ロビンの観劇日記

芝居やオペラの感想を書いています。シェイクスピアが何より好きです💖

「巨匠」

2023-12-28 21:57:54 | 芝居
12月12日紀伊國屋サザンシアターで、木下順二作「巨匠」を見た(劇団民藝公演、演出:丹野郁弓)。



 今夜「マクベス」の初日を迎える大劇場の楽屋。俳優と演出家は、ある演技をめぐって議論になる。
食い下がる演出家に、俳優はついに20年前に体験したある出来事を語り出す。
 1944年、ワルシャワ蜂起に対するナチス・ドイツの弾圧を逃れた人々が郊外の小学校に潜んでいた。
命からがら辿り着いた俳優は女教師、前町長、ピアニスト、医師、そして老人と出会う。
そこへゲシュタポが現れ、レジスタンスによる鉄道爆破への報復として4人の知識人を銃殺するという。
老人の身分証明書には簿記係とあったため、知識人ではないとして除外されるが、彼は「自分は俳優である」と主張して・・・(チラシより)。

題材が非常に興味深い。
劇作家・木下順二がポーランドのテレビドラマに触発されて書き下ろした作品の由。

老人は、小学校に逃げ込んで来た若者が俳優志望だと言うのを聞くと、そばに呼んで語り出す。
彼は、いつの日か「マクベス」で主役マクベスをやりたいと願っており、この戯曲を熱心に研究していた。
英語の原作とドイツ語訳とポーランド語訳を持ち歩いている。
ポーランド語訳は6種類あり、それぞれ特色があり、1つはよくない、1つはシュレーゲルのドイツ語訳からの重訳だ、という。

ただ彼のマクベス観は、若者も後に認めているように「ちょっと変」だ。
「マクベスをやるには、私は年を取り過ぎていると思うか?いや、マクベスは年寄りがやるべきだ。大事なのは夫人だ。
彼女は若い。たぶんまだ10代だろう。若い彼女にそそのかされてマクベスは奮起するんだ」みたいなことを言う。
確かにこれはおかしい。
二人はそれほど年が離れておらず、子供の出産と死を共に経験した過去もある。
宴会の場でわかるように、女主人として堂々と客をもてなすところを見ても、夫人もある程度の年齢だろうと思われる。

この老人が宝物にしている小さな紙きれ。これは、若き日、共に同じ劇場でデビューした古い仲間が書いてくれた紹介状だった。
その男は今では国を代表する俳優となっている。一方彼は、その後、役に恵まれず、旅回りの役者をしている。
彼は「戦争はもうすぐ終わる。終わったら、この紹介状を持って行く、そしてマクベスをやるんだ」と熱く夢を語る。
「俳優は、才能だけじゃ駄目だ。運も必要なんだ」と若者に言って聞かせる。

部屋にゲシュタポが入って来ると、彼はそこにいる人々に向かって、知識人は壁際に立て、と命じる。
言われた通り、女教師、ピアニスト、医師、前町長が進み出るが、老人も一緒に移動する。
老人の身分証明書に「簿記係」とあるので、通訳者が「あなたはいいです。戻ってください」と言う。
だが老人は、必死になって抵抗する。
「私は俳優なんです!」「マクベスのセリフを全部そらで言えます」「聴いてください」
ゲシュタポは、彼の申し出を面白いと思ったのか、演じさせることにする。

命の瀬戸際に、彼は、自分を俳優だと敵に認めてもらうためにマクベス役を熱演する。
だが認めてもらえるということは、即、銃殺されることを意味するのに。
なぜわざわざそんなことをするのか。
黙って従っていれば、死なずにすむのに。
そして、自分で言っているように、戦争が終わったら、どこかの劇場でマクベスを演じることができるかも知れないのに。
彼が何歳だか分からないが、人生の終わり近くに来て、自分の全生涯をかけてきた演劇への情熱をわかってもらいたかったのか。
ゲシュタポにわかってもらわなくてもいいじゃないか、とも思うが。
それとも彼は、さっきまで話していた若者に、自分の俳優としての姿を見せたかったのだろうか。

彼はゲシュタポに独訳本を渡し、彼の前でポーランド語で2幕1場の短剣の場を演じて見せる。
その迫力、鬼気迫る様子に、その場にいる全員が打たれたようになる。
だが、ひとくさり演じ終えると、ゲシュタポはゆっくり拍手し、「お前は俳優だ」と認め、処刑される人々の側に行くよう合図する。
銃殺されるために部屋を出る時、老人は振り返って若者を見、満足したようにほほえむのだった。

