ロビンの観劇日記

芝居やオペラの感想を書いています。シェイクスピアが何より好きです💖

オペラ「古事記」

2011-12-27 23:35:04 | オペラ
11月23日東京文化会館で、黛敏郎作曲のオペラ「古事記」をみた(東京都交響楽団、指揮:大友直人、演出:岩田達宗)。

この作品は「オーストリアのリンツ州立劇場の委嘱により1996年に初演された黛敏郎最後の傑作」で、舞台版は日本初演の由。
歌詞はドイツ語。全4幕。

1幕:太古の昔、夫婦神イザナギ・イザナミによる国生み、神々の誕生、黄泉の国のエピソード、アマテラス・ツキヨミ・スサノヲの誕生。
2幕:スサノヲの乱暴と怒ったアマテラスの岩戸隠れ、アメノウズメの踊り、岩戸から出てくるアマテラス、天界から放逐されるスサノヲ。
3幕:天界を追われたスサノヲは出雲で八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治し、クシナダと結婚。
4幕とエピローグ:スサノヲとアマテラスの和解、ニニギノミコトによる天孫降臨。

このように盛り沢山の内容だが、進行が速く、先へ先へとせかされるように話が進んでゆく。
天の岩戸の前の大騒ぎはおとなし過ぎるのでは?ここでは、アメノウズメが滑稽でちょっと卑猥な踊りを踊るのでみんな大喜びして
笑い転げ、大騒ぎになるはずだが、このシーンに笑いがまったくないのが物足りないし理解できない。

黄泉の国からイザナギが逃げる途中、髪飾りを投げるとそれがブドウに変わり、追っ手の者たちはそれをむさぼり食う。また少し
して櫛を投げると今度はそれが竹の子に変わり、またも彼らはむさぼり食う。こうして時間を稼ぎながら逃げるという面白いシーン
があるのに、ここはすべて合唱によって歌われるのみで、演技も映像もないのがつまらない。
ヤマタノオロチとの戦闘シーンも同様。CGを使って視覚的に表現してほしい。

字幕作成者に一言。「弟は真価を発したのだ」は誤り。真価は「発する」ものではなく「発揮する」ものだ。
ついでにもう一つ。「あの大蛇」だとスサノヲが既にオロチを見たことがあることになってしまう。彼は話を聞いただけで、まだ
見たことがないのだから「その大蛇」と言うべきだ。

アリアが少ない。泣けるシーンがない。この二つはオペラとしては致命的だ。
例えばモーツアルトの「フィガロの結婚」で、スザンナが無くしたピンを探して歌うアリアを見よ。この胸締め付けられる歌は
まるで愛児を亡くした女が悲しみのあまり気が狂って、子供の死を信じられずにいつまでも子を探し続けているかのような、
そんな歌だ。実はたかがピンが無くなっただけの場面だとは思えない。しかもストーリーとは関係ないのだが、この曲がここに
あることで、どれほどこのオペラの魅力が増すことか。ここで我々観客は無条件で音楽に酔いしれる。筋と多少関係なくとも
音楽に酔いしれたいという観客の欲求を、モーツアルトは熟知していたのだった。
まあ黛さんはそういうオペラを書く気はハナからなかったのだろうけど。

25分の休憩を含めても2時間15分とはあまりに短い。すべてがさらりと流れてゆく。イザナギとイザナミの二人も、
結ばれたかと思うとあっと言う間に片方が死んでしまう。消化不良を起こしそうだし、まだまだ続いてほしい気持ちが消えずに
どんどんたまってゆく。やはり二人のアリアがほしい。アマテラスとスサノオ姉弟だってそうだ。アリアの材料はあるのだから
誰か書いてくれないだろうか。

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泉鏡花作「天守物語」

2011-12-21 18:09:24 | 芝居
11月14日新国立劇場中劇場で、泉鏡花作「天守物語」をみた(演出:白井晃)。

舞台は姫路、白鷺城。この天守閣には百年来魔界の者たちが住む。ある日、天守夫人富姫(篠井英介)の元へ亀姫(奥村佳恵)
が訪れ楽しいひと時を過ごす。そこへ城主・播磨守が鷹狩りから戻ってくる。播磨守自慢の白鷹をすっかり気に入った亀姫の
ために、富姫は飛んできた白鷹を捕らえて進呈してしまう。亀姫が帰り、富姫が一人たたずんでいると、播磨守の鷹匠・姫川
図書之助(ずしょのすけ)(平岡祐太)が現れる。この若者は白鷹を逃がしたためにあやうく切腹させられるところだったが、
誰も恐れて登ろうとしない天守に白鷹を探しに行けば命を助けると言われたのである。富姫は心がまっすぐで凛々しい図書之助
を一目で気に入り、二人は恋に落ちるが・・・。

これは妖怪と人間の恋物語である。鏡花は姫路城にまつわる伝説の妖怪たちを素材としてうっとりするような物語を紡いだ。
富姫の正体は女狐とも言われ、容姿については老婆だったり若い娘だったり作品によって様々らしい。亀姫は猪苗代城に住む
とされる妖怪で、富姫の妹という説がある由。

言葉が独特。接頭辞「お」が頻出する。「おたくましい」「お腰元衆」等々。

最後が唐突。あの老人は一体何者?

