12月12日紀伊國屋サザンシアターで、木下順二作「巨匠」を見た(劇団民藝公演、演出:丹野郁弓)。
今夜「マクベス」の初日を迎える大劇場の楽屋。俳優と演出家は、ある演技をめぐって議論になる。
食い下がる演出家に、俳優はついに20年前に体験したある出来事を語り出す。
1944年、ワルシャワ蜂起に対するナチス・ドイツの弾圧を逃れた人々が郊外の小学校に潜んでいた。
命からがら辿り着いた俳優は女教師、前町長、ピアニスト、医師、そして老人と出会う。
そこへゲシュタポが現れ、レジスタンスによる鉄道爆破への報復として4人の知識人を銃殺するという。
老人の身分証明書には簿記係とあったため、知識人ではないとして除外されるが、彼は「自分は俳優である」と主張して・・・(チラシより)。
題材が非常に興味深い。
劇作家・木下順二がポーランドのテレビドラマに触発されて書き下ろした作品の由。
老人は、小学校に逃げ込んで来た若者が俳優志望だと言うのを聞くと、そばに呼んで語り出す。
彼は、いつの日か「マクベス」で主役マクベスをやりたいと願っており、この戯曲を熱心に研究していた。
英語の原作とドイツ語訳とポーランド語訳を持ち歩いている。
ポーランド語訳は6種類あり、それぞれ特色があり、1つはよくない、1つはシュレーゲルのドイツ語訳からの重訳だ、という。
ただ彼のマクベス観は、若者も後に認めているように「ちょっと変」だ。
「マクベスをやるには、私は年を取り過ぎていると思うか?いや、マクベスは年寄りがやるべきだ。大事なのは夫人だ。
彼女は若い。たぶんまだ10代だろう。若い彼女にそそのかされてマクベスは奮起するんだ」みたいなことを言う。
確かにこれはおかしい。
二人はそれほど年が離れておらず、子供の出産と死を共に経験した過去もある。
宴会の場でわかるように、女主人として堂々と客をもてなすところを見ても、夫人もある程度の年齢だろうと思われる。
この老人が宝物にしている小さな紙きれ。これは、若き日、共に同じ劇場でデビューした古い仲間が書いてくれた紹介状だった。
その男は今では国を代表する俳優となっている。一方彼は、その後、役に恵まれず、旅回りの役者をしている。
彼は「戦争はもうすぐ終わる。終わったら、この紹介状を持って行く、そしてマクベスをやるんだ」と熱く夢を語る。
「俳優は、才能だけじゃ駄目だ。運も必要なんだ」と若者に言って聞かせる。
部屋にゲシュタポが入って来ると、彼はそこにいる人々に向かって、知識人は壁際に立て、と命じる。
言われた通り、女教師、ピアニスト、医師、前町長が進み出るが、老人も一緒に移動する。
老人の身分証明書に「簿記係」とあるので、通訳者が「あなたはいいです。戻ってください」と言う。
だが老人は、必死になって抵抗する。
「私は俳優なんです!」「マクベスのセリフを全部そらで言えます」「聴いてください」
ゲシュタポは、彼の申し出を面白いと思ったのか、演じさせることにする。
命の瀬戸際に、彼は、自分を俳優だと敵に認めてもらうためにマクベス役を熱演する。
だが認めてもらえるということは、即、銃殺されることを意味するのに。
なぜわざわざそんなことをするのか。
黙って従っていれば、死なずにすむのに。
そして、自分で言っているように、戦争が終わったら、どこかの劇場でマクベスを演じることができるかも知れないのに。
彼が何歳だか分からないが、人生の終わり近くに来て、自分の全生涯をかけてきた演劇への情熱をわかってもらいたかったのか。
ゲシュタポにわかってもらわなくてもいいじゃないか、とも思うが。
それとも彼は、さっきまで話していた若者に、自分の俳優としての姿を見せたかったのだろうか。
