ロビンの観劇日記

芝居やオペラの感想を書いています。シェイクスピアが何より好きです💖

翻案劇「サロメ」

2009-10-28 22:20:26 | 芝居
10月19日東京グローブ座で「翻案劇 サロメ」を観た(原作オスカー・ワイルド、上演台本・演出:鈴木勝秀)。

この日も入り口を間違えて反対側に来てしまい、ぐるっと回る羽目になった。昔(バブルの頃)、月に一度はここで英国などから来た劇団のシェイクスピア劇を観ていたのだが、その頃は入り口が反対側だったので。

さて、この「サロメ」、ヨカナーン役の森山開次の踊りが大きなウェイトを占めている。なぜヨカナーンが踊り出すのか。まあ、これはこれで一つの変わった形ということだろう。一方で、オスカー・ワイルドの言葉の力はまだ残されている。サロメの、そして王のセリフの中にきらめいている言葉の中に、まさにワイルドの耽美の世界が垣間見える。だが登場人物を4人に絞ったために、多くのセリフが省略されてしまった。それによって話が単純になったように見えるが、果たして分かり易くなっただろうか。

サロメ役の篠井英介はもちろんうまい。

サロメの衣裳(原まさみ)は実に独創的で、美しいが、和洋折衷の極みなのはどういうことなのか?

王妃役の江波杏子は非常に美しい。髪形も最高。だが彼女は文章の末尾を飲み込む癖がある。最前列で観たが、他の役者と比べて耳に快くない。文末まで力を抜かない練習をしてほしい。好きな役者だから、もっとうまくなってほしい。

王役の上條恒彦は初めて生で観たが、さすがにうまい。ワイルドの難しい長ゼリフを荒馬を乗りこなすように消化していた。

真紅の椿の花びらが落ちてくるシーンが印象的。まさに和の世界だ。

兵士たちが何人も登場するはずが、全部省略されている。その欠損は大きい。
サロメに恋して自害する兵士は重要だし、最後はサロメがちゃんと(?)殺されたことが観客に分かるようでないと困る。

地面に落ちている血を王の妄想としてしまう演出はいただけない。やはり無理して4人だけの芝居にしようとするからこんなことになるのだ。

所用時間は1、5時間と、この芝居の本来の長さと同じ。たくさんの登場人物を省略し、彼らのセリフを全部カットした代わりに、森山開次が長々と踊ったので、結局同じになったわけだ。
しかし、それにしてもなぜヨカナーンが踊り出すのだろう?
「日本文化を生かした形でのサロメ」(演出家)というより「踊りで表現されたサロメ」というべきかも?




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オペラ:プーランク「声」/マスネ「マノンの肖像」

2009-10-18 23:28:09 | オペラ
10月10日新国立劇場小劇場で、プーランクのオペラ「声」とマスネのオペラ「マノンの肖像」を観た(東京室内歌劇場定期公演)。

♪♪♪プーランク「声」♪♪♪

舞台奥に、巨大な額縁が斜めにかかっている。大きな長方形のテーブルが、舞台中央に斜めに置かれている。その上には昔風の小さくておしゃれな電話機。

何と指揮者(佐藤正浩)がプロンプターを務めた!前半は結構邪魔だったが、フランス語の一人芝居は歌手にとって大変な負担なわけだから、仕方ないか。

松本美和子は熱演だが、最後まで気持ちがしっかりしている感じで、狂気のようなものがあまり感じられなかった。

♪♪♪マスネー「マノンの肖像」♪♪♪

休憩後、巨大な額縁がまっすぐになっていた(舞台美術:池田ともゆき)!なるほど・・これは面白い。こういうセンス、好きだ。
同じテーブルが、さっきは緑から黒へとクロスが変わっていったのに対して、今度はクロスなしの白。

今回の公演は原語日本初演とのこと。
この曲は初めて聴いたが実に甘美。しかもこの夜は逸材を発見できた。主役(騎士デ・グリュー)の養育している若者ジャンの恋人オロール役を演じた吉原圭子。この人は少し小柄なのが残念だが、素晴らしい美声と声量の持ち主。今後が実に楽しみだ。

ストーリーは単純だが、短い上に展開が早く、しかも音楽が素晴らしいので全く飽きさせない。

ただ、ちょっと納得し難い箇所もある。
オロールが、亡きマノンの肖像画と同じような服を着て登場し、愛をたたえると、デ・グリューは「それが君(マノン)の気持ちなのか。分かった。二人の結婚を許そう」と即納得してしまう。だがここでの彼の気持ちの変化の早さに、ちょっとついて行けないものを感じた。
何しろこちらは、あれはマノンの幽霊か?それにしては全体に明る過ぎるし・・・?と首をかしげているのに、彼は全然そんなことを疑ってはいないようなのだ・・・確か彼はまだ彼女を紹介されていなかったはず。なのにその姿を見てすぐにマノンの幽霊でなくジャンの恋人だと分かるのはなぜ?
ま、音楽が極上だからあとはさほど大きな問題じゃないけど。

ともあれこの夜は、今まで知らなかった美しい曲と才能ある歌手を発見できて、至福の時を過ごせた。





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井上ひさし作「組曲虐殺」

2009-10-11 23:25:49 | 芝居
10月5日天王洲 銀河劇場で、井上ひさし作「組曲虐殺」を観た(栗山民也演出)。
組曲と銘打つからには、またも音楽劇か、と恐る恐る出かけたら、やっぱり今回もそうだった。
音楽(小曽根真)は、ピアノソロの部分はいいが、合唱部分がやはり恥ずかしい。
演奏(同じく小曽根真)も、ピアノはうまいが、役者たちの歌が下手で、いつもながら聴くに堪えない。
もう井上ひさしの芝居を観るのはやめよう、とまたしても思ったのだった・・・。

