先日、撮りためておいたテレビドラマ「死との約束」(2021年放映)をようやく見た。
これは、アガサ・クリスティーの同名小説を三谷幸喜が翻案したもので、彼によるクリスティー作品の翻案第3弾となる。
「いいかい、彼女を殺してしまわなきゃ・・・」エルサレムを訪れていたポアロが耳にした男女の囁きは闇を漂い、やがて死海の方へ
消えていった。どうしてこうも犯罪を連想させるものにぶつかるのか?
ポアロの思いが現実となったように殺人は起こった。
謎に包まれた死海を舞台に、ポアロの並外れた慧眼が真実を暴く(ハヤカワ文庫の解説より)。
原作は1938年に発表された長編小説。
それを読んでから見たので、始まるとすぐに犯人が分かったが、そんなことはどうでもいい。
と言うか、この原作を読んで、途中で犯人を当てることのできる人はいないと思う。
そういう意味では、この小説も本格推理とは言えないだろう。
クリスティーらしい様々な人間模様を楽しみ、あの人もこの人もみんな怪しく、そしてみんながそれぞれ別の家族を犯人だと思って
かばい合う、という作者の仕組んだ錯綜した状況にミスリードされ、右往左往しながらそれを楽しむのが醍醐味だろう。
本堂家の人々は家族旅行中。母親、長男夫婦、次男、長女、次女の6人。
父親は亡くなり、母親は後妻で、次女以外の3人は先妻の子供。
彼らには、何やら奇妙なところがあった。
次女以外は皆、もういい大人なのに、何でも母親の言いなりで、自分たちで物事を決めることができないようなのだ。
実は、この母親は人を支配することに異常な喜びを覚える性格で、再婚直後から子供たちを支配してきた。
彼らはまるで催眠術にかけられたかのように、母親に牛耳られていたのだ。
莫大な財産を相続した母親は、子供たちを養ってはいるが、外で働くことを許さない。
彼らは自由になりたいと思うものの、働いたことがないため、どうすればいいのかわからない。
だが彼らも、このままではいけない、僕らはそのうちダメになる、と切迫した思いに駆られている。
みな、母親を憎んでいるが、その気持ちを顔には出さず、表面的には従っている。
そんな母親が、年取っていたとは言え直前まで元気だったのに、急死する。
それを知っても家族は誰も驚かず、悲しまない。
全員に動機があり、チャンスがあり、疑わしい・・・。
原作を読んだ時、最初は、例の有名な某作品のように、みんなでやっちゃったんじゃないか、と思った。
だが名探偵・勝呂武尊(野村萬斎)も言うように、それにしてはみんな、その後の行動がバラバラで計画性がなさ過ぎる。
では、やはり「彼女を殺してしまわなきゃ・・」と言うのを勝呂に聞かれてしまった次男が犯人か。
だが動機から言うと、妻に離婚を切り出された長男が一番怪しい・・・。
今回もまた、三谷さんの凄さが分かった。
彼は舞台を中東から日本に置き換え、時代を昭和30年に設定。
つまり、戦後の混乱がまだ尾を引いている頃ということ。
そして、カラカラに乾いた暑い砂漠を旅する物語は、緑したたる熊野古道の鬱蒼とした森の中に移された。
このアイディアはどこから湧いてきたのか。
たぶん、天狗伝説でしょう。
原作で重要な役割を果たす「原住民」をどうするか考えた結果、天狗に登場してもらおうと思いついたのでしょう。
キャスティングもいい。
代議士・鈴木京香、異常な支配欲で家族に君臨する母親・松坂慶子、気弱な編集者・長野里美、地元の警察署長・阿南健治。
長男夫婦が山本耕史とシルビア・グラブというのは、ちょっと意外だった。
後は知らない人たちだったが、皆さん好演。
ただ、主役ポアロ、いや勝呂を演じる萬斎が、相変わらず異常に作り込んだキャラで、キモい。
声も顔もとにかく普通じゃないし。
こんな人、そばに来たら誰だって逃げるでしょう。
代議士・上杉穂波(鈴木京香)と勝呂との前日譚をしっかり描いているのが重要な伏線。
何と彼女は、旧姓「佐古」で、かつては「猫の目」と名乗る怪盗だった!(笑)
その時、彼女を逮捕したのが、当時警官だった勝呂だったのだ。
そんな彼女も、今では上杉穂波という名前に変え、亡き夫に代わって代議士となっていた。
勝呂は、本堂夫人(松坂慶子)がかつて刑務所で女看守として働いていたことを知らなかった。
そこは原作と違う点だが、この前日譚のおかげで、破綻なく、不自然さもない。
穂波と勝呂との淡いロマンティックな関係を入れたことで、話がふくらんで香り豊かな印象になった。
このアイディア、素晴らしいと思う。
ただ、せっかくのこの設定も、萬斎がキモイので、思いっきり感情移入したいのにそれができないというまだるっこしさがあった。
実に残念で腹立たしい。
長男の妻を秘かに愛し、支えようとする男(坪倉由幸)・・・これがだいぶ違う印象になっている。
原作では、誠実で信じられないほど献身的なアメリカ人男性で、そのままでは現代日本ではまるでリアリティがないから、仕方ないだろう。
だから、独裁者だった義母の突然の死後、女が言いにくそうに(夫と別れて彼と再婚することを承諾したが)やはり夫をそばで支えたい、と告げると、
彼女を責めることなく、その申し出を寛大に受け入れ、自分は彼女の幸せだけを願っている、と美しいセリフを述べるが、
その間、何やら妙に感動的な、胸に迫る音楽を流しておいて、振り返ると・・・というコミカルなシーンに。
「黒井戸殺し」の時と同様、三谷さんは、原作を補っている!