彼はゲシュタポに独訳本を渡し、彼の前でポーランド語で2幕1場の短剣の場を演じて見せる。
その迫力、鬼気迫る様子に、その場にいる全員が打たれたようになる。
だが、ひとくさり演じ終えると、ゲシュタポはゆっくり拍手し、「お前は俳優だ」と認め、処刑される人々の側に行くよう合図する。
銃殺されるために部屋を出る時、老人は振り返って若者を見、満足したようにほほえむのだった。
前町長は芸術に理解がなく、ピアニストが練習するのを迷惑がって文句を言い医師にたしなめられたり、老人のことを巨匠と呼んでからかい、
彼が将来の夢を語る時、いちいち水を差すようなことを言う。
だが老人が熱演の末俳優(=知識人)と認められ、処刑されることが決まると、その代わりに、この前町長が処刑を免れることになる。
銃殺する人数は4人と決まっているからだ。
何という皮肉。だが、これが現実というものだろう。
ナチスが知識人を殺すのは、知識人(=指導者)さえいなければ、レジスタンスは続かないと知っているからだ。
ナチスもレジスタンスを恐れていた。一歩間違えれば自分たちがやられる側に回るのだから。
劇中劇で、マクベスのセリフに「ユーキ」という言葉が2回出てきて、2回目にやっと「幽鬼」だとわかった(2幕1場)。
木下訳だろうが、これは耳で聞いただけで理解するのは難しい。
もう死語だろうし、上演台本としては避けるべき語だろう。
ちなみに福田恆存はここを「もののけ」、小田島雄志と松岡和子は「亡霊」と訳している。
原文は ghost 。
枠構造なのはいいが、冒頭で作者が自分のことを長々と語るのは不要だし、「私が私の・・」など何を言ってるのか意味不明な箇所あり。
ここはカットした方がいいと思う。
老人役の西川明が素晴らしい。滑舌は少し悪いが、熱演に胸を打たれた。
ゲシュタポ役の橋本潤は、ドイツ語の発音が正確で好感が持てた。
今夜「マクベス」の初日を迎える大劇場の楽屋。俳優と演出家は、ある演技をめぐって議論になる。
食い下がる演出家に、俳優はついに20年前に体験したある出来事を語り出す。
1944年、ワルシャワ蜂起に対するナチス・ドイツの弾圧を逃れた人々が郊外の小学校に潜んでいた。
命からがら辿り着いた俳優は女教師、前町長、ピアニスト、医師、そして老人と出会う。
そこへゲシュタポが現れ、レジスタンスによる鉄道爆破への報復として4人の知識人を銃殺するという。
老人の身分証明書には簿記係とあったため、知識人ではないとして除外されるが、彼は「自分は俳優である」と主張して・・・(チラシより)。
題材が非常に興味深い。
劇作家・木下順二がポーランドのテレビドラマに触発されて書き下ろした作品の由。
老人は、小学校に逃げ込んで来た若者が俳優志望だと言うのを聞くと、そばに呼んで語り出す。
彼は、いつの日か「マクベス」で主役マクベスをやりたいと願っており、この戯曲を熱心に研究していた。
英語の原作とドイツ語訳とポーランド語訳を持ち歩いている。
ポーランド語訳は6種類あり、それぞれ特色があり、1つはよくない、1つはシュレーゲルのドイツ語訳からの重訳だ、という。
ただ彼のマクベス観は、若者も後に認めているように「ちょっと変」だ。
「マクベスをやるには、私は年を取り過ぎていると思うか?いや、マクベスは年寄りがやるべきだ。大事なのは夫人だ。
彼女は若い。たぶんまだ10代だろう。若い彼女にそそのかされてマクベスは奮起するんだ」みたいなことを言う。
確かにこれはおかしい。
二人はそれほど年が離れておらず、子供の出産と死を共に経験した過去もある。
宴会の場でわかるように、女主人として堂々と客をもてなすところを見ても、夫人もある程度の年齢だろうと思われる。