劇の最後の音が解決しない(終止形でない)ところに作曲家のセンスを感じた。

特高警察の拷問によって虐殺された左翼作家小林多喜二を描くと言っても、ドラマチックな逸話は少ない。だがそこは手だれの作者のこと、彼を尾行する巡査の一人が小説(捕物帳)を書き出したり、と相変わらずのアイディアで話を盛り上げる。

しかしながら、プロレタリア同志ふじ子が「私、(用心のために)この部屋の鍵も持たないようにしているんです」と言った後で部屋の外に出て、外から鍵をかける音がした時には、開いた口がふさがらなかった。言っておくがここは決して笑う場面ではない。役者たちもスタッフも誰一人として「これは変です」と言い出す人はいなかったのか。作者はもはや裸の王様になってしまったのだろうか。

多喜二の姉役の高畑淳子が、期待にたがわず劇の中心となって好演。彼女なしではこの芝居は成り立たなかっただろう。


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オペラ「オットーネ」

2009-10-03 20:45:50 | オペラ
9月23日北とぴあ・さくらホールで、ヘンデルのオペラ「オットーネ」を観た(指揮:L.カミングズ、舞台総監督:藤江効子)。

初めて観た作品。ストーリーはスローテンポながら面白い。
繰り返しが少し冗長だが、美しいアリアも多い。

前半、歌手たちの調子が悪いようで驚いたが、後半は少し持ち直したようだ。中ではジズモンダ役の藤井あやがうまい。
男性陣がどうもいけない。カウンターテナーの二人はいささか声域が合っていないように思われたが・・・?

歌手たちの所作は問題ないし、衣裳もいいが、全体に素人っぽい舞台だった。

それから字幕の横にイメージ画像(?)が写し出されたが、あれは何なのだろう。意味不明だ。

とは言え、この一回きりの演奏会のためにイタリア語と格闘し、練習を重ねた出演者たち、そしてスタッフ一同には、お疲れ様でしたと言いたい。

ヘンデルは約30ものオペラを書いたそうだ。今後も、まだ知らないオペラを一つずつ開拓していくのが楽しみだ。
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ストッパード作「ユートピアの岸へ」

2009-10-02 16:43:44 | 芝居
9月22日シアターコクーンで、トム・ストッパード作「コースト・オブ・ユートピア-ユートピアの岸へ」を観た(蜷川幸雄演出)。

2007年トニー賞最優秀作品賞受賞の三部作で、休憩も入れると10時間かかるという大歴史ロマンの日本初演である。その通し公演。

ステージには長いテーブルと椅子が出ていて、役者たちが普段着でくつろいで談笑している。ペットボトルがある。楽屋風景のようだ。また奇をてらって・・とがっかりしたが、客席の照明が落ちると同時にそれらは撤去され、彼らはステージ上で衣裳をつける。

客席が細長いステージを囲んでいるので、当然役者のセリフは半分は後ろを向いて話される。従って、大声でどなったり叫んだりが多いにもかかわらず、(早口ということもあって)聞き取れないセリフが多い。

ロシアの歴史的文化的位置づけが非常に興味深い。農奴制によって支えられた貴族社会の出である知識人たちは、西欧先進諸国の哲学、思想に触れて社会への目を開かれ、何とかして祖国ロシアの現状を変えたいと願うが・・・。

麻美れいは3役をこなす。セリフなしの役を入れれば4役。その中で一番似合っているのは、勿論、奔放な愛に生きる女マリアだ。
銀粉蝶はちょい役でもったいない。
革命家バクーニンが実は重症のシスコンだったなど、面白い逸話もあり、飽きさせない。

衣裳(小峰リリー)も素晴らしい。
時々スローモーションのシーンが効果的に挿入される。「活人画」というのはあんな感じだろうか、と思った。

ロシア語、ドイツ語、フランス語、英語、イタリア語が入り混じるという何とも国際色豊かな会話や議論を、字幕のお陰で大いに楽しむことができた。

フランス革命の描写は絵のように美しい(美術:中越司)。

30年余にわたる三部作のすべてが終わった時、まさに大河小説を読んだような余韻を味わった。ストッパードに幕末の日本を舞台にした芝居を書かせたら面白いのではないだろうか。イギリス人の彼がロシア人たちの物語をかくも熱く語れるのだから、まんざらあり得ないことではないだろう。ただ70代という彼の年齢を考えると、ちょっと難しいか。

10時間ぶっ通しの芝居というのは初めて。エコノミークラス症候群にならぬよう、時々足の指を動かしたり、休憩中はできるだけ歩いたりしたのだった・・・。

ところで当時、女性はどのような教育を受けていたのだろう。男とは全く違う教育だったのか。登場する女は誰も社会のことに関心がない。農奴制に疑問を抱く女も一人も出てこない。本当にそうだったのだろうか。男と全く同じ教育を受けた女としては、男女のあまりの知的格差に衝撃を受けた。男たちはこの芝居を観ても、そういう違和感や疑問を抱かないのかも知れない。もしかすると女たちも?

それにしても「軽薄短小」の時代はついに終わったのだろうか?例の「カラマーゾフ」ブームと言い、来る11月の「ヘンリー六世」三部作一挙上演と言い、どうもそんな気配だ。いやあ、めでたい。同志諸君!ついに我々の時代がやって来た!?

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