ロビンの観劇日記

芝居やオペラの感想を書いています。シェイクスピアが何より好きです💖

オペラ「ゲノフェーファ」

2011-02-25 14:41:15 | オペラ
2月5日新国立劇場中劇場で、ロベルト・シューマン作曲のオペラ「ゲノフェーファ」を観た(東京室内歌劇場、指揮:山下一史、演出:ペーター・ゲスナー)。

シューマンの唯一のオペラの日本舞台初演。

オペラ創作のため題材を探していたシューマンは、中世の聖女ジュヌヴィエーヴ(ゲノフェーファ)の説話をもとに書かれた悲劇に白羽の矢を立てた。
物語は8世紀のフランク王国。伯爵から遠征中の留守を預かった臣下ゴーロは、伯爵夫人ゲノフェーファに愛を告白するが、拒絶される。乳母にそそのかされた彼は、ゲノフェーファに不義のぬれぎぬを着せ、処刑しようとする。だが危ういところで伯爵が帰還し彼女を救う。

結局無実の伯爵夫人の命は助かるが、邪悪な企みに巻き込まれた気の毒な老家臣ドラーゴはどうも早々と処刑されたらしいし、敵役ゴーロの自殺もはっきりとは歌われないのが何とも歯がゆい。詰めが足りない感じ。台本の不備が痛い。

演出はタイミングが悪いのか、締りのない展開。上演に先立ち、今回ハッピーエンドにもかかわらずラストでヒロインが笑顔を見せないのは、演出家の解釈・意図だ、という説明があり、それはそれで構わないが。

音楽は・・・ラストが長かった。間が持たない。シューマンの本領はやはりオペラではなく、もっと短い作品世界にあるようだ。

ヒロイン役の歌手は、声も姿も美しいが声量が足りない。オケの音が大きくなるとほとんど聞こえなくなる。

途中、妙な格好をした女性が出てきてヒロインの周りを何やら動き回るが・・あれが聖母マリア?

悪役ゴーロの心情は決して「屈折した心の闇」(公演チラシ)などではなく、ごく当たり前の横恋慕に過ぎない。こんな所にまで流行の「心の闇」という言葉を使わないでほしい。「不条理」(同)だって変だ。

シェイクスピアを思い出させるシーンがいくつか。カーテンの陰に隠れる老家臣(ハムレット)、主君の留守中、全権を委ねられて代理を務める男が、よこしまな心を抱いて女に迫る(尺には尺を)など。しかし時代的にはこっちの方がずっと古いのだから、むしろシェイクスピアの種本の方が影響を受けているのだろう。

リヒャルト・シュトラウスの「ばらの騎士」と比べると、19世紀と8世紀という時代の違いがあるとは言え、驚かされる。高貴な身分の夫人の寝室に民衆がどやどやと押し入ってくるシーンの不快さ。シュトラウスの伯爵夫人はあんなに自由に愛人と戯れているのに・・。千年も前の話なのだから当然か。

帰りに駅で友人とバッタリ会った。「ラストは涙々で・・」と言うのでびっくりしてよくよく聞くと、彼女は同じ時間帯にオペラパレスの方でやっていた「夕鶴」を観た帰りなのだった!(笑)
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「サイモン・ヘンチの予期せぬ一日」

2011-02-16 16:21:44 | 芝居
1月31日全労済ホール・スペース・ゼロで、サイモン・グレイ作「サイモン・ヘンチの予期せぬ一日」を観た(演出:水谷龍二)。
これが日本初演。

ある日のこと、ワーグナーの好きなサイモンは買ったばかりの「パルジファル」のレコードを聴こうとするが、下宿人の大学生、兄、友人などが次々と
押しかけてきて邪魔をする。
そうこうするうちに、彼の家庭そのものが崩壊しかねない事件さえ起きる。
しかし彼は決して感情的にならない。
彼は見たところ上流階級に属し、インテリで紳士だが、実際は妻がありながら女性関係にルーズで手慣れており、そのことに何のやましさも感じていない・・・。

我々は前半、妙な侵入者たちに悩まされる主人公に同情したり笑ったりするが、後半、実はこの男がとんだ曲者だと知ってすっかり引いてしまう。

真面目そうな教師である妻の口から、深刻な顔で「私が浮気をしたのは退屈だったからよ」と言われてもさっぱり分からない。たぶん彼女は夫の浮気にあてつけて、張り合うように浮気したのだろう。この言葉を言い換えれば「私を放っておかないで」ということか。ところが夫は気づいているのかいないのか、まるで無反応。それで彼女は何ヶ月もその状態(不倫)を続けているのだろう。実際のところ、夫は気づいていたのだった。それではサイモンにとって結婚とは一体何なのか。

友人ジェフの若い愛人はステレオタイプ。昔こういう奔放な若い女性がよく芝居やドラマに出てきたっけ。時代を感じさせる。

役者たちの演技に締まりがない。したがって芝居がうまく流れていかない。ただジェフ役の上杉祥三さんだけは芝居の質と言うか、格が違う。翻訳劇に慣れているというのもあるだろう。まあ筆者もこの人が出ているから観たようなものだけど。

