ロビンの観劇日記

芝居やオペラの感想を書いています。シェイクスピアが何より好きです💖

オペラ「領事」

2022-07-27 16:18:10 | オペラ
7月18日新国立劇場中劇場で、G. メノッティ作曲・台本のオペラ「領事」を見た(新国立劇場オペラ研修所試演会、演出:久恒秀典、指揮:星出豊)。
全3幕、英語上演(日本語・英語字幕付)、2台ピアノ伴奏。



1950年に初演され、世界各地で大成功をおさめ、ピューリッツァー音楽賞とドラマ批評家賞を受賞した作品の由。
ヴェリズモ・オペラ風の、メノッティ最初の長編オペラ。
舞台は作曲当時のヨーロッパの、ある国。

早朝、国に反抗する活動家ジョン・ソレルのアパートの一室。突然、負傷したジョンが逃げ帰ってきます。
追手の警察官が部屋にやってきたため、妻マグダと母親は彼を屋根裏部屋にかくまい、なんとかその場を凌ぎます。
ジョンは、今夜国境を越えて亡命するので、ある国の領事館に保護を求めるようにとマグダに指示します。
家族に別れを告げ、去ってゆくジョン。残されたマグダは領事館へ赴き、秘書に領事との面会を頼むのですが・・・(チラシより)。

第1幕
マグダ(大竹悠生)とジョン(佐藤克彦)は赤ん坊とジョンの母親との4人暮らし。
ジョンは警察に追われて逃げ隠れしており、母と妻はそんなジョンの身を心配してオロオロしながら暮らしている。
マグダは夫に言われたように領事館に行くが、待合室にはたくさんの人がおり、彼女が領事との面会を申し込んでも秘書は多忙だからと取り合ってくれない。
中に魔術師がいて、自分はすごい魔術師だ、と次から次へといろんなマジックを見せるが、肝心の書類を持っていないので、やはり相手にされない。
第2幕
その頃、家では元々病弱だった男の赤ん坊が静かに死んでいた。先にそのことに気づいて悲しんでいた義母も死んだらしい。
数日後、ようやくマグダの順番が回ってきて、秘書は今いる重要なお客が帰り次第、領事と面会させる、と約束する。
だが領事の部屋から出てきたのは、マグダの家に何度も来たことのある、あの秘密警察官だった。
ショックのあまりマグダは倒れる。
第3幕
閉館間近か、マグダがじっと待っていると、ジョンの仲間が来て、ジョンがせっかく国境近くまで行ったのに、皆の忠告を聞かず「妻に会いに戻る」と言っている、
彼が捕まったら我々みんな終わりだ、何とかならないか、と言う。 ジョンは誰かから、息子と母の死を聞いたらしい。
これは、あなたが死んでくれればジョンは帰宅を諦めるんだが・・という意味らしい・・!
マグダは「私には一つ考えがある」と答えて帰るが、待合室にバッグを置き忘れる。
入れ違いにジョンが現れ、秘書に、奥さんの忘れ物です、とマグダのバッグを渡されると、それを思わず胸に抱きしめる。
彼はすぐに、追って来た秘密警察官らに連行される。秘書は彼に、マグダに電話すると約束する。

家に帰ったマグダは、ドアのすき間に布を押し込み、ガスの栓を開く準備をしながら「こうするつもりじゃなかった」と何度も繰り返し、神に許しを請う。
椅子に座り、ガス栓を開いてしばらくすると夢を見る。
領事館の待合室での面々。ジョンと義母も現れる。義母はウエディングドレス姿でジョンと手を組んでいる。マグダは混乱する。
魔術師が現れ、あなたは疲れている、と催眠術で眠らせる。ようやく眠りにつくと電話が鳴り出す。
むなしく鳴り続ける電話・・・幕。

