ロビンの観劇日記

芝居やオペラの感想を書いています。シェイクスピアが何より好きです💖

メルヴィル原作「白鯨」

2016-01-27 19:26:35 | 芝居
12月8日文学座アトリエで、ハーマン・メルヴィル原作「白鯨」をみた(劇化:セバスチャン・アーメスト、演出:高橋正徳)。

かつて巨大な白い鯨モビー・ディックに片足を食いちぎられたエイハブ船長は、復讐に燃えて白鯨を追い、破滅してゆく。

その初日。
始まってすぐに気がつくのは役者たちの滑舌の良さ。そこはさすが文学座、他の劇団とは違う。

船乗りたちの話とて、みんなで甲板で働きながら歌うシーンが多い。
演出は巧み。狭い文学座アトリエだが舞台奥に急な階段があり、二階にも一部屋あり、そこでエイハブ船長と一等航海士が食事したりする。
本当に船の中のようだ。
途中、主役の若者を演じる釆澤靖起がさかなクンに扮してクジラの帽子をかぶり、クジラクジラ・・・と歌いながら登場。スクリーンで鯨について
楽しく解説してくれるなど、とにかく演出がいい。

皆の息も合っているし、一人一人に見せ場があるなど台本もよくできていると思うが、問題はエイハブ船長だ。
この男は片足を食いちぎられた恨みから白鯨を追い求め、奴を殺して復讐を果たすことだけを残りの人生の目的としている。そのために一等航海士
の説得にも耳を貸さず、自分の命はもとより船員たちの命をも顧みようとしない。部下の命を預かるはずの船長の責任というものをなおざりにする、
常軌を逸したとんでもない男だ。そしてついには破滅してしまうわけだが、小林勝也は相変わらずセリフが他人事のようで、狂気じみたところが
微塵もない。弱弱しくて「枯れて」いる。エイハブ船長は枯れていてはいけない。

だが、そもそもこの企画は、かつて「按針~イングリッシュサムライ」公演の際アーメストと小林が共演者として出会ったのがきっかけだという
ことだから、彼がエイハブをやるのは致し方ないのだろう。当時はまだ今ほど枯れてなかったし。

このように一部に不満はあるが、アトリエの空間を見事に生かした演出も、他の役者たちも素晴らしかった。
皆で一斉に動いたり歌ったりするシーンが多いのに見事にそろっていて、初日とは思えぬ出来栄えだった。


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オペラ「金閣寺」

2016-01-23 11:14:28 | オペラ
12月5日神奈川県民ホールで、黛敏郎作曲のオペラ「金閣寺」をみた(原作:三島由紀夫、台本:クラウス・H・ヘンネベルク、指揮:下野竜也、
オケ:神奈川フィル、演出:田尾下哲)。

丹後半島成生岬の貧しい寺に生まれた溝口。右手に障害を持つ彼はコンプレックスにより世間に心を閉ざしがちであった。僧侶である父から
「金閣ほど美しいものはない」と聞かされ、後に青年僧として金閣寺住職に預けられる。戦時下、空襲で焼け落ちるかも知れない運命を
思うと、金閣は悲劇的美に輝いて見えた。しかし京都は戦火を逃れ、溝口は幾多の屈折した経験を通し、自身の中で固執化された美の象徴
「金閣」にますます束縛されるようになる。「自由になるためには金閣を焼かねばならない」溝口は決然と金閣に向かって歩み出した・・・。

ドイツ語上演。というのも、これはベルリン・ドイツ・オペラが黛に委嘱し1976年に初演した作品だから。
日本では1991年初演、今回は16年ぶり4度目の上演の由。

主人公溝口は右手が萎えていて、だらんと垂れている。原作では吃音だが。そこが大きな違い。たぶん台本作家が吃音ではオペラにならない
と考えたのだろう。だが片手が不自由なのと吃音とでは世界との関わり方がだいぶ違うと思うが。演出家もそこに最も悩み苦しんだという。
日本人作家で三島が一番好きだという彼は、それゆえにこそ、この作品の演出に際して大変な「苦難」を経験したのだった。
『もちろんオペラで吃音のキャラクターが主人公ではセリフがままならず、音楽劇としてふさわしくないと考えたのだろう。だが、そうだろうか?
三島の原作でも、お経や英語はスラスラ喋ることができるが対話時にだけ吃音となる青年僧として描かれている。その上、心の中の言葉が「どもる」
ことはないので、三島の原作においても彼の言葉が吃音で書かれている箇所はほとんどない。ならば対話だけ吃音にして、多くはモノローグである
この作品を雄弁に歌わせたら良かったのではないか』(「『金閣寺』演出プラン」より)
全く同感だ。
初め作曲家は三島由紀夫本人に台本執筆を依頼したが、三島はオペラ化自体は喜んだが執筆は断ったという。その時が自決の数か月前だったので、
恐らく作家の心中はそれどころではなかったのだろう。それで弱冠29歳のドイツ人ヘンネベルクが執筆することになったという。