前町長は芸術に理解がなく、ピアニストが練習するのを迷惑がって文句を言い医師にたしなめられたり、老人のことを巨匠と呼んでからかい、
彼が将来の夢を語る時、いちいち水を差すようなことを言う。
だが老人が熱演の末俳優(=知識人)と認められ、処刑されることが決まると、その代わりに、この前町長が処刑を免れることになる。
銃殺する人数は4人と決まっているからだ。
何という皮肉。だが、これが現実というものだろう。
ナチスが知識人を殺すのは、知識人(=指導者)さえいなければ、レジスタンスは続かないと知っているからだ。
ナチスもレジスタンスを恐れていた。一歩間違えれば自分たちがやられる側に回るのだから。

劇中劇で、マクベスのセリフに「ユーキ」という言葉が2回出てきて、2回目にやっと「幽鬼」だとわかった(2幕1場)。
木下訳だろうが、これは耳で聞いただけで理解するのは難しい。
もう死語だろうし、上演台本としては避けるべき語だろう。
ちなみに福田恆存はここを「もののけ」、小田島雄志と松岡和子は「亡霊」と訳している。
原文は ghost 。

枠構造なのはいいが、冒頭で作者が自分のことを長々と語るのは不要だし、「私が私の・・」など何を言ってるのか意味不明な箇所あり。
ここはカットした方がいいと思う。

老人役の西川明が素晴らしい。滑舌は少し悪いが、熱演に胸を打たれた。
ゲシュタポ役の橋本潤は、ドイツ語の発音が正確で好感が持てた。



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オペラ「レ・ボレアード」

2023-12-18 09:58:36 | オペラ
12月8日北とぴあ さくらホールで、ラモー作曲のオペラ「レ・ボレアード」を見た(指揮・ヴァイオリン:寺神戸亮、演出:ロマナ・アニエル、オケ:レ・ボレアード)。



セミ・ステージ形式、フランス語上演、日本語字幕付き。

レ・ボレアードという団体が、同名のオペラを上演する。
ちょっとややこしいが、これが指揮者・寺神戸亮の悲願だったという。
この作品は1763年に完成し、リハーサルが始まっていたが、初演を待たずに作曲家ラモーが亡くなり、その後、何と200年もの間忘れられていて、
20世紀後半に再発見された由。
しかも、そんなに古い作品なのに、様々な事情から今日でもめったに上演されないという。
この北とぴあ国際音楽祭がスタートした時、寺神戸亮氏が、フランス・バロックオペラの巨匠ラモーの最後の作品であり
知られざる傑作の評判高い「レ・ボレアード」(北風の神々)と、北区の「北」をかけてオケの名前にしたという。
以来、この作品の上演は彼の悲願となり、今回、セミ・ステージ形式での全曲演奏となった。
全曲演奏は日本初演。

バクトリアの女王アルフィーズは、国のため北風の神ボレ(ボレアス)の血を引くボリレとカリシスのいずれかと結婚しなければならない定めにある。
しかし彼女は出自の分からないアバリスという青年と愛し合っていて、他の男性との結婚など考えられないと侍女セミルに打ち明ける。
一方アバリスの方も、苦しい恋心を吐露していると、大司祭アダマスが現れ、彼を励ます。
そこに、アルフィーズがボレから逃げて来る。
愛の神アムールが降臨し、アルフィーズに魔法の矢を手渡す。
アルフィーズとアバリスは希望を抱き、喜びを取り戻す。
ボリレとカリシスがアルフィーズに結婚の決断を促し、民衆も国王選びにしびれを切らす。
アルフィーズは覚悟を決め、女王の座を退くと宣言。
アバリスは喜ぶが、ボレの息子たちは怒る。
アバリスは自分のために身分を捨てさせてはいけないと思い直し、愛よりも王位を優先するようアルフィーズを諫めるが、彼女の意思は固い。
ボレの息子たちは復讐すべく、二人の不正を罰するよう訴えると、ボレの怒りは嵐となって猛威を振るい、つむじ風がアルフィーズを連れ去ってしまう。
人々はボレの怒りが収まるように祈りを捧げる。
大司祭アダマスが現れる。
アバリスはアルフィーズから授かった愛の矢で自殺しようとしてアダマスに止められる。
合唱が、西風の神ゼフィールの翼について語る。
アバリスは死を覚悟しつつも、アルフィーズを助けるため、愛が呼ぶところへ飛んでいく、と叫ぶ。
激怒するボレの拷問に苦しむアルフィーズのもとに、愛の矢に導かれたアバリスがやって来る。
ボレたちはアバリスを殺そうとするが、アバリスが矢で制止する。
その時アポロンが降臨し、アバリスは我が息子であり、母親はボレの血を引くニンフであると明かし、王位を与えるよう告げる。
ボレはこれを受け入れ、二人の結婚を祝福する。
二人は抱き合い愛の勝利を喜び合う。
二人の愛を祝福してコントルダンスが踊られ幕となる。

ふう・・・あらすじを書いただけで、もうぐったりです(笑)