暗く重苦しいストーリーだが、オペラらしく、主要な人物たちに、それぞれアリアが与えられていて見せ場がある。

死ぬ前に苦しい夢を見て夫を探し回るマグダが可哀想だ。
ハムレットのセリフを思い出した。

デンマークの王子である彼は、父王の不慮の死の知らせを受けて急きょ留学先のドイツから帰国してみると、
母は夫の葬儀の直後に叔父と結婚。しかもそれはハムレットが軽蔑していた男だった。
両親はこよなく愛し合っていたのに、一体どういうことなのか。母が化け物のように見え、彼は女性不信に陥る。
美しい恋人オフィーリアのことも、以前のようには信じられない。
王妃と結婚した叔父は、重臣たちに次の国王と認められ、戴冠式が挙行される。
居場所を失った思いの彼は、いつまでも喪服を脱ごうとしない。
しかも、真夜中に父の亡霊が現れ、自分は弟(つまりハムレットの叔父)によって毒殺された、復讐してくれ、と告げる。
亡霊の言葉をどこまで信じてよいのか迷いつつも、もしそれが真実なら愛する父の仇を討つつもりでいる。
ただ、道は険しそうだ。
3幕1場で彼は、自殺したいと口にするが、
   ・・・死ぬ、眠るーー
   それだけのことだ。眠れば
   心の痛みにも、肉体が受け継ぐ
   無数の苦しみにもけりがつく。それこそ願ってもない
   結末だ。死ぬ、眠る。
   眠ればきっと夢を見るーーそう、厄介なのはそこだ。
   人生のしがらみを振り捨てても
   死という眠りのなかでどんな夢を見るか分からない。
   だから二の足を踏まずにいられないーーそれを考えるから
   辛い人生を長引かせてしまう。         (松岡和子訳)

夫の仲間たちのために犠牲になろうとするマグダなのだから、もっと安らかに死なせてあげたい・・。

歌手ではマグダ役の大竹悠生が圧巻。声質、声量、演技、どれも素晴らしい。

メノッティと言えば、2011年7月に初台で見た「ブリーカー街の聖女」が忘れ難い。
初演の評判はよくなくて、今でもあまり上演されないようだが、あれはストーリーに変化があって面白い。
兄が妹に恋したために、苦難の道をたどることになる気の毒な妹が主人公の変わった話だが、ドラマチックで音楽も素敵だった。
またどこかでやってほしい。
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「ザ・ウェルキン」

2022-07-20 22:55:39 | 芝居
7月11日シアターコクーンで、ルーシー・カークウッド作「ザ・ウェルキン」を見た(演出:加藤拓也、シスカンパニー公演)。




1759年、英国辺境の町で、殺人犯サリー(大原櫻子)が絞首刑を宣告される。しかし彼女は妊娠を主張。
妊娠している罪人は死刑だけは逃れられるのだ。その真偽判定に12人の女性たちが陪審員として集められた。
その中の一人、助産婦エリザベス(吉田羊)は公正な判断を下そうと闘うが・・・。
果たしてサリーの妊娠は本当なのか?死刑を逃れるための嘘なのか?(チラシより)。
ネタバレあります注意!