この老人が宝物にしている小さな紙きれ。これは、若き日、共に同じ劇場でデビューした古い仲間が書いてくれた紹介状だった。
その男は今では国を代表する俳優となっている。一方彼は、その後、役に恵まれず、旅回りの役者をしている。
彼は「戦争はもうすぐ終わる。終わったら、この紹介状を持って行く、そしてマクベスをやるんだ」と熱く夢を語る。
「俳優は、才能だけじゃ駄目だ。運も必要なんだ」と若者に言って聞かせる。
部屋にゲシュタポが入って来ると、彼はそこにいる人々に向かって、知識人は壁際に立て、と命じる。
言われた通り、女教師、ピアニスト、医師、前町長が進み出るが、老人も一緒に移動する。
老人の身分証明書に「簿記係」とあるので、通訳者が「あなたはいいです。戻ってください」と言う。
だが老人は、必死になって抵抗する。
「私は俳優なんです!」「マクベスのセリフを全部そらで言えます」「聴いてください」
ゲシュタポは、彼の申し出を面白いと思ったのか、演じさせることにする。
命の瀬戸際に、彼は、自分を俳優だと敵に認めてもらうためにマクベス役を熱演する。
だが認めてもらえるということは、即、銃殺されることを意味するのに。
なぜわざわざそんなことをするのか。
黙って従っていれば、死なずにすむのに。
そして、自分で言っているように、戦争が終わったら、どこかの劇場でマクベスを演じることができるかも知れないのに。
彼が何歳だか分からないが、人生の終わり近くに来て、自分の全生涯をかけてきた演劇への情熱をわかってもらいたかったのか。
ゲシュタポにわかってもらわなくてもいいじゃないか、とも思うが。
それとも彼は、さっきまで話していた若者に、自分の俳優としての姿を見せたかったのだろうか。
彼はゲシュタポに独訳本を渡し、彼の前でポーランド語で2幕1場の短剣の場を演じて見せる。
その迫力、鬼気迫る様子に、その場にいる全員が打たれたようになる。
だが、ひとくさり演じ終えると、ゲシュタポはゆっくり拍手し、「お前は俳優だ」と認め、処刑される人々の側に行くよう合図する。
銃殺されるために部屋を出る時、老人は振り返って若者を見、満足したようにほほえむのだった。
前町長は芸術に理解がなく、ピアニストが練習するのを迷惑がって文句を言い医師にたしなめられたり、老人のことを巨匠と呼んでからかい、
彼が将来の夢を語る時、いちいち水を差すようなことを言う。
だが老人が熱演の末俳優(=知識人)と認められ、処刑されることが決まると、その代わりに、この前町長が処刑を免れることになる。
銃殺する人数は4人と決まっているからだ。
何という皮肉。だが、これが現実というものだろう。
ナチスが知識人を殺すのは、知識人(=指導者)さえいなければ、レジスタンスは続かないと知っているからだ。
ナチスもレジスタンスを恐れていた。一歩間違えれば自分たちがやられる側に回るのだから。
劇中劇で、マクベスのセリフに「ユーキ」という言葉が2回出てきて、2回目にやっと「幽鬼」だとわかった(2幕1場)。
木下訳だろうが、これは耳で聞いただけで理解するのは難しい。
もう死語だろうし、上演台本としては避けるべき語だろう。
ちなみに福田恆存はここを「もののけ」、小田島雄志と松岡和子は「亡霊」と訳している。
原文は ghost 。
枠構造なのはいいが、冒頭で作者が自分のことを長々と語るのは不要だし、「私が私の・・」など何を言ってるのか意味不明な箇所あり。
ここはカットした方がいいと思う。
老人役の西川明が素晴らしい。滑舌は少し悪いが、熱演に胸を打たれた。
ゲシュタポ役の橋本潤は、ドイツ語の発音が正確で好感が持てた。