久し振りにバロックオペラを見た。
ストーリーだけなら1時間くらいで終わるところを、それとは無関係にやたらとダンスが入る。
しかもそれぞれ繰り返しつきで。
もちろんその間のラモーの音楽は素敵なのだが、とにかく長い(3時間15分)!
現代人にはいささか忍耐が必要かも。
ひょっとしたら歌舞伎みたいに飲み食いしながら鑑賞していたのかも知れない。
昔の人は、ダンスの間にそれまでのストーリーを忘れてしまったりしなかったのだろうか。

歌手ではアルフィーズ役のカミーユ・プール、セミル役の湯川亜也子、アダマスとアポロン役の与那城敬が特に印象に残った。
フランスとポーランドから招いたというバロックダンスのスペシャリストたちのダンスも素晴らしく、見応えがあった。

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井上ひさし作「連鎖街のひとびと」

2023-12-11 22:37:18 | 芝居
12月2日紀伊國屋サザンシアターで、井上ひさし作「連鎖街のひとびと」を見た(こまつ座公演、演出:鵜山仁)。



昭和20年 旧満洲国 大連市
とり残された劇作家たちに課せられた使命は
通訳将校歓迎会の台本作り
しくじればシベリア送りの状況下
時間も食事も俳優も何もかもが足りない中で
生み出されたのは起死回生の逆転劇(チラシより)

21年ぶりの再演とのこと。

大連にとり残された劇作家二人(高橋和也と千葉哲也)は、日本に帰ることもできず、小さなホテルに軟禁されて悶々とする日々。
ロシア軍将校に、パーティの余興のために30分の芝居の台本を書くよう迫られている。
ちょうどその頃、女優ジェニー(霧矢大夢)がロシア軍から解放され、彼女の婚約者で若い作曲家(西川大貴)共々、芝居上演に協力することになる。
だが作曲家は、ある夜、たまたま彼女と元カレ・市川(石橋徹郎)との会話を耳にし、ショックで寝込んでしまう。
それを知ったジェニーは青酸カリを飲もうとして皆に取り押さえられる。
劇作家たちとホテルのコック・陳(加納幸和)は、何とか二人を救おうと知恵を絞り、あの夜の二人の会話は、実は芝居の稽古だった、と
作曲家に信じさせようとする。そのために、あの時の二人の会話をそのまま入れた台本を作ってしまう。
この状況が、まず可笑しい。
<休憩>
かくして芝居の稽古が始まる。
当然ながら、市川も参加することになるが、この劇中劇で、彼はロシア人の長い名前に苦しむ。
一つ一つが長い上に、ミドルネーム(父称)もあるから確かに彼らの名前は長い。
しかも夫婦のいさかいの場面なのに、なぜか彼のセリフにばかり、やたらと人名が出てくるのだ。
どうも、台本を執筆した劇作家たちの側に、彼に対する反感があるので、こういうことになったらしい。
どうして私のセリフにばかり長い人名が出てくるのか?と劇作家・片倉(千葉哲也)に文句を言うと、片倉は大声で「何?!」とすごむ。
これが怖い!(笑)
この人は、見た目も怖いし(失礼)、でかい声も出るし、この役にピッタリだ。

結局作曲家は、彼らのもくろみに気がつき、あの夜の会話が芝居の稽古ではなかったことも知るが、幸い、恋人の過去は過去として受け入れ、
二人は危機を乗り越えることができた。

市川は、満洲国政府文化担当官だったため、敗戦後は隠れるように生きている。
彼は女たらしで皆に嫌われていたが、芝居の稽古をしているうちに、その心境に変化が訪れる。
芝居の魅力に取りつかれてしまったのだ。
その意外な展開が面白い。
ベテランの石橋徹郎が演じるのだから、ますますもって面白い。

役者が芸達者揃いで楽しかった。
ただ、やはり音楽がつまらない。特に最後の合唱。
もしまたやるとしたら、合唱の部分を新しく作り直してほしい。
それと、市川がロシア人の名前にいちいちつまづく場面で、その都度、結局は自力で全部言えるわけだが、
それより、台本を手に横で稽古を見ている演出家が、いちいち教えてやる方がリアルではないだろうか。

劇作家二人が立ち聞きについてしゃべっている時、一人が「チェーホフの芝居なんて、立ち聞きだけでできてるようなもん」と言う。
そうなのか?ちょっと言い過ぎじゃないだろうか。
今度、確かめてみるか。



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オペラ「午後の曳航」

2023-12-07 22:19:20 | オペラ
11月24日、日生劇場で、ハンス・ヴェルナー・ヘンツェ作曲のオペラ「午後の曳航」を見た(原作:三島由紀夫、台本:ハンス=ウルリッヒ・トライヒェル、
演出:宮本亜門、指揮:アレホ・ペレス、オケ:新日本フィル)。
二期会創立70周年記念公演、日生劇場開場60周年記念公演。