冒頭、「家事」というタイトルが掲げられ、女たちがさまざまな家事に従事している。
何しろ18世紀のことなので、洗濯も手洗いだし、今ではなくなった仕事も多い。
次の場面のタイトルは「犯行の夜」。夫の家に妻サリーが帰宅。3日前に男と出かけたきりだ、と責める夫。だがサリーは平然としている。
彼女の服は血で真っ赤。黄色いお下げ髪を取り出してローソクの火にかざし、燃やすので、客席の我々はぞっとする。
狼狽した夫が神に祈ると、サリーは「神様は天にはいないんだよ。あんたの中に、私の中に、いるんだよ」と冷笑。
シーン3。
エリザベス(以下リジ―)が庭でバターを作っていると、男が訪ねて来て裁判所から呼び出されている、と告げる。
サリーは少女殺害の犯人として逮捕されたが、自分は妊娠していると主張するので、その真偽を判定するための陪審員に12人の女が必要だという。
リジ―は最初は断わるが、被告がサリーだと聞いて、気が変わる。
シーン4。
陪審員長以下12人の女たちが規則を聞かされ、聖書に誓いのキスをする。
それぞれ短く自己紹介をするのを聞くと、本当にバラバラで、寄せ集めの人たちだとわかる。
シーン5。
11月。陪審員12名は一つの部屋に集められ、結果が出るまで帰宅できない。
暖炉はあるが、規則が厳しく火もロウソクも使ってはならぬ。監視のために入口に立っている男はしゃべってはならぬ。
被告サリーが連れて来られるが、態度が悪い。ふてくされていて反抗的。この娘、助かりたくないのだろうか、と不思議に思える。
陪審員たちによい印象を与えようとはまるで思っていないようだ。
決を取ると、7対5。全員一致でないといけない。
サリーが乳が出そうだ、と言うので、彼女の指名した一人がサリーの乳房にハンカチを当てて懸命に絞るが、なかなか出ない。
一人が、顔がほてって暑がるので、瀉血したらいい、と足の指を切ってやると、楽になる。
この騒ぎの最中にサリーが「コップを!」と言うのでリジ―がコップを胸にあてがうと、本当に乳が出てくる!
その時、突然暖炉から突風が何度も吹き込み、黒いすすが部屋中に舞い上がる。
2幕
誰かが焼け焦げたカラスを暖炉から取り出す。
リジ―はコップをみんなに見せるが、乳はすすで黒い液体になっていた。
挙手させると妊娠していると思う者は3分の1くらい。
リジ―はなめて見せて「ほら甘い」と言うが、一人が貸して、と言うのでコップを渡すと、この女はやおらそばにあったバケツにコップの中身を捨てる!
みなさすがに驚いて声を上げる。この人、なぜこんなことをするのか、怪しい。
実はこの女性、身分を偽っており、かつてサリーが子守として働いていた家庭の家政婦だった。
その家の坊ちゃまが暖炉で火だるまになって死んだ事件があり、奥様は子守だったサリーが殺した、と信じている。
家政婦は奥様に頼まれて、あの時の犯人がとうとう捕まって絞首刑にされるところを見届けるためにやって来たのだった。
サリーを医者に見せるという提案がなされるが、なぜかリジ―が一人反対する。
だが結局若い医者が現れ、テーブルを並べてベッド代わりにしてサリーを寝かせ、女たちを周りに立たせて衝立にし、診察する。
結果、妊娠と判明。女たちの中に一人、何度も妊娠したのにみんな死産だった人がいて、泣き出す。「まさか妊娠してるなんて・・どうして神様はこんな女に・・」
一人が彼女を抱きしめ、歌を歌い出す。皆もそれに加わり、彼女を慰める歌声が広がる。
評決の結果を男に伝え、みな出てゆく。
これで無事、話は終わりかと思ったが、この先に衝撃のラストが控えていた・・。

疑問①リジ―はなぜ、サリーを医者に見せることに反対したのか?助産婦としての誇りが傷つけられたから?
  ②サリーの共犯の男が処刑された、というが、それは誰か?
   夫は明らかに犯行について何も知らないし、サリーの言う「幻の男」は実在しないのでは?
  ③おしだった女が見たという、悪魔がリジ―からサリーを引っ張り出した、という話はどう解釈したらいいのか?
  ④リジ―の赤ん坊を拾って育てた養父母の家庭は、これ以上ないほどひどい環境だったらしい。性的虐待もあったという。
   それだったらむしろ、10代半ばの本人と母親が育てた方がましだったのではないか?
   それに普通、貧乏な人間は捨て子を拾ったりしないのではないだろうか?
  ⑤医者がいるのなら、なぜ最初から彼に診察させないのか?(そうなると、この劇自体が成立しなくなるけど・・)

戯曲「12人の怒れる男たち」を彷彿させる。人数も同じ12人だし。あれの女性版か。
当時、実際にこんな事件があったのかも知れない。
芝居としては、被告の女性が悪魔のような人間に描かれ、気味が悪くて全然同情できないのが困る。
つまり、この人の命が何とか助かってほしい、とは思えないのだ。

役者は那須佐代子、梅沢昌代、吉田羊など、みな達者な人ばかりで期待通り。
ただ、サリー役の大原櫻子という人にはたまげた。
まったく知らない人だったが、とんでもなくうまい。大竹しのぶの再来か、というくらい。
今回は残念ながら人間的魅力のかけらもない、不気味で冷酷な女の役だったが、いつか、全然違う役を演じるところを見たい。


