ロビンの観劇日記

芝居やオペラの感想を書いています。シェイクスピアが何より好きです💖

ニール・サイモン作「裸足で散歩」

2022-09-24 17:10:44 | 芝居
9月18日、自由劇場でニール・サイモン作「裸足で散歩」を見た(演出:元吉庸泰)。




寒い2月のニューヨーク。古いアパートの最上階に新婚のポール・プラッター(加藤和樹)とコリー・プラッター(高田夏帆)が引っ越してきた。
工事に来た電話会社の男(本間ひとし)も息切れして話せないほどの階段。エレベーターはなく、天窓には穴があき、暖房も壊れ、家具も届いていない。
夜には雪が降るらしい。アパートには変わった住人がたくさん住んでいて、その中でも1番の変わり者は屋根裏部屋に住むヴィクター・ヴェラスコ(松尾貴史)だ。
コリーはここでの生活をすごく気に入り楽しんでいるが、真面目な弁護士のポールは変わり者ばかりのアパートに馴染めずにいた。
ある日コリーは、母であるバンクス夫人(戸田恵子)との食事にヴェラスコを誘い、食事を楽しんだ。だが、みんなが帰った後、2人きりになった
ポールとコリーはケンカし始めてしまう・・・。ポールとコリーの新婚生活はどうなってしまうのか?(チラシより)。

ニール・サイモンの代表作の由。ネタバレあります注意!

当初は新婚6日目ということで、そばで見ていられないほどアツアツだったコリーとポールだが、そもそも性格がだいぶ違う。
妻コリーはいつもハイテンションで冒険好き。それに対して夫ポールは、駆け出しとは言え弁護士だから当然生真面目。
お互い自分にないところに惹かれたのだろうが、これからの長い人生を共にしてゆくのは、なかなか大変だろう。
コリーは未亡人である母にお見合いさせようとして、ヴェラスコを紹介するが、皆で夕食後、ヴェラスコが母を送って行くことになり、
そのことでポールとコリーは言い合いになってしまい、感情的になったコリーは、ついに離婚という言葉まで口にして・・。

バスルームにバスタブがないことをポールは我慢できないようだが、海外ではそれほど珍しいことではないだろう。
シャワーだけで済ませる人が多いし。
つまりポールがちょっと堅物だということを、ここでも表しているのかも。
何しろこのアパートは、5階建てなのにエレベーターがない。
そして大家は、新しい入居者のために天窓の穴を修理すらしていない!
バスタブがないことくらいで驚いてはいけない。
残念なのは、家賃の相場がよくわからないこと。こんな物件で、一体安いのか高いのか?
二人の会話からは、どうも高いらしいと分かるが、それなら場所がいいのだろうか。
それとも二人がとんでもなく世慣れてなくて、家選びを失敗したのだろうか。

電話会社の男のシーンが楽しい。
最初に電話を設置しに来た時、この新婚夫婦はアツアツだったのに、二度目に来てみると、早くも二人は険悪な雰囲気で、別々に食事し始める。
彼は早く修理を終えて帰ろうと焦るが、二人の様子が気になって気もそぞろ。

2回の休憩を挟んで2時間45分。長かった。
もう少し刈り込んだ方が全体が引き締まっていいのではないか。
ヴェラスコが妙なウナギ料理をみんなに順に食べさせるところとか、いささか退屈。
レストランから帰って来た人々が、その時のことを思い出して語り合うシーンとかも。

役者陣はみなさん好演。
コリー役の高田夏帆が素晴らしい。これが初舞台だそうだが、とてもそうは見えない。その度胸には敬服する。
演技も切れがよくチャーミングだし、とにかく元気をもらった。
ポール役の加藤和樹も説得力ある演技。
コリーの母役の戸田恵子はもちろん期待を裏切らない。

客席は若い女性ばかり。終演後は示し合せたようなスタンディングオベーション。加藤和樹という人のファンなのか?

