ロビンの観劇日記

芝居やオペラの感想を書いています。シェイクスピアが何より好きです💖

井上ひさし作「闇に咲く花」

2012-05-27 22:40:03 | 芝居
4月21日紀伊国屋サザンシアターで、井上ひさし作「闇に咲く花」をみた(演出:栗山民也)。

昭和22年夏、東京神田にある神社の神主牛木公磨(辻萬長)は一人息子健太郎(石母田史朗)を戦地で失ったが、今は
近くに住む5人の未亡人たちと闇米の調達に奔走しつつ暮らしている。
そんな頃、死んだはずの健太郎が突然帰還。皆は再会を喜び合うが、彼は記憶障害になっていた。同じく復員した友人の稲垣
(浅野雅博)は、かつて中学野球部で捕手として名投手・健太郎と組んでいた。彼は医師として友人の記憶を取り戻そうとする。
一方、健太郎が起こしたグアム島での事件について、捜査の手が忍び寄る。

石母田史朗がいい。井上ひさしらしい神社へのコメントを、説得力ある語り口で表現する。
その父である神主役の辻萬長はもちろん達者。戦時中は当局の片棒を担ぎ、戦後は一転して平和を唱える、善良だが変わり身の
早い男を嫌味なく演じる。

脚本は一部生硬なところがあり、例によって直球勝負の井上節が鼻につくが、言いたいことは十分伝わってくるし、その内容
はもっともだ。
父が息子に語ってきかせる「神道ゴムまり説」が面白い。神道には開祖もいないし経典もない。自然と出来た宗教だ。その中には
明るくて暖かいものがいっぱい詰まっている。外から力を受けるとへこむが、その力がなくなると、また元の美しい球形に
戻る・・。

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蓬莱竜太「まほろば」

2012-05-20 22:23:22 | 芝居
4月9日新国立劇場小劇場で、蓬莱竜太作「まほろば」をみた(演出:栗山民也)。

とある田舎町。祭りの夜。男たちは出払っており、女たちが残って留守を預かっている。数日前に東京から久しぶりに帰郷した
長女ミドリ(秋山菜津子)。東京での生活は順調だったが、気がつけば40代。婚約寸前で相手と別れ、傷心旅行のつもりだった
のだが、実家の母(三田和代)は本家の血を絶やしたくないため、いまだ独身のミドリに小言が絶えない。
一方、次女キョウコ(魏涼子)はかつて父親の分からない子を出産。ミドリの姪に当たるその娘ユリア(前田亜季)の行方は
何年も分からない。親戚の女たちが集まり、宴会の準備を進めているところに、その姪が突然帰ってくる・・。

はっきり言ってはいないが、長崎近辺が舞台らしい。九州弁が 、native の私には心地良いが、所々違和感がある。
最後が「と」で終わる文章など。方言の監修をちゃんとやってもらった方がいい。

魏涼子は声がでかくて好感が持てるが、この役にはあまりに若過ぎる。実の娘役の前田亜季と姉妹のようでいけない。
説得力に欠けるキャスティングだ。

「(母性)本能」という言葉は少々危険なのではないだろうか。もはや古い概念だし、「これだから男の作家は・・」
と言われかねませんよ。

子役(次女が現在つき合っている男の、10歳になる娘役)の大西風香がうまい。
秋山菜津子はこの役にピッタリはまっている。いつもながら見ていて気持ちがいい。
三田和代もいつもながらのいい味わい。この二人に大笑いさせられた。

この作品は岸田國士戯曲賞を受賞した由。
この日、蓬莱竜太という、若くて才能のある劇作家と出会えた。
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シンベリン

2012-05-11 23:39:31 | 芝居
4月5日彩の国さいたま芸術劇場大ホールで、シェイクスピア作「シンベリン」をみた(演出:蜷川幸雄)。

ブリテン王シンベリンは、王妃の連れ子クロートンと結婚させようとしていた一人娘イノジェンが身分の低い紳士
ポステュマスと勝手に結婚したことに激怒する。国を追放されたポステュマスはローマでヤーキモーと出会い、
互いに自国の女性の素晴らしさを自慢し合ううち、この男を相手に妻の貞節を賭けることに。イノジェンを誘惑
すべくブリテンに渡るヤーキモー。言葉巧みな誘いをはねつけるイノジェンだったが、ヤーキモーはポステュマスが
彼女に贈った腕輪を盗み出すことに成功。ローマに戻ったヤーキモーから腕輪を見せられたポステュマスは妻の不義
を信じ込み、怒りのあまりブリテンにいる自分の召使いに彼女の殺害を命じる。誤解を解くためローマへ向かう
イノジェン。道中、迷い込んだ洞窟で老人と二人の若い兄弟に出会う。その頃、ブリテンとローマは戦争状態に突入。
妻への行いを後悔したポステュマスは自らの死を望み、戦いに参加する・・・。

シェイクスピア後期のマイナーな作品で、本邦初演でこそないが、めったに上演されることはない。筆者も見るのは
初めてで、個人的には今年上半期最大のイベントという位置づけ。役者も大方そろっているので期待して出かけた。