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井上ひさし作「紙屋町さくらホテル」

2022-07-12 23:14:31 | 芝居
7月7日紀伊國屋サザンシアターで、井上ひさし作「紙屋町さくらホテル」を見た(演出:鵜山仁)。



昭和20年5月、広島の紙屋町さくらホテル。
新劇の名優・丸山定夫、そして宝塚少女歌劇団出身の女優・園井恵子を核とする移動演劇隊のさくら隊。
ホテルの所有者である日系二世の神宮淳子と心やさしきそれぞれの事情を抱えた同居人たち。
淳子の従妹の正子、言語学者の大島先生、ピアノの得意な玲子。
日系人である淳子をスパイ容疑で監視する特高刑事・戸倉までが同居を始め、
天皇陛下の密使・海軍大将長谷川と、陸軍中佐・針生が身分を隠してホテルにやって来る。
果たしてその目的は・・・
この風変わりなさくら隊が繰り広げる感動の物語(チラシより)。
ネタバレあります注意!

最初の場面は、終戦後。男二人が向き合っている。かつての海軍大将・長谷川(たかお鷹)は、自分は戦犯だ、と自首して来たが、相手は、それを決めるのは我々だ、と
断わる。長谷川は、相手がかつての陸軍中佐・針生(千葉哲也)ではないか、とようやく気づく。針生は今、進駐軍の下で働いている。
しまいに針生も正体を認め、二人は終戦直前の広島でのことを懐かしく思い出す。

場面は変わって昭和20年5月。広島のさくらホテルには移動演劇隊「さくら隊」の隊員募集中の貼り紙。
空襲警報の合間に歌の練習をする人々。そこへ富山の薬売りと称してやって来たのは天皇の密使で海軍大将の長谷川。
次に傷痍軍人という触れ込みで来たのが陸軍中佐の針生。
さらに怪しい動きをする若い男。この男は特高刑事・戸倉(松角洋平)だった。彼は日系二世で敵性外国人である淳子(七瀬なつみ)を監視するために現れ、
淳子に今後外出は一切禁止と告げ、自分は今日からこのホテルに泊まってお前を監視する、と言う。さらに彼は、そこにいる全員の氏名・職業も調査済み。
だが皆は、人数が足りないからと彼を説得し、彼もまたさくら隊に入ることになる。

芝居の稽古の一環として、座長が課題を出し、皆に順番にやらせる。
隣室に自分の一番大事な人が臨終の床についている。その人のことを思ってつぶやいてみること、というのが課題。
それが役者としての宝になるというのだが、これが実につまらない。退屈だし白ける。
このやり方で、それぞれの生い立ちが観客にわかるという利点はあるが、あまりにわざとらしくてついて行けない。
他の皆が課題を終え、最後に長谷川が「陛下・・」とつぶやくので一同驚くが、また警報が鳴り、人々は防空壕へ急ぐ。
最初から長谷川のことを怪しんでいた針生は「ついに正体を表しましたね。長谷川閣下」と話しかけるが、長谷川は彼を無視して去る。
2幕
いよいよ本番直前のリハーサル。巡査が間違えて、同じセリフを二度言ってしまうために、針生も長谷川も同じセリフを繰り返し、芝居は
堂々巡り。ここちょっとくどいけど、おかしい。
実は巡査は、淳子を敵性外国人の収容所に連行せよとの命令を受けていた。彼女の家庭の事情を知った今、彼は同情し、苦しんでいる。
皆も命令書を読み、何とか今回の公演に彼女も出演できるように願い出ることにする・・・。
長谷川は天皇の密使として国内の主要都市を回り、本土決戦の備えがどれくらいできているか偵察していた。
これまで彼の見たところ、どこも備えはまるでできていなかった。
それを陛下に正直に申し上げる、と言うと、針生はそれをやめさせようとする。
彼は陸軍中佐として、本土決戦しかない、という立場から、長谷川の動きを察知し、これまで部下に彼を尾行させていたのだ・・・。

次の場面は、最初の部屋。長谷川は針生に聞かれるままに、あの後、淳子が収容所に行かずに済むようにしてやったことを話す。
ラストはまた昭和20年5月に戻り、みなピアノに合わせて歌っている。皆に見送られて長谷川が去ってゆく。客席の端を通って。