この戯曲は1967年に映画化されていて、ロバート・レッドフォードとジェーン・フォンダが共演しているという。
それはぜひ見たいものだが、驚いたのは、ヴェラスコをシャルル・ボワイエが演じているということ!
ボワイエと言えば、個人的には映画「ガス燈」で、イケメンではあるが、可憐な新妻バーグマンを苦しめる怖~い夫をやった人という印象が強烈だが、
この軽いコメディで、どんな風に変わり者ヴェラスコを演じているのか、興味津々です。

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「加担者」

2022-09-19 22:35:28 | 芝居
9月5日下北沢駅前劇場で、フリードリヒ・デュレンマット作「加担者」を見た(オフィスコット―ネプロデュース、翻訳:増本浩子、演出:稲葉賀恵)。



大学で生物学の研究をしていたドクは、高額報酬を提示され民間企業に移籍する。しばらくは豪勢な生活を謳歌していたが、経済危機により失業。
とりあえずタクシー運転手で身をたてていたが、マフィアのボスに拾われ、元生物学者ドクのアイディアで暗殺した死体を地下室で溶解するビジネスを始める。
そんなある日、ドクはバーで偶然アンという女性と出会い愛し合うようになる。
そこにかつての息子も訪れ、事態は思わぬ方向へ動いていく・・・。
元生物学者ドク、彼を取り巻くすべての登場人物が複雑に絡み合い、時間軸が前後しながらスリリングに展開していく(チラシより)。

1973年に書かれたこの芝居は、デュレンマットの代表作「物理学者たち」の続編と言える作品の由。
その楽日を見た。

まず出演者全員が舞台に並び、主人公ドク(小須田康人)が口を開き、自己紹介を始める。
リッチな生活が突然破綻すると、妻は息子と宝石類を持って愛人と出て行った。タクシー運転手をしていた時、たまたま乗せたのがマフィアのボス(外山誠二)。
彼は依頼を受けて人を殺す闇の商売をしているが、死体の処理に困っていた。そこでドクがかつての専門知識を生かし、仲間になる。
そんなある日、刑事コップ(山本亨)が突然二人のところに来て、実は自分はボスの部下たちの中に優秀なスパイを放っている、と告げ、何もかもばれている、
と分け前の50%を要求。さらに、今後はドクも共同経営者にして彼には20%を払うべきだ、と言う。
ボスはショックを受けるが、仕方なくその要求を受け入れる。
ボスの愛人アン(月船さらら)はバーでドクと出会い、惹かれてゆく。互いに詳しい身の上は話していない。彼女はただ、ある人に囲われている、と言っている。
彼の方は、地下室で工業用ダイヤモンドを作っている、と言っている。
彼女が彼に愛を告白すると、彼もまた、実は僕も・・、と言うのだった。
彼女が、もう愛人とは暮らせない、と言うと、彼は結婚しよう、と言う。
彼はアンを、ボスに頼んでボスの愛人の家にかくまってもらおうと計画する。
こうして観客には、二人が破局に向かって突き進んでいこうとしていることがわかる。
二人は駆け落ちの約束をして別れる。

翌日の夜、ドクは浮き浮きしながらワインと食べ物を小テーブルに並べる。
赤いバラを一輪、缶に挿す。そこにボスが、大きなトランクを抱えて来る。赤いバラが一輪挿してある。ドクが気づくと「君の恋人にね」。
ドクは2本目も缶に挿す。
「そのトランクの中の女も溶かしてくれ」と言われてドクは冷蔵庫の中にトランクを押して入る。
するとボスは観客に向かって語り出す。同時に冷蔵庫内にいるドクにも聞こえるように。

彼(ボス)は、だいぶ前から愛人(アン)の様子がおかしいことに気づき、誰か他に男がいるんじゃないか、と不安を抱えていた。
昨夜、いつものように睡眠薬を飲んだふりをしてベッドに横になっていると、彼女はそっと起き出して服をバッグに詰め始めた。
明らかに自分から逃げようとしている彼女を見てボスは嫉妬に狂い、彼女の首を絞め、枕で押さえつけて殺した。
彼女は抵抗しなかった。「普通抵抗するでしょう?」彼は悲しげに、苦しそうに訴える。
ドクがテーブルに並べた料理(買って来たハム、小玉ねぎのピクルス、オリーブ、エビ)をつまんだり投げたりしつつ、彼は熱に浮かされたように語り続ける。
そのさまは、もはや狂人のよう。

彼が語り終えた頃、ドクが冷蔵庫からゆっくり戻って来て、黙って椅子に座る。
「顔が真っ青ですよ」ボスは赤いバラの花びらをむしってドクの頭上から振りかける。「赤と青」と言いながら。
この時もそうだが、ボスはドクに対して、たいてい丁寧語で話す。
それが一種奇妙な感じで怖い。増本浩子の翻訳がいい。

