ロビンの観劇日記

芝居やオペラの感想を書いています。シェイクスピアが何より好きです💖

井上ひさし作「マンザナ、わが町」

2015-11-21 22:26:23 | 芝居
10月5日紀伊國屋ホールで、井上ひさし作「マンザナ、わが町」をみた(演出:鵜山仁)。

1942年3月、カリフォルニア州マンザナ強制収容所。4ヶ月前の真珠湾攻撃以来、日系アメリカ人に対する排日の機運は一気に高まっていた。
特に西海岸在住のおよそ11万人は、奥地に急造された10ヶ所の収容所に強制収容されることになった。
そのうちの1つ、リンゴ園という意味の名の土地に作られたマンザナ収容所。砂漠の真ん中のバラックの一室に集められた5人の女性たち。ジャーナリスト、浪曲師、舞台奇術師、歌手、映画女優。収容所長から彼女らに下された命令は「マンザナは決して強制収容所ではなく、集まった日系人たちの自治によって運営されるひとつの町なのだ」という内容の朗読劇「マンザナ、わが町」の上演。
日系人として受けた差別的な境遇を語り合い、自分の中の日本人らしさとアメリカ人らしさが明らかとなる中で、アメリカ建国の理念に反する収容所を美化した台本の内容をめぐって激しく対立する5人。
果たして「マンザナ、わが町」は上演されるのか。5人の個性あふれる女優たちが集結して、18年ぶりの上演(チラシより)。

18年ぶりの公演というのも分かる。熊谷真美演じる浪曲師オトメ天津の役が難しいからだろう。三味線が弾けて浪曲が唸れないといけないのだから。
熊谷は相変わらず達者なもの。

井上らしく、言葉への関心が強い。そして歌…たとえ米国で生まれ育った日系人でも、両親が日本人なら知っているはずの子守唄や童謡の数々。

ストーリーが秀逸。生まれも育ちも、そして立場も違う5人の個性がくっきりと描き出されており、それぞれに見せ場が与えられ、変化に富んでいて
飽きさせない。

役者は皆健闘。サチコ斎藤役の伊勢佳世は、初めて見た時は、弦楽四重奏団のセカンドバイオリン奏者役を可憐に演じていたが、今回は一転して
片言の日本語を話す怪しい女性役を熱演。

だが最後はやはりくどいし恥ずかしい。劇場は学校ではないのだから「黄色は美しい」、「黒は美しい」などと、くどくど叫ぶのはやめてほしい。
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オペラ「ダナエの愛」

2015-11-11 23:51:22 | オペラ
10月3日東京文化会館大ホールで、リヒャルト・シュトラウス作曲のオペラ「ダナエの愛」をみた(原案:フーゴ・フォン・ホフマンスタール、
台本:ヨーゼフ・グレゴール、指揮:準・メルクル、演出:深作健太、オケ:東フィル)。

日本初演。ドイツ語上演。

人間の娘ダナエと神ゼウスの話と、ミダス王の話を合体させるという大技を、ホフマンスタールがやってのけた作品らしい。

美女ダナエの元に色好みのユピテル(ジュピター=ゼウス)が「黄金の雨」となって降り注ぎ、思いを遂げちゃうというエピソードがギリシャ
神話にある。また、ミダス王は黄金好きが高じて、触れるものが何でも黄金に変わる力を与えて下さい、とディオニソス神に願ってしまい、
それが叶えられてしまい大変なことになっちゃう、というのもやはりギリシャ神話中の面白い話だ。
思うに、ホフマンスタールは片方だけではオペラとして短過ぎるので、黄金つながりでこの二つの話を合体させたのではないだろうか。