少年・黒田登は、父を亡くし、夜毎自分の部屋の秘密の穴から寝床にいる母・房子の姿を覗いていた。
ある日、登と房子は航海士の塚崎竜二と出会う。登は屈強な身体の竜二に強く惹かれるが、房子と竜二がベッドで抱き合う様子を
覗き穴から見てしまう。
やがて房子と竜二は結婚する。海を離れ、房子の経営するブティックを手伝うようになった竜二を、登は軽蔑する。
ある夜、房子と竜二は、登の部屋からの覗き穴を見つける。寛容な態度をとる竜二に対して、登はさらに憎悪を募らせ、
少年たちとともに竜二に裁きを与えることを決意する(チラシより)。

この日のために原作を読んだ。
最初の数ページで作者の才能に驚嘆。恥ずかしながら、ようやく三島の天才がわかったのでした。
(これまでに「憂国」と「金閣寺」を読んではいましたが)
読み進むうちに、当然ながら破局が待ち受けているのがわかり、もう怖くて怖くてたまらなかった。
こんな経験は初めてのこと。「カラマーゾフの兄弟」を読んだ時だって、全然怖くなかったのに。
房子と竜二が惹かれ合う様子をほほえましく思い、応援したい気持ちが芽生えたからなのか。
だがそれにしても二人は、あまりにもトントン拍子に現世的な幸福を築いてゆく。
いまどきの言葉を使えば、死亡フラグだらけだ。
登の友人たち、特に「首領」(このオペラでは1号)と呼ばれる少年は、留守がちな両親の所有する大量の書物を読破したという子で、
その結果、奇妙な思想に取りつかれている。
それは、奇怪で危険で、もはや化け物的で、精神科の医師にカウンセリングしてもらうべき代物だ。
彼の率いる仲間たちは、みな良家のお坊ちゃんで、学校の成績もよく、教師にも一目置かれている。
にもかかわらず、彼らは非常に危険な集団で、「血が必要だ」と言って、仔猫を探して来て殺したりする。
ラスト近くで「午後の曳航」というタイトルの意味するところがわかり、ようやく最後まで読む覚悟ができた。

さて、そのオペラ化である。
何と、この日も高校生の団体が!よっぽどチケットが売れなかったのか。
確かに2階、3階はほぼ空席。
まず幕に一つの瞳が大写しになり、カメラが引いてゆくと、実はそれは三島本人の(たぶん)中学生時代の顔の写真だった。
開幕時の音楽が、早くも不穏!
青っぽい登の部屋と赤い母の部屋が、壁1枚隔てて現れる。
ダンサーらしい黒子たちが何人も動き回って目まぐるしい。
船はいくつかの三角形で簡潔に作られている。
登の友人たちが変だ。
制服の前をはだけ、目つきも悪く、見るからに不良。先に書いたように、原作では全員、いいところのお坊ちゃんなのに。
そして、登との関係も変だ。
彼らは仲間なのに、登はみんなにいじめられたり脅されたりしているようだ。
一番驚いたのは、母の恋人・塚崎が外で登を襲うこと!
なぜそんなシーンをつけ加える??意味不明。
だからなのか、夏の別れの日、登は塚崎に対して「早く行け」と心中を歌い、彼を突き放し、母にひっぱたかれる。これも変だ。
猫を殺すシーンで幕。
<休憩>
正月に塚崎帰還。外で母にプロポーズ。
母は赤いドレスを着て、部屋に一人でいる。登に結婚のことを告げ、「パパと呼ぶのよ」
洋服屋(貸衣装店?)にウエディングドレスが並んでいる。
母が来て、幸せそうに、一つ選ぶ。女店員が相手をする。
夜、母は登に覗かれていることに気づき、急いで隣の部屋へ。
塚崎は拳を振り上げるが、思い直して登を許す。
登は仲間を集め、「塚崎竜二の罪状」を読み上げ、仲間たちはそれをメモし、1号がそれに点数をつけ、奥に、その点数が表示される。
合計150点。
塚崎と少年たち。塚崎が、差し出された睡眠薬入りの紅茶を一口飲むと、ダンサーたちは縄を手に近づいて彼を縛る。
彼はよろよろしつつ海について歌い続ける。
ついに彼らは塚崎を、奥に斜めになったところに寝かせ、登が1号からナイフを渡され、腕を大きく振り上げる。
そこに赤いドレスの母親が来てひざまずき、手を祈りの形にする。
そこで幕。

以上、書いてきたように、全体に演出が変だ。
登の仲間たちの描き方。
彼らと登との関係。
最後に母親を登場させたのもいただけない。
特に原作にない塚崎の暴行シーンをつけ加えているのが理解できない。

歌手では1号役の加来徹が好演。張りのある声が素晴らしい。演技も切れがある。





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