若い男が裸で毛布にくるまり登場し、観客に向かって言う。「僕は溶かされました」これは後に登場するドクの息子ビルらしい。
初老の男も登場。やはり「私は溶かされたんです」彼はジャックらしい。
このあたり、時間が前後する。
ドクの息子ビル(三津谷亮)は父と同じく生物学を専攻していたが、人間を相手にしないとダメだ、と社会学に転向。
アナーキストになっていた。彼の母(ドクの元妻)は、大企業の社長ジャックと再婚したが、二人の乗ったセスナ機が事故を起こし二人共死ぬ。
ビルは遺産相続し、国一番の大金持ちになる。
だがアナーキストのビルにとってそんなことはどうでもいい。
彼はドクに向かって、大統領暗殺を依頼する。ドクは驚いて断るが、説得されて渋々引き受ける。

コップが来て、しゃべりながら部屋中の物を投げ、壊し、しまいに冷蔵庫も叩き壊す。
彼の左手には、これまで袖で隠していたが、まるでフック船長のように銀色の金具がついていて、ズボンをまくると左足は義足だ。
二人の男が箱を持って来る。中身はボスの死体だった。コップは二人に、時間が来たら迎えに来い、その時やることは分かってるな、と言う。
ドクと二人だけになると、説明を始める。
かつて彼は仕事中、ボスに撃たれて左手と左足を失った。
ボスは彼の顔を覚えていないようだが、彼の方は、それ以来何十年も彼と彼の仲間たちを追って来たのだった。
だが警察の上層部に話しても、ボスらの犯罪を摘発しようとはせず、かえって自分にも分け前をよこせ、と言うだけ。
市長のところへも司祭のところへも行ったが、みな警察と同様に腐敗しており、絶望した彼は、彼らを捕まえるのを諦め、自分も
このおぞましい事業の上前をはねることにしたのだった。

そのうち室内が臭くなり、あちこちにネズミが出て来る。
死体の匂いが充満する気配。
そりゃそうだ。冷蔵庫を壊したのだから。

最後に二人の男が戻って来てコップを暴行し、冷蔵庫に連れて行って銃殺する。
二人はドクにも乱暴し、これからは分け前の大部分をもらうからな、と言い放ち、引き続き自分の仕事をしろ、と言って去る。
ドクは無言でそこにとどまる。

「物理学者たち」を見ていないからか、いささか難しかった。
最後にコップはなぜ殺されるのか。しかも殺されることを分かっていてなぜ逃げないのか。
ドクがアンとの出会いによって変わってゆくところを、もっとはっきり描いてほしい。

登場人物は、しばしば観客に向かってしゃべり出す。自己紹介など。
それが、この芝居の大きな特徴だ。

役者はみな好演。
特にボス役の外山誠二が素晴らしい。今年の最優秀男優賞候補だ。
ドクの息子ビル役の三津谷亮もうまい。
ジャック役の大原康裕の柔らかでコミカルな演技が、この芝居を単調さから救っている。

デュレンマットは「貴婦人の帰還」しか知らなかったが、これはまた相当変わった寓話だ。
だがやはり、迫力満点で見る者に迫ってくる。



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「評決」

2022-09-09 15:55:24 | 芝居
9月1日、俳優座劇場で、バリー・リード原作「評決」を見た(劇団昴公演、脚色:マーガレット・メイ・ホブス、構成・演出:原田一樹)。




今は落ちぶれ酒浸りの日々を送る弁護士ギャルビン。ある日出産で入院した女性が麻酔時のミスで植物状態になったという事件を引き受ける。
多額の和解金で穏便に済まそうとする病院側。示談金を頂き早々に済まそうとするギャルビンは昏睡状態の女性の病室を訪れる。
そこで彼が見たものは・・・(チラシより)。

1982年に映画化され世界的なヒットとなった同名のベストセラー小説の舞台化。
昴が2018年本邦初演の由。例によってネタバレあります。

この事件は要するに、病院側の判断ミスで、脊椎麻酔にすべきところを全身麻酔にしたため、妊婦が数分間心停止を起こし、何とか命は助かったが、
非常に重い障害が残ったのだった。寝たきりとなり、話すことも動くこともできない。唯一できるのはまばたきだけだという。
病院側は過失を隠蔽するためカルテを改ざんし、原告側の弁護士の動きをあの手この手で妨害する。
教会が経営する大病院で、その地域では非常な権威があるらしく、保身のために手段を選ばない。
ギャルビン(宮本充)は病院側が差し出した多額の示談金を受け取ることを拒み、裁判で白黒つけようとする。
友人モー(金子由之)が驚いて「相手は教会だぞ」と言うと、彼はすかさず「ああ、神じゃない」と応える。
このセリフがいい。まったくしびれる。教会だってこの世の業、人間の業に過ぎないのだから。