1幕:檻のような鉄の扉の部屋に、青いドレスの王女ダナエがいる。何と片足が鉄の鎖で台座に結びつけられている。黒服の男たちが書類(借用書)
を手に押しかけ、やはり黒服の王に借金を返せと迫る。王は今にミダス王から返事が来るから待ってほしいと言う。4人の使いに娘ダナエの肖像画を
持たせて何人かの王の所に行かせたのだ。
ダナエは歌う。「黄金が好き」そして「黄金の雨に濡れた夢を見た」「あの甘美な愛を与えてくれる人がいい」等々。そこにミダス王の使いクリゾ
ファーが到着。彼は「秘密がある」と言うが、二人はいい感じになってしまう。
そこにミダス王登場。壁が開き、階段が現れ、白煙と共に黄色い甲冑に身を固めた光輝く堂々たる姿。おお、これは!だけどこの後ユピテルも登場
するはずなのに、人間の王でこの派手さだったら神々の王は一体どういう風に登場させるのか、と思ったら、実はこの人(?)はミダス王のふりを
した神ユピテルその人だった(笑)。
ユピテル役の大沼徹は背が高くハンサムでかっこいい。ユピテルにぴったり。
父王は斧でダナエの鎖を切る。ダナエは「思ってた通りのお方」と言いながらも求愛に応えるような普通の挨拶ができず、クリゾファーを見つめつつ
気絶。クリゾファーは彼女を抱き上げ、ユピテルとにらみ合う。

2幕:ユピテルの元カノである4人の王妃たちが歌う。ユピテルが実はミダス王の姿を借りてここに来ていること、ある時は牡牛の姿で、ある時は黄金
の雨となって、天上から見初めた人間界の女たちを愛してきたこと、でも今度は人間の姿で。なぜかと尋ねるとユピテルは答えて、ダナエは戯れの愛
でなく真実の愛を望んでいるから、と言う。「悪妻ユノ」にバレないためだとも。金の甲冑が重くて苦しいとかブツブツこぼすユピテルがおかしい。
寝室にダナエが一人でいると、クリゾファーが来て二人は話す。その後クリゾファーとユピテルの会話。ユピテルはダナエがクリゾファーを愛している
のではないか、裏切ったな、とクリゾファーを責める。彼の話から、クリゾファーが(元は貧しいロバ引きだったが)実はミダス王で、ユピテルから
富と位をもらう代わりに自分がミダス王であることを隠し、ずっとクリゾファーのふりをするという契約を交わしたことが明らかとなる。
ユピテルが去り、クリゾファー(ミダス)とダナエが話し、キスし合うと、ダナエはたちまち金の彫像になってしまう。相手はミダス王だから当然だ。
クリゾファー(ミダス)は自分の手を見つめて運命を呪う。
そこにユピテル登場。ダナエに選ばせよう、と提案し、二人がダナエに呼びかけるとダナエは目覚め、「ミダス、私を愛し続けて」「さようなら、私の
見た夢」と言い、二人は手に手を取って走り去る。ユピテルはがっくり来て幕。

3幕:幕が開くとそこは一面の廃墟。二人は離れた所に倒れているが、気がついて寄り添い、「愛のゆえにこの暮らしを選んだ」と納得し、愛によって貧しさに耐えて共に生きようとする。二人が去ると、ユピテル登場。まだダナエに未練たっぷり。そこに場違いなオレンジ色の防御服のようなのを着た男が舞台上手に現れ、ガイガーカウンター(放射能測定器)のようなものでそこらを測っている。それを脱ぐと中は黄緑色の医師の格好。これがメルクル(マーキュリー)。神々の使い役だ。ユピテルが彼に天上の様子を聞くと、彼は、前の幕でダナエがユピテルでなく「ロバ引きを選んだ」時、天上で神々がどんなに笑ったか、面白おかしく報告。憮然とするユピテル。
そこへまた黒服の男たちが群がって来て、金を返せとうるさいので、ユピテルは「メルクル、助けてくれ」と言う。するとメルクル、空からお札を降らせ、皆喜んで拾って立ち去る。
ユピテルはメルクルに「もうダナエに会えないのか」と嘆くので、メルクルは、彼女は今は貧しい暮らしなので、輝くユピテルを見たら心動かされるだろう、と励ます。
ダナエが戻って来て着火マンで火をつけ、米?をボウルに入れ、ペットボトルの水を入れてかき混ぜ、火にかける。
ユピテルが話しかける。このシーンが長い。