会場には高校生の団体が大勢いたが、彼らは果たしてどの位鏡花の言葉が理解できただろうか・・あっそうか、ちゃんと
事前に予習してきてるのか。

富姫が白鷹を捕えて亀姫に進呈するシーンで、ただ屏風数枚に描かれた白鷹の絵が出てくるだけでは何のことやら
とらえどころがない。ここはもっとはっきりさせてほしい。
盲目となり互いをまさぐり合う二人。何ともロマンチックなシーンだ。
生首だの、それをペロペロなめる「長舌ばあ」だの気味の悪い要素も。

音楽(三宅純)は適切。時に慎み深く分をわきまえて神秘感と異世界のムードを醸し出し、時に戦いのリズムを刻んで快い。

亀姫役の奥村佳恵は愛らしく、しかも同時に化け物らしくて怖い。主役富姫役の篠井英介はいつもながら素晴らしいセリフ回し。

鏡花独特の美的世界に浸れました。
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文学座公演「岸田國士傑作短編集」

2011-12-15 22:38:24 | 芝居
11月7日紀伊国屋サザンシアターで、「岸田國士傑作短編集」をみた(文学座公演、演出:西川信廣)。3作品同時上演。

①「明日は天気」
海辺の旅館に避暑に来た夫婦だが、連日の雨で海水浴もならず、暇を持て余している。妻は友人に「毎日泳いで真っ黒に
日焼けしてしまいました」と嘘っぱちのハガキを書いている。人のいい夫は呆れながらも、雨で機嫌の悪い妻をさまざまに
なだめる。
このように妻は見栄っ張りで底の浅いつまらない女だが、夫の方はと言えば、相当なロマンチスト。昼寝しようと横になった
妻に向かって退屈しのぎに話し出す話が傑作。先ほど廊下でバッタリ元カノに会った、とその時の二人の会話を再現して
みせるのだが、これがもうどこまでが事実でどこからが妄想なんだか、実におかしい。なのに妻は・・・。

②「驟雨」
西洋風の応接間。下手に書き物机。青い着物姿の妻が年配の女中にあれこれ指図している。夫が帰宅するが、どうもこの
夫婦は倦怠期らしい。そこへ突然妻の妹が訪ねてくる。彼女は新婚旅行中のはずだったが、早くも夫に愛想が尽き、一人で
戻ってきてしまい、これから実家に帰ると言う。妻はなだめすかしてよりを戻させようとするが、途中から話に加わった夫は、
何やら急に雄弁に語り出す・・・。
ここで夫が義理の弟の弁護のために繰り広げる演説が面白い。日本人と西洋人の表現の違いについてなど、どうやら岸田
國士のなまの意見らしく、興味深い。
妻役の名越志保の声が素晴らしい。いつまでも聴いていたいような張りのある美声。

③「秘密の代償」
高級官吏、生田は妻子と共に休暇で海辺の避暑地の別荘に来ている。本宅から連れてきていた小間使いのてるが、妻に
突然暇をもらいたいと言う。妻は驚き怪しみ、夫か息子がてるに手を出したのではないかと疑い、二人を試そうとするが・・・。
よくできた芝居。二人のうちのどちらがてると「できている」のか、観客には次第に分かってくる仕掛けになっているのが
愉快。しかもそのことが一度もあからさまに語られないところが、劇作家のセンスを感じさせて憎い。
だます側は実にうまいことだましおおせ、だまされる側は最後まで勘違いしたままだ。ただこの奥さん、機転がきいて賢い
のに、最後に真実を見抜けないのは少し変ではないだろうか。
女中はと言えば、可愛い顔して何ともしたたかである。最初妊娠しているのかと思ったが、そういうわけではない。動機は
不明だが、とにかくしたたかだ。
配役が豪華。妻役の塩田朋子、てる役の渋谷はるか、生田役の菅生隆之、息子役の斉藤祐一の4人とも熱演。
ただ、今の若い人に「今度はあんまりシャンじゃない子がいいなあ」なんてセリフ、理解できただろうか。ちと心配。

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井上靖「猟銃」

2011-12-09 00:10:57 | 芝居
10月17日パルコ劇場で、井上靖原作「猟銃」をみた(演出:フランソワ・ジラール)。

原作は書簡体小説。中谷美紀が4役を演じる。ほぼ一人芝居と言っていいだろう。

冒頭、激しい水音と共に幕が開くと、舞台前面天井から滝のように水が落ち続けている。
奥の方に背の高い白人男性の姿が見える。猟銃を持って時々体を動かしている。

枠構造・・「私」が狩猟の雑誌に「猟銃」という詩を載せたところ、或る男から手紙が届き、
3通の手紙を送るから読んでほしい、とあった。それはその男、ハンター三杉穣介の娘
薔子(しょうこ)、妻みどり、愛人彩子(さいこ)からの手紙で、彼の13年にわたる不倫と
3人のそれぞれの思いがそれらの手紙から浮かび上がってくる。
この前段部分で水音が高いので、詩人の言葉が少し聞こえにくい。

これが初舞台だという中谷美紀がいい。素材自体がやりがいのあるものだし、本人が原作に
惚れ込んでいるのがよく分かる。3人の女を声の変化、抑揚のつけ方、しぐさなどで見事に
演じ分ける。ただ最初の薔子はセリフが速過ぎて少し不自然だ。

娘、妻、愛人と手紙が読み進まれるにつれ、事実が明らかとなってゆき、驚かされる仕組みが
よくできていて、この作品を舞台で上演したいという人々の気持ちがよく分かった。愛人彩子の
最後の静かな告白には、まったく意表を突かれた。これはただの不倫話ではない。一筋縄
ではいかない人間の想いに心打たれた。

三杉穣介役はロドリーグ・プロトーという白人男性だが、なぜ白人なのだろう。そもそも
この役が必要だろうか(セリフもないし)。中谷の完全な一人芝居でもいいのでは?
やっぱり観客の想像力(のなさ)が心配なのだろうか。

久しぶりに古い日本語を聞いた。書き言葉なので若い人には分かりづらかったのでは?
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