舞台はローマの例の、牝狼の乳を吸うロムルスとレムスの像が出てきたかと思うと源氏物語の「雨夜の品定め」の絵(!)
そして山水画・・(美術:中越司)。なるほどなるほど。
音楽はバッハの協奏曲や、オルガン曲や、雅楽の鼓や横笛・・要するにシンクレティズム。

ヒロインの名はイノジェン。これまでイモージェンだと思っていたので驚いたが、いろいろ調べて分かった。
シェイクスピアが種本から写す時にどうも写し間違えたらしいんだって!!
だから松岡訳は元に戻したということなのだろう。
でもこの物語に登場する、絶世の美女でしかも貞節の鑑のような女性にちなんでイモージェンと名づけられた女性も
世間には少数ながらいるのに・・。その人たちの立場はどうなる?

ポステュマス役の阿部寛は、背が高いのはいいが、セリフが少し聞こえ辛い。
クロートン役の勝村政信は、さすが手練れのコメディアンぶりで客席を沸かせる。

ヤーキモー役の窪塚洋介は棒読みの一本調子。前半はそれでも不機嫌さと不気味な感じが出ていたが、後半もそのまま
では困る。この役は言ってみれば「反省するイアーゴー」だから確かに非常に難しい。しかし、彼の心中で大きな
転換があったからこそ、ラストは己の悪事のすべてを告白するに至るのだから、その大転換を観客に納得させて
くれないといけない。

戦闘シーンのスローモーションはやめてほしい。やる方は安易で楽チンだろうが、見る方はただ退屈なだけだから。
こんなこと、どうして想像できないのか。これをロンドンに持って行く時は、ここを何とかしたらどうか。

勝村さんがジュピターを兼ねているので、ジュピターが天上から登場して語り出すと、笑いが起きてしまった。
ここは笑わせるシーンではないのだから、クロートン役の人にやらせるのはやめた方がいい。

大竹しのぶは今まで気がつかなかったが、かなり背が低く、男装すると本当に少年っぽくて可愛い(声も動きも)。
ただ姫として、しつこく言い寄るクロートンやヤーキモーに言い返す長いセリフでは、声が上ずってしまい、
品がなくなるのが実に残念。そのへん何とかなりませんか。

吉田綱太郎のシンベリンと瑳川哲朗のベラリアスはまさにはまり役。浦井健治の王子も清々しい。
鳳蘭は根っからの悪者の王妃を魅力的に演じる。
勝村さんがクロートンだなんて可哀想、と思ったが、それは思い違いだった。彼が演じたことでこの芝居がにわかに
明るく楽しいものになった。本で読むだけだと、ただのつまらない悪役・敵役に過ぎないバカ王子なのに・・。
どんな役も役者の力量一つでいかようにも膨らませることができるのだ。芝居って面白い。今さらだけど。





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ガラスの動物園

2012-05-03 10:24:40 | 芝居
4月3日シアターコクーンで、テネシー・ウィリアムズ作「ガラスの動物園」をみた(演出:長塚圭史)。

彼の初期作品(1944年)の由。
大恐慌の嵐が吹き荒れた1930年代アメリカ・セントルイス。その路地裏につましく暮らす3人家族。
母アマンダ(立石涼子)は過去の華やかなりし思い出を捨てきれず、子供たちの将来にも現実離れした期待を抱く。
姉娘ローラ(深津絵里)は極度に内気で、ガラス細工の動物たちと擦り切れたレコードが心のよりどころだ。
息子トム(瑛太)は詩を書く文学青年だが、出奔した父親の代わりとなって生活を支えており、母と姉への愛憎と
惨めな現実への閉塞感を常に抱いている。
ある日、トムは母の言いつけで会社の同僚ジム(鈴木浩介)を夕食に招待する。ローラに会わせるためだ。
この別世界からの訪問者によって、この家族に束の間の華やぎが訪れたかのようだったが・・。
「追憶の中で生き続ける切なく哀しい家族の肖像。劇作家の自伝的代表作」とのこと。

灰色に塗り込められた室内(美術:二村周作)。奥に縦長の細い窓が一つ。なぜか街灯が一つ。窓のそばに机といすがあり、
タイプライターが置いてある。これをトムが打つ。
静かな曲が流れ出すと、白装束の不気味な人々(ダンサーたち)が出てきていろんな動きをする。家具を運び入れ、移動し、
役者に物を手渡したり。

立石涼子は声がよく、立ち居振る舞いもこの役になり切っていてまさに適役。
瑛太は声よし、滑舌よし、おまけに動きもよくて驚いた。この人はただのイケメンではなかった。ただ、あんまり
詩人っぽくはない。ふつうに常識的な現代の若者という感じ。だから観客の共感を大いに呼ぶ。
深津絵里は異常にゆっくりしゃべり、いかにも普通じゃない。単に社会的適応性がないだけでなく、知能も低そうに
見えるが、果たしてそれでいいのか。

演出には大いに疑問あり。あのダンサーたちの群舞は一体何なのか。全く無意味、どころか邪魔なだけだった。



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