わらぬ姿が見られた。
だが今回の作品は、役者たちもよく、楽しかった。
主演の佐々木蔵之介もよかった。

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「トロイ戦争は終わらない」

2017-11-09 23:22:01 | 芝居
10月6日新国王劇場中劇場で、ジャン・ジロドゥ作「トロイ戦争は終わらない」を見た(演出:栗山民也、翻訳:岩切正一郎)。

新国立劇場開場20周年記念公演。

ようやく平和が訪れたトロイの国。長年にわたる戦争を終焉に導いた英雄、トロイの王子エクトールは、妻アンドロマックの元へ帰還し平安を喜ぶ。
しかしエクトールの弟パリスはギリシャの王妃である絶世の美女エレーヌに魅了され、彼女をトロイへ誘拐してしまう。ギリシャ王メネラスは
激怒し、「エレーヌを帰すか、ギリシャ連合軍と戦うか」とトロイに迫るのだった・・・。

舞台下手で電気ヴィオラの生演奏。ヴィオラながら時々尺八のような音も。音楽が題材に合っていて素晴らしい(音楽・演奏:金子飛鳥)。
翻訳が気が利いててうまい。

フランス人がフランス語で書いた作品なので、登場人物の名前が少し聴き慣れない。普段シェイクスピアなどに出てくるヘクトルはエクトール、
ヘレナはエレーヌ、という具合。

ここではパリスだけでなくトロイ中の男たちがエレーヌに夢中になっているというのが面白い。
だから老王でさえ彼女をギリシャに帰すことを渋る。和平への道は極めて困難だ。

十分観客の想像を掻き立てておいて、ついにエレーヌ(一路真輝)登場。
白い衣装の一路真輝は、優雅な身のこなしと語り口がえも言われぬほど魅惑的。声も甘美で素晴らしい。
この役は他の作品にも登場するので何度か舞台で見てきたが、これまでたいてい失望してきたので、今回も期待しないように防衛態勢を取って
いたが、その必要はなかった。
とにかく圧倒された。
このエレーヌという女はギリシャの王妃ではあるが、言わば「あばずれ」体質。夫メネラスと知り合う前にも後にも男たちと関係を持ち、男との
交わりは石鹸や軽石で体中をこするようなもの、とのたまう。

エクトールがエレーヌをお返しする、と言うと、ギリシャ側の使者は、さらわれる前と同じエレーヌを返してほしい、パリスとの間に何もなかった
のか?と聞く。そんなことがあるわけないことは十分承知しているはずなのに。
それに対してパリスとエレーヌは、二人の間に何もなかった、と何とか口裏を合わせるが、それを聞いたギリシャ側は、今度はトロイの男は不能、
と言い出す。それを聞いていた民衆が騒ぎ出し、パリスたちと同じ船でギリシャから帰国した水夫たちが、二人が夜も昼も体を重ねていた、
と口々に証言する。男たちのプライドを傷つけてしまったのだ。これがおかしい。
戦争を避ける方が大事か、でもそのために男としてのプライドを捨てることができるか。

主役エクトールを演じる鈴木亮平は力が入り過ぎ。大変なセリフの量だが、終始、同じ調子ではあまりに単調でつまらない。メリハリを効かせて
もらわないと。

トロイの王妃役の三田和代、幾何学者役の花王おさむ、王の側近の詩人役の大鷹明良、いずれも期待通り楽しませてくれる。
ギリシャの将軍オデュッセウス役の谷田歩も好演。
カサンドラ役の人は一本調子で、しかも女予言者という役柄をよく理解していないように思われる。

エクトールは何とか戦争を防ごうと一人で戦う。その誠実真摯な姿に敵将エイジャックスもオデュッセウスもついには折れて味方になって
しまう。ところが、これでもう大丈夫かと安堵したのも束の間、一番大きな敵は味方トロイの中にいたのだった。
味方(の愛国心、プライド)をどう扱うかが、忘れてはならぬ、むしろ一番肝心なことだった。

作者ジャン・ジロドゥは小説家、劇作家であると同時にフランス外務省高官としても活躍した由。
この作品はナチスドイツが台頭し、第二次世界大戦の影が忍び寄る1935年に発表された。
それを考えると、この圧倒的な迫力にも納得がいく。
ここで扱われている問題は実に普遍的であり、人間を見つめる透徹した眼差しが素晴らしい。
いい作品に出会えたことを感謝します。

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