1975年に初演されたこの芝居がこれまで日本で上演されなかったのも分かる気がする。
細かな点で、我々には肌で感じ取れないニュアンスがあるらしく(例えばケンブリッジ大学とオックスフォード大学の違いとか)、英国人ならもっとたくさん
笑ったり深く味わったりできるようなのだ。翻訳だけではその辺がなかなか難しい。

ただ、そういう異文化理解の問題と、作品自体の限界もあるが、料理の仕方(演出)にも工夫の余地があると思う。

たった36年で古いと感じさせるような芝居をやるより、400年たっても古びないものをやってほしい、というのが、筆者の変わらぬ願いであります。



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「ビリーバー」

2011-02-10 17:48:52 | 芝居
2010年9月に世田谷パブリックシアターで上演された、リー・カルチェイム作「ビリーバー」を、先日テレビで観た(演出:鈴木勝秀)。

小惑星が地球に接近中というのでどこの町も大騒ぎだが、天文学者ハワード(勝村政信)にはもっと気になることがある。もうすぐ10歳になる息子がもうサンタクロースを信じていないらしいのだ。彼は既成の宗教を信じることができないが、サンタクロースだけはその存在を信じている(息子はと言えば、そんな父親を恥ずかしく思っている)。何とかして息子にサンタを信じさせようと彼は奮闘する。ついには妻に嘘をついて息子をアラスカに連れて行き、本物のサンタを見せようとする・・・。

川平慈英が何役もするのがおかしい。大統領、占い師、野球試合のダフ屋、義父、警官、精神科医、サンタ、ピツァ屋のウェイトレス・・。しかしはしゃぎ過ぎてシラケル場面も。

ハワードの滔々たるおしゃべりは認識論など哲学的で面白かったが、ラストが唐突で、しかもあまりにウェット。何のためにここまで書いてきたのか分からない。
そもそも既成の宗教の神を信じることができない男が、「年に一度子供たちにプレゼントを配って回る」伝説の存在を固く信じているというのが理解し難い。何かのパロディなのか?

死んだ人は「人によるけど一年位で生きていた頃のことは忘れてしまう」というのはこの間観た「わが町」に通じる感覚だ。

作者のキリスト教に対するいくつかの疑問はアホらしくて笑えるが、芝居を書く才能があるかと言えば、・・・?

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ワイルダー作「わが町」

2011-02-03 21:32:00 | 芝居
1月13日新国立劇場中劇場で、ソーントン・ワイルダー作「わが町」を観た(演出:宮田慶子)。

20世紀初頭、アメリカの片田舎で暮らす人々の日常が淡々と描かれる。
みな善良で親切で、良き隣人たち。不幸な過去を背負っているため心を閉ざし、影のある人はいるが、悪人は一人もいない。
ジョージとエミリーは幼なじみで、そのまま成長し、恋に落ち、みんなに祝福されて結婚する。が、9年後、2人目のお産でエミリーは命を落とす。
死んだ彼女は彼岸に渡り、死者たちと再会する。そしてそこから死者の目で人々の生活を眺める。
彼女にはみんなが何も分かっていないように見える。みんなあんなに忙しそうに、慌しく動き回って・・・。

死者たちは死んでから時間がたつにつれ、現世のことに対する関心を少しずつ失ってゆく。
その描写が面白い。東洋風に言えば、死んで煩悩から解放される、ということか。愛もまた煩悩・・・そう考えると悲しい・・。

実は筆者は、大学入学早々英語の授業でこのテキストを読まされたので、大昔のことではあるが、だいたい筋は覚えていた。

舞台監督(小堺一機)の説明の合い間に芝居がこま切れに「見せられる」という感じなので、連続性がなく、感情移入が難しい。

父2人がまずい。特にジョージの父親は、必要以上に皮肉っぽく人生に疲れた男でなく、もっと魅力的な父親像を作れるはずだ。
エミリーの父役の人はセリフが不明瞭で時々聞き取れない。
エミリー役の人は若く元気一杯だが、終始声が高過ぎてわざとらしい。イントネーションも時々おかしい。
音楽とピアノ演奏(稲本響)はよかった。
現代風に、語りをなくして必要最小限のことだけを字幕で示してくれたら、3時間以上もかかるこの芝居もずっと短くなっただろうに。

アメリカではこの芝居は人気があり、よく上演されるらしいが、筆者には少々教訓ぽい感じがして居心地が悪かった。
もちろんラストには泣かされたが、また観たいとは思わないかも。
他の人はともかく、筆者のように死を常に身近に感じている者には特に観る必要もない。
死の想念が頭から離れず、現実生活にさえ支障をきたすこともあったくらいだから。
そういう意味では、むしろこういう作品を書いた作者の気持ちがよく分かる気がする。
葬式が好きだと書いたリルケを思い出した・・。
コメント (3)
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