劇中劇が面白い。
宝塚を揶揄?するシーンも面白かった。
言語学者の大島が針生の素性を怪しむのが、まるで映画「マイフェアレディ」のヒギンズ教授のよう!
生まれが仙台だというが、東北訛りが全然ないのはおかしい、呼びかけに対する返事から、千葉の出だろう、と彼はズバリ推測する。
ここも井上ひさしらしい楽しいシーンだ。
ただ、皆でしんみりするのはやめてほしい。
舞台上の人々がしんみりするのでなくて、こっちをしんみりさせてくれないと困る!
これは井上ひさしの芝居を見るたびに言っていることですが。































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「リア王」について Ⅲ

2022-07-05 00:29:47 | シェイクスピア論
③ 吉田健一の「リア王」論

「リア王について」で、我々はシェイクスピアの劇の中で最も残虐で陰惨なシーンを見てきた。
このシーンについて、吉田健一は「シェイクスピア」という書物の中で実に斬新な見方を述べているので紹介したい。
まずはストーリーに沿って彼の意見を聞こう。
(なお、以前にも書いたが彼の日本語は分かりにくいので適宜現代風に直し、さらに分かりやすいように書き直した)
   (リアは)人が自分に従うことに馴らされてきた・・それまで彼は人を愛するか憎むかで、疑うことを必要とせず、・・その前にその人間を
   悪人と信じて罰してきた・・言わば無垢な性格の持ち主である。
   この作品の中心をなしているのは悪の問題なのである。
   恩知らずの親不孝は、・・どこにでもざらにあるものなので、もしそのために苦しみたくないのならば、それに備えて国を娘に譲ったりしない
   のこそ賢明な策である。
   (長女)ゴネリルの冷たい仕打ちを怒って、リアが(次女)リーガンの領地に向けて立ち去る時、彼はすでに発狂の一歩手前まで来ている・・。だが
   リーガンとゴネリルの間にはすでに了解が出来ていて、・・ゴネリルもその後を追って現れ、リアは二人の娘と対決することになる。
   ここで最も我々を打つのは、リアとその二人の娘が出会う時には常にそうであるが、この場面でも、常識的には理が娘たちの方にあることで、
   言葉の表面の意味だけを取れば、リアはいかにも頑固で分からず屋の年寄りなのであり・・。

「常識的には理は娘たちの方にある」!
この意外な見方には驚かされる。
これまでこういうことを言った人がいるだろうか。
だが姉たちの側に身を置いて考えてみよう。
リアは自分で言っているように、老後は末娘コーディーリアに世話されて暮らすつもりだった。
ところが、末娘の思いがけぬ冷淡な言葉を聞いて逆上したため、急に今後の暮らし方を考え直さなければならなくなって、とっさに百人の騎士を引き連れて
一ヶ月ずつ長女の城と次女の城に居候しよう、と思いついた。
姉娘たちからすれば迷惑この上ないことであり、えっそんなの聞いてませんけど!というのが彼女らの気分だろう。
おまけに父王は、だいぶボケが進んでいる。
  ゴネリル「お父様は歳のせいですっかり気まぐれにおなりだわ・・」
  リーガン「耄碌したのよ。もっとも、昔からご自分のことは少しもお分かりじゃなかったけど」
  ゴネリル「一番元気でしっかりしていた時だって見境がなかった。その上あのお年でしょう、覚悟しとかなきゃ。」
それに、そんな父に末娘は可愛がられたが、上の二人の娘たちはどうだったか。

   多神教の時代に住むリアには(唯一)神の観念がないが、娘たちの背後には悪の世界があり、その悪の世界を通して結局は神とリアが向き合っている。
   彼はついに完全に錯乱する。これが劇の頂点である。
   リアを苦しめる舞台全体の心理的緊張は続く。しかも増してゆく。
   これは生理的にも、観衆にも長くは耐えられない、それ故そこには当然一つの破綻、あるいは爆発が期待される。

それが3幕7場の老グロスター拷問のシーンだと吉田は言う。

   嵐の場面も含めて、これまでの動きのすべてがこの場面を必要としている。
   このような残忍さが3幕にわたって押し上げられて来たのであり、だからこそリアは発狂した。だがまだ解放ではない。
   蓄積された力は放出されねばならない。
   この場面で、それまで閉じ込められていた力がはけ口を与えられたために、ゴネリルやリーガンの世界とは別な世界が展開する余地が生じる。
   そういう意味で、グロスターが眼を抜かれるのは解放である。