だが被害者の母(石井ゆき)は、彼が病院側の申し出を断ったことを知って、怒り、嘆き、彼を責める。
彼女の娘は現在、ひどい病院に入れられている。孫たちに見せられないような場所だ。
娘をもっといい病院に移してやり、少しでも快適な日々を過ごさせたい、そして孫たちと面会させたい、と母は願っている。
多額の示談金をもらえばそれが可能になる。
それ以上のことは望んでいないのだ。

バツイチのギャルビンは、行きつけの居酒屋で、一人の女性(林佳代子)と知り合う。
彼女もバツイチで、二人は急速に接近するが、これは敵の罠だった。
原告側のために証言をしてくれるはずの医師はいつの間にか姿をくらましていた。これも敵が手を回したのだ。
仕方なく、遠方に住む73歳の産婦人科医(金房求)に証言を頼んだ。
この人はいい人で、カルテを読んですぐに麻酔のミスだと気づく。
だが、やはり時代の流れに追いついてはおらず、麻酔についての最近の必読書と言われている本も読んでおらず、コードブルーという言葉も知らない。

一方、病院側の弁護士コンキャノン(金尾哲夫)は、模擬裁判の場を設け、件の医師に受け答えの練習をさせる。
なるべく専門用語を避けてわかりやすい言葉を使い、被害者のことはファーストネームで呼ばせる。
すべては陪審員たちにできるだけ良い印象をを与えるためだ。
医師は抵抗するが、裁判に勝つためだと言われると、妥協するしかない。
こうして充分な練習を積んだ医師と、それに対して絶望的なほど弱い原告側という圧倒的に不利な状況の中、裁判が始まる。

だがギャルビンは、めげることなく辛抱強く真相に迫ってゆく。
ようやく彼は、事件の後、病院を辞めた看護師(市川奈央子)の行方を突き止め、会いにゆく。
医師は彼女にカルテを改ざんするよう迫ったが、彼女はそれを断り、病院を辞めさせられたのだった。
彼女は正義を貫くために犠牲となった。
だから、被害者のために証言台に立つことは彼女にとって何でもないことだった。
いやむしろ、彼女はこういう機会を待っていたのかも知れない。
夢だった看護師の職を奪われた彼女には、もう恐れるものは何もない。
彼女を脅し、職場を辞めさせた医師たちを、彼女は名指しで告発する。
証拠がないではないか、と詰め寄られると、「あります。コピーを取っているんです」と爆弾発言。
なぜコピーを?と尋ねられると、「いつか必要になると思ったから」と彼女は落ち着いて語る。

だが被告側は、過去の判例を調べ、複製は証拠として採用されない、というのを見つける。
そのため、何ということか、彼女の証言自体も、なかったことにされてしまう。
だが、一部始終を見聞きしていた陪審員たちは、彼女の証言こそ真相に最も近いものだ、ということを感じ取った。
だから、評決は病院側の過失を認め、原告側の訴えを全面的に認めたのだった。

そして病院を経営する教会の司教は、上訴しないことにする。
法律上は上訴できるが、「その法律より上にあるのが教会だ」と彼は言うのだった。
ともかく彼の判断によって、原告側の勝利は確定し、被害者と母親は無事に多額の賠償金を得ることになる。

40年ほど前に書かれた小説が元なので、やはり古いところもある。
73歳の医師が相当な年寄り扱いをされるところとか。

劇団昴はやはり最高。
役者たちがみな素晴らしい。
キャスティングもいい。
特に被告側の老練な弁護士コンキャノンを演じた金尾哲夫という人が、自信たっぷりで憎々しげでいい。
敵役はこうでなくちゃ。

結末を知らなかったのでハラハラしたが、原作の小説がベストセラーになったというので、きっとハッピーエンドに違いない、最後は
スッキリ晴れやかな気分になれるはずだ、と信じて物語の行方を追っていた。
映画「ショーシャンクの空に」を見た時のように。
やはり思った通り、いい気分で終われた。
余韻を残したラストシーンもいい。






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