12月8日文学座アトリエで、ハーマン・メルヴィル原作「白鯨」をみた(劇化:セバスチャン・アーメスト、演出:高橋正徳)。
かつて巨大な白い鯨モビー・ディックに片足を食いちぎられたエイハブ船長は、復讐に燃えて白鯨を追い、破滅してゆく。
その初日。
始まってすぐに気がつくのは役者たちの滑舌の良さ。そこはさすが文学座、他の劇団とは違う。
船乗りたちの話とて、みんなで甲板で働きながら歌うシーンが多い。
演出は巧み。狭い文学座アトリエだが舞台奥に急な階段があり、二階にも一部屋あり、そこでエイハブ船長と一等航海士が食事したりする。
本当に船の中のようだ。
途中、主役の若者を演じる釆澤靖起がさかなクンに扮してクジラの帽子をかぶり、クジラクジラ・・・と歌いながら登場。スクリーンで鯨について
楽しく解説してくれるなど、とにかく演出がいい。
皆の息も合っているし、一人一人に見せ場があるなど台本もよくできていると思うが、問題はエイハブ船長だ。
この男は片足を食いちぎられた恨みから白鯨を追い求め、奴を殺して復讐を果たすことだけを残りの人生の目的としている。そのために一等航海士
の説得にも耳を貸さず、自分の命はもとより船員たちの命をも顧みようとしない。部下の命を預かるはずの船長の責任というものをなおざりにする、
常軌を逸したとんでもない男だ。そしてついには破滅してしまうわけだが、小林勝也は相変わらずセリフが他人事のようで、狂気じみたところが
微塵もない。弱弱しくて「枯れて」いる。エイハブ船長は枯れていてはいけない。
だが、そもそもこの企画は、かつて「按針~イングリッシュサムライ」公演の際アーメストと小林が共演者として出会ったのがきっかけだという
ことだから、彼がエイハブをやるのは致し方ないのだろう。当時はまだ今ほど枯れてなかったし。
このように一部に不満はあるが、アトリエの空間を見事に生かした演出も、他の役者たちも素晴らしかった。
皆で一斉に動いたり歌ったりするシーンが多いのに見事にそろっていて、初日とは思えぬ出来栄えだった。
かつて巨大な白い鯨モビー・ディックに片足を食いちぎられたエイハブ船長は、復讐に燃えて白鯨を追い、破滅してゆく。
その初日。
始まってすぐに気がつくのは役者たちの滑舌の良さ。そこはさすが文学座、他の劇団とは違う。
船乗りたちの話とて、みんなで甲板で働きながら歌うシーンが多い。
演出は巧み。狭い文学座アトリエだが舞台奥に急な階段があり、二階にも一部屋あり、そこでエイハブ船長と一等航海士が食事したりする。
本当に船の中のようだ。
途中、主役の若者を演じる釆澤靖起がさかなクンに扮してクジラの帽子をかぶり、クジラクジラ・・・と歌いながら登場。スクリーンで鯨について
楽しく解説してくれるなど、とにかく演出がいい。
皆の息も合っているし、一人一人に見せ場があるなど台本もよくできていると思うが、問題はエイハブ船長だ。
この男は片足を食いちぎられた恨みから白鯨を追い求め、奴を殺して復讐を果たすことだけを残りの人生の目的としている。そのために一等航海士
の説得にも耳を貸さず、自分の命はもとより船員たちの命をも顧みようとしない。部下の命を預かるはずの船長の責任というものをなおざりにする、
常軌を逸したとんでもない男だ。そしてついには破滅してしまうわけだが、小林勝也は相変わらずセリフが他人事のようで、狂気じみたところが
微塵もない。弱弱しくて「枯れて」いる。エイハブ船長は枯れていてはいけない。
だが、そもそもこの企画は、かつて「按針~イングリッシュサムライ」公演の際アーメストと小林が共演者として出会ったのがきっかけだという
ことだから、彼がエイハブをやるのは致し方ないのだろう。当時はまだ今ほど枯れてなかったし。
このように一部に不満はあるが、アトリエの空間を見事に生かした演出も、他の役者たちも素晴らしかった。
皆で一斉に動いたり歌ったりするシーンが多いのに見事にそろっていて、初日とは思えぬ出来栄えだった。