紅葉の幕に囲まれた寺が美しい。

父の死の前後が原作と違う。
米兵と娼婦と溝口のシーンを寺の皆が見ているのは変だ。
米兵は歌もセリフもない。淡々と事柄のみ提示される。

この機会に、ずっと気になっていた原作を読むことができた。最近こういうことが多い。
ただ、読めたのは嬉しいが、鑑賞中も、つい原作との違いに注意が向いてしまった。




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チェーホフ作「桜の園」

2016-01-18 11:00:59 | 芝居
11月23日新国立劇場小劇場で、A.チェーホフ作「桜の園」をみた(演出:鵜山仁)。

帝政末期ロシア。ラネーフスカヤの領地、通称「桜の園」に、5月の或る日、ラネーフスカヤ夫人一行がパリから帰国する。家族や使用人たち、
地元の名士たちは再会を喜ぶが、彼らの胸中は穏やかではなかった。
彼女はパリでの生活に疲れ果て、破産状態にあり、先祖代々の土地・屋敷は今や競売にかけられようとしていたからだ。
それを嘆きながらも浮世離れした彼女は浪費と享楽的な生活をやめようとしない。おりしも華やかな舞踏会の最中に、「桜の園」が落札された
知らせが届く。失意のラネーフスカヤは・・・。

かつてロンドンの南にある小さな劇場に、この芝居を一人で見に行った懐かしい思い出がある。

昔のロシアにも、いわゆる「草食男子」というのがいた。そして彼のために苦しむ若い女も。
現実が見えない困ったちゃんの奥様も、つらい過去を背負っている。可愛い盛りの息子が溺死し、夫と別れ若い愛人とパリに行くが、病気に
なった彼を献身的に看病したのにその後捨てられたことが、少しずつ明らかになってくる。しかも話はまだ終わっていない。その愛人から
毎日のように手紙が来るのだ。初めは破り捨てていた彼女だが・・・。
この芝居には多くの要素があり、登場人物一人一人の背景に物語がある。それがチェーホフの魅力だ。

敢えて古い神西清訳を使ったらしいが、やはり全部使うのは無理だったようで、所々変えてある。今や完全な死語になってしまい、意味がまるで
分からない言葉もあるからだろう。だがそれなら「しわん坊」も「ケチ」とかに変えたらいいのでは?

客席中央に通路を設けてある。

ワーリャ(奥村佳恵)は黒づくめの格好で、文字通り修道院の人のよう。
変わり者のシャルロッタ(宮本裕子)は元気一杯。二度目の登場は狩猟の服装で、長い猟銃を抱えて男のよう。
彼女が連れている白い犬がよくしつけられていてすごい。
彼女の手品がすこぶる見事。
ラネーフスカヤ役の田中裕子は久しぶりに見たが、期待通りの好演。コミカルなセリフもうまく、客席を沸かせる。
ロパーヒン役の柄本佑は滑舌がよくない。しかもセリフ回しは時々早過ぎる。重要な箇所をスラスラと言ってしまっては困る。何も考えてないのか?
この役はこの芝居の要だというのに、演出家はなぜダメ出ししなかったのか。

ラスト、戯曲通り桜の木々が切り倒される音が聞こえてくるのが普通だが、今回は家の崩壊のイメージで終わる。

鵜山仁の演出でこれほど不満を感じたのは初めて。
田中裕子のラネーフスカヤを見られたのはもちろんよかったが。
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マクドナー作「スポケーンの左手」

2016-01-11 00:08:10 | 芝居
11月17日シアタートラムで、マーティン・マクドナー作「スポケーンの左手」をみた(翻訳・演出:小川絵梨子)。

古ぼけたホテルの一室に宿泊する中年男カーマイケル(中嶋しゅう)。彼は27年間も失くした左手を探していた。そこへ若い詐欺師カップル、
マリリン(蒼井優)とトビー(岡本健一)が現れ、彼に手を売ろうとする。一方ホテルのフロント係マーヴィン(成河)はちょくちょく現れては
3人の対立をけしかけるが…。

あのマクドナーが不条理劇を書いたのか?!と思ったが、やはりそうではなかった。
ここではみんな程度の差こそあれイカレてる。一番はカーマイケルだろうが、途中からマーヴィンが彼に勝るとも劣らない位「変」だということが
分かってくる。この世に生きること自体に違和感を抱いているような二人。
カーマイケルが左手を失った事情は不明なままだが、観客にはぼんやりと真相が見えてくる。
幼児期のトラウマ。親、特に母親との関係。これが作者マクドナーの一貫した関心事なのかも知れない。かつて見た「ビューティー・クイーン・オブ・
リナーン」でも娘と母親との重苦しい関係が息苦しいほどに描かれていた。

キャスティングがいい。しかも役者がみなうまいので、楽しく見られた。
トビー役の岡本健一。この人はリチャード三世、そして特に、サルトルの「アルトナの幽閉者」での熱演が忘れ難い。
マーヴィン役の成河(ソンハ)。彼は「夏の夜の夢」のパック、IRA の若い兵士役など何度も見てきたが、この役は、まるで彼に当て書きされた
かのように、怖いほどぴったりだ。
カーマイケル役の中嶋しゅう。「恐るべき大人たち」などで見たことがあるが、この人の存在感もこの役にうってつけ。
マリリン役の蒼井優。彼女は高い声が出るばかりか、すごくでかい声も出せる。体も柔らかいし、「サド侯爵夫人」の題名役の時よりずっといい。
この4人をそろえたキャスティングで、半ば成功したと言える。

演出もいい。とにかくテンポが快適。

黒タイツに短パンというマリリンの格好もいい(衣装:前田文子)。この芝居で要求される、どんな激しい動きをしても大丈夫な上に、蒼井優の
若さ可愛さが引き立っている。

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