たとえば、穂波と本堂夫人がホテル内で秘かに会っていたこと。
また、穂波が本堂夫人に、ベンチで待つようにとのメモを渡していたこと。
これらは原作にないが、きっとあったはずのシーンだから、原作の読者はそれを想像しなくてはならなかった。
穂波に付き添う編集者で、暗示にかかりやすい女性・飛鳥ハナを長野里美が好演。
配役を見ただけで誰が誰をやるか分かったが、彼女は特にピッタリだと思った。
登場人物の名前が可笑しい。
サラはそのまま沙羅だが、次男レイモンドが主水(もんど)、カーバリ大佐が川張署長に(笑)。
ラストの処理がまた素晴らしい。
土地の景観を活かして、無理なく美しく終わらせている。
(原作でも、警察は事故死として処理した)
精神的に不安定だった末娘についても、簡単に、だが自然に無理なく触れて、今後の明るい展望を感じさせている。
とにかく、あちこちに三谷幸喜の才気が感じられる。
どうしてこんなことができるのだろう。
彼の翻案の才能には、脱帽するしかない。
今回も、めちゃくちゃ楽しかったです。
これは、アガサ・クリスティーの同名小説を三谷幸喜が翻案したもので、彼によるクリスティー作品の翻案第3弾となる。
「いいかい、彼女を殺してしまわなきゃ・・・」エルサレムを訪れていたポアロが耳にした男女の囁きは闇を漂い、やがて死海の方へ
消えていった。どうしてこうも犯罪を連想させるものにぶつかるのか?
ポアロの思いが現実となったように殺人は起こった。
謎に包まれた死海を舞台に、ポアロの並外れた慧眼が真実を暴く(ハヤカワ文庫の解説より)。
原作は1938年に発表された長編小説。
それを読んでから見たので、始まるとすぐに犯人が分かったが、そんなことはどうでもいい。
と言うか、この原作を読んで、途中で犯人を当てることのできる人はいないと思う。
そういう意味では、この小説も本格推理とは言えないだろう。
クリスティーらしい様々な人間模様を楽しみ、あの人もこの人もみんな怪しく、そしてみんながそれぞれ別の家族を犯人だと思って
かばい合う、という作者の仕組んだ錯綜した状況にミスリードされ、右往左往しながらそれを楽しむのが醍醐味だろう。
本堂家の人々は家族旅行中。母親、長男夫婦、次男、長女、次女の6人。
父親は亡くなり、母親は後妻で、次女以外の3人は先妻の子供。
彼らには、何やら奇妙なところがあった。
次女以外は皆、もういい大人なのに、何でも母親の言いなりで、自分たちで物事を決めることができないようなのだ。
実は、この母親は人を支配することに異常な喜びを覚える性格で、再婚直後から子供たちを支配してきた。
彼らはまるで催眠術にかけられたかのように、母親に牛耳られていたのだ。
莫大な財産を相続した母親は、子供たちを養ってはいるが、外で働くことを許さない。
彼らは自由になりたいと思うものの、働いたことがないため、どうすればいいのかわからない。
だが彼らも、このままではいけない、僕らはそのうちダメになる、と切迫した思いに駆られている。
みな、母親を憎んでいるが、その気持ちを顔には出さず、表面的には従っている。
そんな母親が、年取っていたとは言え直前まで元気だったのに、急死する。
それを知っても家族は誰も驚かず、悲しまない。
全員に動機があり、チャンスがあり、疑わしい・・・。
原作を読んだ時、最初は、例の有名な某作品のように、みんなでやっちゃったんじゃないか、と思った。
だが名探偵・勝呂武尊(野村萬斎)も言うように、それにしてはみんな、その後の行動がバラバラで計画性がなさ過ぎる。
では、やはり「彼女を殺してしまわなきゃ・・」と言うのを勝呂に聞かれてしまった次男が犯人か。
だが動機から言うと、妻に離婚を切り出された長男が一番怪しい・・・。
