ロビンの観劇日記

芝居やオペラの感想を書いています。シェイクスピアが何より好きです💖

ヒンデミット「往きと復り」 / ナイマン「妻を帽子と間違えた男」

2009-09-18 21:38:02 | オペラ
9月5日第一生命ホールで、ヒンデミット作曲のオペラ「往きと復り」と、マイケル・ナイマン作曲のオペラ「妻を帽子と間違えた男」を観た(中川賢一指揮、飯塚励生演出)。

ヒンデミットの方は、わずか15分の作品。舞台左側に演奏者達、右側に白い壁状の引き出し。
夫が妻を射殺すると、一人の男が現れ、「人間が普通とは反対に、死んでから人生が始まり、最後に生まれる、というのでもいいだろう」とか言い、ストーリーが逆にさかのぼってゆく。歌詞がうまくつながる所がいくつかあって面白い。最後はハッピーエンド。
ヘレーネ役の森川栄子は相変わらず張りのある素晴らしい美声。

ナイマンの方には、指揮者の解説によると、R.シューマンの引用が少なくとも14箇所はある由。
これは実話を元にしたオペラで、患者であるP教授が音楽家(声楽家)なので、途中シューマンの「詩人の恋」から「僕は恨まない」を丸々一曲歌うという趣向になっていて、歌手にとっては見せ場でもある。「詩人の恋」の大ファンとしては、これだけでもうかなり満足だった。

演奏(東京室内歌劇場)は秀逸。特にヴァイオリンのうまさが際立つ。

患者は音楽家として一流であり、暗記チェスの名人でもある。つまり非常に知的な人物だ。それなのに手袋を手袋と認識できない。ある種の認識能力の欠損。特異な症例とは言え、人間とは・・と考えさせられる。

妻が医者に向かって「このパリサイ人!」と叫ぶ。字幕には(芸術を否定する人)とかいう註が出ていたが、Pharisee という英単語にはそういう意味があるのだろうか。手元の辞書によると、「信仰より宗教的儀式・古い慣習を尊重する人、信心ぶる人、偽善者」とある。つまり形式主義者ということか。

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「怪談 牡丹燈籠」

2009-09-08 10:55:48 | 芝居
8月28日シアターコクーンで、「怪談 牡丹燈籠」を観た(いのうえひでのり演出)。
休憩を挟んで大きく二部に分かれる。この話、実は恥ずかしながら全く知らなかった。

三組の男女の人生が絡み合う。テーマは因果応報。そして「耳無し芳一」つまり、魔物(異界から来るもの)の侵入を防ぐために戸口や窓にありがたいお札(護符)を貼る・・が、しかし・・・というお話。

お峰役の伊藤蘭がうまい。口跡鮮やかに、勝気な女房を造形した。コミカルな演技もいいし、後半、商家のおかみとなって、今度は夫の浮気に悩み、昔の貧乏暮らしを懐かしむ姿も共感を誘う。

お国役の秋山菜津子は最近売れに売れていて、面白そうな芝居にはたいてい出ていると言っても過言ではない。ただいずれも似たような役柄(すれっからしだが一人の男にぞっこん惚れている、といった)なのが残念だ。たまにはちょっと違う役もやってほしい。
そう言えば、来年レイディ・マクベスをやるらしい。これもある意味「ぞっこん組」だが、楽しみだ。

伴蔵役の段田安則も、最近安定した演技力で大活躍の人。前半の、のん気な貧乏人から後半の成り上がり商人までを達者に演じる。

新三郎役の瑛太は期待に違わぬ爽やかな着物姿と若々しい声。

しかし、この芝居には一つ問題がある。伴蔵の妻殺しが唐突で、説得力がまるでない。大きな欠点だ。
確かにお峰がこの先も、昔の悪事を大声で言い立てるかも知れないのは困るが、ではなぜ妻殺しの後すぐに逃げないで捕まってしまったのか。それに殺した後どうするつもりだったのか、そこが不可解なままだ。

お峰がいきなり百両云々を思いつくのも少し不自然。ここも伏線を張っておく必要がある。

「死んだらおしまい。生きているうちが花」というセリフに象徴される現世主義、即物主義が不信心、ひいては殺人へと人を駆り立てる。

武家社会と庶民階級という二つの遥かに隔たった階級で構成された格差社会が見事に描き出された話だ。

お峰が抱く欲望も、その日暮らしの苦しさから逃れたいという日頃の辛い思いがあり、そこに到来した千載一隅のチャンスに、利発な女だったばっかりに、つい飛びついてしまったのだろう。だがそれは、間接的にせよ人一人確実に死なせることになるのだから、普通の感覚なら踏みとどまるはずだ。

伴蔵とお峰は幽霊にもらった百両を手に江戸を離れ、荒物屋を始め、繁盛するようになる。そこに貧乏だった頃の友人が頼って来ると、お峰は温かく迎え入れ、保護してやる。本来情に厚い性格なのだ。そのお峰が、直接手を下すわけではないにしても、日頃世話になっている人を死なせる企みを思いついた時、葛藤がなかったのだろうか。彼女にとっては貧乏人同士の連帯の方が遥かに重要ということか。

ところで今回、個人的にはセリフの日本語の美しさが楽しかった。日頃翻訳物に慣れていると、母国語の芝居は、例えてみればいつもプールでばかり泳いでいた人が久し振りに海で泳いで、楽に泳げるのにびっくりするようなものか。

恨みを抱いたまま死んだ人間を恐れる気持ち、そういう死者は生きている人間に祟りを及ぼすという考え方は分からなくもないが、しかし恋心を抱いたまま死んだ女が化けて出てきて恋しい男を取り殺すとは・・・。
ここでは女たちの方が強い。三人の女はそれぞれ境遇も性格も様々だが、いずれも男への思いは一途で激しい。男共はたじたじだ。
コメント (3)
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