12月9日新国立劇場小劇場で、シェイクスピア作「ロミオとジュリエット」を見た(翻訳:河合祥一郎、上演台本・音楽・演出:岡本健一)。
新国立劇場演劇研修所第18期生公演。
敵同士の家に生まれた若い二人の悲恋物語。
開演前、役者たちが冒頭のセリフを口々に朗読しながら会場中を歩き回る。
実にやかましくて本も読めない。とんだ迷惑だ。やめて欲しい。
劇団「地点」を思い出した。
冒頭、役者たちは口々に数字を羅列する。これが何のことか意味不明。
若い役者たちは狭い舞台を走り回る。
まるで初期の野田秀樹の芝居だ。
キャピュレット家のパーティ。
これがまたうるさい。
舞台上で人々が踊っている時、その外の反対側にいるロミオとジュリエットは相手に向かってセリフを叫ぶ!
実に不自然だ。
このシーンは、二人がすぐそばに、二人きりでいてささやき合うのでないとおかしいでしょう?
実に醜悪。
いいセリフをいっぱいカットしていて、もったいない。
これでは何のために来たのかわからない。
ティボルトが、敵であるロミオを見つけていきり立つと、キャピュレットは、ロミオが「評判のいい青年だ」と言って止める。
そこも大事なとこなのにカット。
ロレンス神父の庵は、天井からいろいろぶら下がっている。
神父役の人はうまい。
剣はバトンのようなもので、打ち合うと金属音がする。
けんかのシーンが長過ぎる。
乳母は俗物で軽薄な女性のはずが、しっかり者になっていて、原作と全然違う。
彼女の言葉を聞いてジュリエットは、地獄に落ちても仕方ない人だ、と軽蔑し、真に精神的に自立するきっかけとなるのだが。
追放の宣告を受けて絶望するロミオを神父が諌めるセリフが素晴らしいのだが、それもカット。
ジュリエットが例の薬を飲む前のセリフもカット。
ジュリエットの父親役の人はうまい。
ジュリエットの死(仮死)を知った両親の嘆きに、なぜか他の人々も加わる。
これが大袈裟。
ロミオの召使いは馬を飛ばして、主人にジュリエットの死を伝える。
この男がロミオに対して友人のような言葉遣いをするのが、聞いていて実に居心地が悪い。
この男は友人ではない!
(ちなみに、彼があまりに主人に忠実だったために二人の悲劇が起こったと言えなくもない)
(それと、神父がロミオ宛てに書いた手紙を持たせた使いの修道士が、ペストの濃厚接触者とされて隔離されるという不運もある)
キャピュレット家の墓所でロミオは毒を飲み、ジュリエットの体の上に倒れて絶命。
こんなの初めて見た。重いだろうに。
だからジュリエットは目覚めるとすぐ、自分の体の上に夫を発見する。
ラスト、二人の遺体を囲んで両家の両親と他の人々が大声で二人の名前を呼んで嘆き悲しむ。
大公は来ない。
この時、モンタギュー夫人は既に死んでいるはずなのに変だ。
キャピュレット夫妻は、葬儀も済ませた娘が血を流して死んでいるのを見て、驚くだろうが、果たして泣くだろうか。
もう十分涙を流しただろうに。
むしろ、娘が自分たちをだましたのか、と、そっちの方がショックだろうに。
これは、今まで見た中で最悪のロミジュリだった。
岡本健一は第一級のうまい役者だと思うが、演出家には向いてないとわかった。
その意味では吉田鋼太郎と同じだ。
いや、この人もシェイクスピア以外ならいいのかも知れない。
シェイクスピアの芝居は、ほぼ韻文で書かれていて、セリフを耳で聴いて楽しむものなので、他の芝居とは勝手が違うのだ。
演出家はウクライナだ何だと書いているが、結局、シェイクスピアを使って自分の思いついたことを描いただけ。
つまり、シェイクスピアのストーリー(枠組み)を利用しているだけだった。
新国立劇場演劇研修所第18期生公演。
敵同士の家に生まれた若い二人の悲恋物語。
開演前、役者たちが冒頭のセリフを口々に朗読しながら会場中を歩き回る。
実にやかましくて本も読めない。とんだ迷惑だ。やめて欲しい。
劇団「地点」を思い出した。
冒頭、役者たちは口々に数字を羅列する。これが何のことか意味不明。
若い役者たちは狭い舞台を走り回る。
まるで初期の野田秀樹の芝居だ。
キャピュレット家のパーティ。
これがまたうるさい。
舞台上で人々が踊っている時、その外の反対側にいるロミオとジュリエットは相手に向かってセリフを叫ぶ!
実に不自然だ。
このシーンは、二人がすぐそばに、二人きりでいてささやき合うのでないとおかしいでしょう?
実に醜悪。
いいセリフをいっぱいカットしていて、もったいない。
これでは何のために来たのかわからない。
ティボルトが、敵であるロミオを見つけていきり立つと、キャピュレットは、ロミオが「評判のいい青年だ」と言って止める。
そこも大事なとこなのにカット。
ロレンス神父の庵は、天井からいろいろぶら下がっている。
神父役の人はうまい。
剣はバトンのようなもので、打ち合うと金属音がする。
けんかのシーンが長過ぎる。
乳母は俗物で軽薄な女性のはずが、しっかり者になっていて、原作と全然違う。
彼女の言葉を聞いてジュリエットは、地獄に落ちても仕方ない人だ、と軽蔑し、真に精神的に自立するきっかけとなるのだが。
追放の宣告を受けて絶望するロミオを神父が諌めるセリフが素晴らしいのだが、それもカット。
ジュリエットが例の薬を飲む前のセリフもカット。
ジュリエットの父親役の人はうまい。
ジュリエットの死(仮死)を知った両親の嘆きに、なぜか他の人々も加わる。
これが大袈裟。
ロミオの召使いは馬を飛ばして、主人にジュリエットの死を伝える。
この男がロミオに対して友人のような言葉遣いをするのが、聞いていて実に居心地が悪い。
この男は友人ではない!
(ちなみに、彼があまりに主人に忠実だったために二人の悲劇が起こったと言えなくもない)
(それと、神父がロミオ宛てに書いた手紙を持たせた使いの修道士が、ペストの濃厚接触者とされて隔離されるという不運もある)
キャピュレット家の墓所でロミオは毒を飲み、ジュリエットの体の上に倒れて絶命。
こんなの初めて見た。重いだろうに。
だからジュリエットは目覚めるとすぐ、自分の体の上に夫を発見する。
ラスト、二人の遺体を囲んで両家の両親と他の人々が大声で二人の名前を呼んで嘆き悲しむ。
大公は来ない。
この時、モンタギュー夫人は既に死んでいるはずなのに変だ。
キャピュレット夫妻は、葬儀も済ませた娘が血を流して死んでいるのを見て、驚くだろうが、果たして泣くだろうか。
もう十分涙を流しただろうに。
むしろ、娘が自分たちをだましたのか、と、そっちの方がショックだろうに。
これは、今まで見た中で最悪のロミジュリだった。
岡本健一は第一級のうまい役者だと思うが、演出家には向いてないとわかった。
その意味では吉田鋼太郎と同じだ。
いや、この人もシェイクスピア以外ならいいのかも知れない。
シェイクスピアの芝居は、ほぼ韻文で書かれていて、セリフを耳で聴いて楽しむものなので、他の芝居とは勝手が違うのだ。
演出家はウクライナだ何だと書いているが、結局、シェイクスピアを使って自分の思いついたことを描いただけ。
つまり、シェイクスピアのストーリー(枠組み)を利用しているだけだった。