今回もまた、三谷さんの凄さが分かった。
彼は舞台を中東から日本に置き換え、時代を昭和30年に設定。
つまり、戦後の混乱がまだ尾を引いている頃ということ。
そして、カラカラに乾いた暑い砂漠を旅する物語は、緑したたる熊野古道の鬱蒼とした森の中に移された。
このアイディアはどこから湧いてきたのか。
たぶん、天狗伝説でしょう。
原作で重要な役割を果たす「原住民」をどうするか考えた結果、天狗に登場してもらおうと思いついたのでしょう。
キャスティングもいい。
代議士・鈴木京香、異常な支配欲で家族に君臨する母親・松坂慶子、気弱な編集者・長野里美、地元の警察署長・阿南健治。
長男夫婦が山本耕史とシルビア・グラブというのは、ちょっと意外だった。
後は知らない人たちだったが、皆さん好演。
ただ、主役ポアロ、いや勝呂を演じる萬斎が、相変わらず異常に作り込んだキャラで、キモい。
声も顔もとにかく普通じゃないし。
こんな人、そばに来たら誰だって逃げるでしょう。
代議士・上杉穂波(鈴木京香)と勝呂との前日譚をしっかり描いているのが重要な伏線。
何と彼女は、旧姓「佐古」で、かつては「猫の目」と名乗る怪盗だった!(笑)
その時、彼女を逮捕したのが、当時警官だった勝呂だったのだ。
そんな彼女も、今では上杉穂波という名前に変え、亡き夫に代わって代議士となっていた。
勝呂は、本堂夫人(松坂慶子)がかつて刑務所で女看守として働いていたことを知らなかった。
そこは原作と違う点だが、この前日譚のおかげで、破綻なく、不自然さもない。
穂波と勝呂との淡いロマンティックな関係を入れたことで、話がふくらんで香り豊かな印象になった。
このアイディア、素晴らしいと思う。
ただ、せっかくのこの設定も、萬斎がキモイので、思いっきり感情移入したいのにそれができないというまだるっこしさがあった。
実に残念で腹立たしい。
長男の妻を秘かに愛し、支えようとする男(坪倉由幸)・・・これがだいぶ違う印象になっている。
原作では、誠実で信じられないほど献身的なアメリカ人男性で、そのままでは現代日本ではまるでリアリティがないから、仕方ないだろう。
だから、独裁者だった義母の突然の死後、女が言いにくそうに(夫と別れて彼と再婚することを承諾したが)やはり夫をそばで支えたい、と告げると、
彼女を責めることなく、その申し出を寛大に受け入れ、自分は彼女の幸せだけを願っている、と美しいセリフを述べるが、
その間、何やら妙に感動的な、胸に迫る音楽を流しておいて、振り返ると・・・というコミカルなシーンに。
「黒井戸殺し」の時と同様、三谷さんは、原作を補っている!
たとえば、穂波と本堂夫人がホテル内で秘かに会っていたこと。
また、穂波が本堂夫人に、ベンチで待つようにとのメモを渡していたこと。
これらは原作にないが、きっとあったはずのシーンだから、原作の読者はそれを想像しなくてはならなかった。
穂波に付き添う編集者で、暗示にかかりやすい女性・飛鳥ハナを長野里美が好演。
配役を見ただけで誰が誰をやるか分かったが、彼女は特にピッタリだと思った。
登場人物の名前が可笑しい。
サラはそのまま沙羅だが、次男レイモンドが主水(もんど)、カーバリ大佐が川張署長に(笑)。
ラストの処理がまた素晴らしい。
土地の景観を活かして、無理なく美しく終わらせている。
(原作でも、警察は事故死として処理した)
精神的に不安定だった末娘についても、簡単に、だが自然に無理なく触れて、今後の明るい展望を感じさせている。
とにかく、あちこちに三谷幸喜の才気が感じられる。
どうしてこんなことができるのだろう。
彼の翻案の才能には、脱帽するしかない。
今回も、めちゃくちゃ楽しかったです。