だがダナエの心は変わらない。彼女は別れ際、ユピテルに記念の品と言って、髪飾りにしていた金の花を渡す。するとそれが普通の赤い花に変わる。
ダナエはボロ布で肩から下を覆っていたが、ユピテルと話しながらそれを取ると、お腹が大きい。いとおしそうにお腹をさするダナエ。頭を抱える
ユピテル(笑)。
ミダス(クリゾファー)が苗木を上手に置いておくと、ラスト、その木に白い花がたくさん咲いている。

1幕でミダスがダナエに持参した黄金色の衣はクリムトの名画「接吻」の色柄!(衣装:前田文子)。
歌手がみなうまい。特にユピテル役の大沼徹。声よし、姿よし、演技よし。
ダナエとは「雨となってちょっと戯れたが、もっとちゃんとつき合いたい」みたいなことを言うユピテル。ダナエもそういう愛を望んでいる、とも。

副題を「ジュピター最後の恋」とつけるといいかも。本人が「これが私の最後の恋だ」と言うのだから。
そして彼は、これまで牡牛になったり白鳥になったりして交わったオイロパやらレダやらともきっぱり別れ、いかにも近代人ぽく、さらに言えば
ドイツ人ぽく諦念を美しい顔にたたえ、憂い顔で去ってゆくのだった。
   
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オニール作「夜への長い旅路」

2015-11-03 10:20:43 | 芝居
9月22日シアタートラムで、オニール作「夜への長い旅路」をみた(台本:木内宏昌、演出:熊林弘高)。

20世紀アメリカが生んだ偉大な劇作家でありノーベル賞作家でもあるユージン・オニール。
本作品は彼の死後発表され4度目のピューリツァー賞受賞。作家自身の凄まじい家族関係を描き、演劇史上最高の自伝劇と言われる。

過去の辛い出来事から抜け出せないメアリーと、かつて有名なシェイクスピア俳優だった夫ジェイムス、自堕落な生活を送る長男ジェイミーと
病弱な次男エドマンド(ユージン自身)。家族4人の長い旅路の果て、彼らがたどり着く先に待っていたものは…。(チラシより)

重苦しい!ただひたすら…。全く知らない話だったので、筋を追う、と言うか、この家族の歴史が4人の口から怒涛のように語られるのを
聞きながら、起こった出来事を時系列に沿って把握するのがなかなか大変だった。

まず、エドマンドが手紙を朗読する。妻に当てた手紙だ。そこには「結婚12年になる」という言葉がある。だがそれがその後の話の展開と
どう関わるのか全く分からない。
メアリー(麻美れい)は夫(益岡徹)と結婚直後、夫が彼の愛人に訴えられたため、友人たちに憐れまれ、孤立し、麻薬中毒になってしまう。
ジェイミー(田中圭)は秀才の誉れ高かったが、酒に溺れ学校を退学。今は一応役者だが、毎日ぶらぶらしている。
エドマンド(満島真之介)は新聞記者だったが、辞めて実家に戻っている。虚弱で咳をしており、後に結核と判明する。
実は二人の間にもう一人ユージン(!)という名の男の子がいたが、赤ん坊の時ジェイミーのはしかがうつって死んでいた。
父は家族からケチと非難されている。人に勧められるまま土地を次々に買うのが趣味?で、その反面、家族の医者代をケチり、妻も息子も
1回1ドルの安い医者にしかかからせない。

配役に問題あり。みな熱演ではあるが、田中圭はとても長男には見えず、むしろ満島真之介の方が大柄で落ち着いていて長男ぽいのだ。
途中でセリフからやっと二人の関係が判明したが。

愛と憎悪が渦巻くこの家族の物語に引き込まれ、ひたすら疲れた。
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