この思いがけない、大胆な分析はどうだ!
「グロスターが眼を抜かれるのは解放である」!
傍点をつけたいところだが、ブログではつけられなくて実に残念。
彼のおかげで新しい視点が開けてくる。
気の毒な老グロスターは、ここで両目を失って初めて息子たちの真の姿が見えてきた。
父親に謀反を企むとんでもない悪党だと信じ込んでいた長男エドガーが実は無実で、それを自分に吹き込んで信じさせた次男エドマンドこそ、父を殺すことも厭わない
謀反人だったと知るのだ。
つまり、盲目となって初めて、言わば目が開けたのだった。
この後、城を追い出された彼は、あてもなくさまよううちに、身をやつしたエドガーに発見される。
エドガーは、父の家来たちに追われて逃げ、狂人に扮して洞窟に隠れていた。
彼は盲目となった父を見て激しいショックを受けるが、涙をこらえ、言葉使いを変え、自分の正体が父にバレないように努める。
そして父が行きたいと言うドーバーまで道案内するのだ。
こうして二人の道行が始まる。
エドガーは、父が絶望のあまりドーバーの断崖から身投げするつもりなのを察し、何とかしてそれを阻止しようとする。  
その途中で、彼らは狂ったリアに出会う。
リアもまた、今ようやく娘たちの真の姿が見えるようになったのだった・・・。

   コーディーリアがいないでゴネリルやリーガンばかりの世界を人間の世界であるとするのは虚偽であり、人間の世界を問題とするならば、
   そこにコーディーリアが登場するのは避けられない。
  
   かつてこの芝居の結末をハッピーエンドに書き直したものが上演されていたことがある。
   そこではフランス軍が勝ち、ゴネリル・リーガンの一党が敗れ、リアが復位して安穏に余生を送る。
   だがそうなると、人間と人間悪の問題は放棄されてしまう。
   悪に抗議することは人間の倫理的要求であるのみならず、芝居の観衆の生理的欲求でもある。
   このことがこの作品の筋を決定している。

この劇のあまりに悲劇的な結末に耐えられなかった人は、ヤン・コットだけでなく、以前から多くいたらしい。
18世紀に流行した改編版というのがあり、そこではリアは復位し、コーディーリアとエドガーがめでたく結ばれる(笑)。
フランス王はどうなったのか、と少々気になるが、とにかくこの二人は同世代で善良であり、身分上も何とか釣り合うのだから、
二人を一緒にしたくなる気持ちは、わからなくはない。
ちなみに評者は子供の頃、子供向きのダイジェスト版を読んでケント伯爵に感動し、この人とコーディーリアが結ばれればいいのに、と思っていた(笑)。
ケントは48歳だと自分で言っており、当時の感覚からすると、すでにかなりの年寄りだ、と気づいたのはだいぶ経ってからだった。

吉田は「悪に抗議することは人間の倫理的要求であるのみならず、芝居の観衆の生理的欲求でもある」と言う。
「悪に抗議する」とはどういうことかと言うと、悪人共が戦いに敗れ、善人が勝利するという勧善懲悪ではなく、この世の現実を忠実に反映して、
悪が栄え、善人が滅びるという過酷な不条理を観客の眼前に描き出すということだ。
悪が初めからなかったかのように簡単に消滅し、リアが元の地位を取り戻したのでは何の解決にもならない。
そんなハッピーエンドこそ、ただの絵空事に過ぎず、誰の心をも打つことはない。
乱れに乱れた世界がようやく秩序を取り戻した時、犠牲も生じる。
それがリアとコーディーリアの死、父グロスターの死なのだ。
悪人共の悪事はすべて露呈し、彼らはみな死ぬ。
それは観客にとってまことに喜ばしいことであり、すべての人に満足をもたらすものだ。
人間には「正義」の感覚が与えられているから。
だが善人たちもまた、数人を除いて死んでしまう。
悲しみに満ちた結末だが、この世の不条理を直視しているという点で極めて現代的であり、だからこそ深い感動を与えてくれるのではないだろうか。








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