ロビンの観劇日記

芝居やオペラの感想を書いています。シェイクスピアが何より好きです💖

オペラ「ウェルテル」

2019-04-25 22:02:13 | オペラ
3月19日新国立劇場オペラパレスで、マスネ作曲のオペラ「ウェルテル」を見た(演出:二コラ・ジョエル、指揮:ポール・ダニエル、オケ:東響)。

ゲーテの小説「若きウェルテルの悩み」をマスネがオペラ化したフランスオペラ珠玉の名作。
かつて演奏会形式で見たことあり。甘い音楽に魅了された。
今回ようやく本来の形で見ることができた。

若き詩人ウェルテルはシャルロットに恋心を抱くが、彼女に婚約者がいることを知り絶望する。数か月後、アルベールと結婚したシャルロットに、ウェルテルは
再び愛を告白するが、シャルロットは彼に町を去るように言う。クリスマスイブの夜、ウェルテルからの手紙に心乱れるシャルロットの前にウェルテル本人が
現れ、激しく求愛し彼女を抱きしめる。やっとの思いでシャルロットは抱擁を逃れ、永遠の別れを告げる。絶望したウェルテルは自ら命を絶つ・・・(チラシより)。

いやはや、こういうまとめ方をすると、まったく身も蓋もないが、内容は決してこんな単純なものではない。
惹かれ合う二つの魂が、現実社会のしきたりに阻まれて苦しみ、もがき、ついには自分でもどうしようもなくなるところまで追い詰められてしまうのだ。
忘れてはいけない肝心なことは、シャルロットの方も初めから彼に強く惹かれていた、ということだ。
ただし、彼女がようやく自分の気持ちを認めるのは、彼が死ぬ間際のことだが。

1幕
舞台装置がすごい。原作の挿絵そのままのような、どっしりした建物と、その奥に広がる深い森(美術:エマニュエル・ファーヴル)。
二人の出会い。ウェルテルはシャルロットと数時間を過ごし恋に落ちるが、別れ際、彼女に親の決めた婚約者がいることを知って絶望する。

2幕
教会の中庭か。時々パイプオルガンの音が聞こえる。アルベールとシャルロットが登場。二人は結婚して数か月たっている。アルベールは妻に、どんなに
感謝しているか、と幸せに溢れた歌を歌うが、シャルロットはそれに対して少し寂しげな様子。シャルロットが一人になると、ウェルテルがやって来て彼女に話しかける
が彼女は町を出るように、でもクリスマスにはまた来るように、と言う。彼女はどこまでも貞淑な妻だった。ウェルテルは再び絶望して、自殺しかない、と思い始める。
自殺は罪だが、神は苦しみから逃れて家に帰った息子を暗闇に追い出したりなさらないだろう、と歌う。
一方シャルロットの妹ソフィーは、ウェルテルを密かに愛しているのだった。
牧師夫妻の結婚50周年を祝う会が開かれている。ラストは前景でウェルテルの出発を嘆くソフィーと、「永久に去る」とウェルテルが言った、と聞いて
立ちすくむシャルロット、「彼は(私の)妻を愛している」と暗い思いを込めて歌うアルベール、後景では牧師夫妻に白い花々を投げてお祝いする人々。

3幕
アルベールとシャルロットの住む家。ソフィーが遊びに来て、「家に来てね、約束よ」と言って去る。ところがその後、ウェルテルがやって来て「ここは
昔と変わらない。家具も何もかも・・・」と言う。つまりその時、舞台はシャルロットの実家になっているようなのだ。そんなの困る。混乱するではないか。
何とかならないものか。少しの間暗転して、家具をちょっと変えるとかしてほしい。

シャルロットはウェルテルからの手紙を読んで心を揺さぶられる。そこにウェルテル本人がやって来て情熱的に愛を告白するので、彼女はつい我を忘れて
彼と抱き合う。だがすぐに気を取り直して別れを告げる。ウェルテルは立ち去る。アルベールが入って来て、ウェルテルが手紙にピストルを貸してほしい、と
書いていたので、ピストルを妻に渡し、彼女から使いの者に渡させる(!)。

3幕と4幕の間は休憩無しで暗転のみ。
4幕
ウェルテルの部屋。彼は舞台中央で、客席に向かってすでに椅子からずり落ちかけている。白いブラウスの左胸には血が。
背後に天井までの作りつけの巨大な本棚があり、びっしり本が収まっている。はしごもかけてある。これはどういうことか。図書館じゃあるまいし。
まだ若い、ただの駆け出しの詩人に過ぎないウェルテルの部屋にしては大げさでは?
かつて見た女性二人の芝居を思い出した。
2014年10月、新国立劇場小劇場で上演されたデヴィッド・ヘア作「ブレス・オブ・ライフ」。
蓬莱竜太演出、久世星佳と若村麻由美の共演だった。
あの時もやはり天井までの巨大な本棚が印象的だったが、あれは中年作家の部屋だから違和感はなかった。

シャルロット役の藤村美穂子は、歌はともかく演技にもっと工夫がほしい。

3幕で、アルベールはシャルロットに対して非常に冷たく厳しい。
2幕ではあれほど感謝していたのに。
今後どうなるのだろうか。
前にも書いたが、シャルロットはアルベールの元に戻れるのだろうか。
もはや修道院に入るしかないのではなかろうか(ついこんなしょうもないことを考えてしまう)。

かつて演奏会形式で見た時、甘美な音楽に打たれ、いつか本物のオペラ形式で見たいと思っていた。
その願いがやっと叶ったわけだが、期待し過ぎたのだろうか。
音楽にも舞台全体にも、残念ながら、さほど心動かされなかった。



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「母と惑星について、および自転する女たちの記録」

2019-04-16 22:14:04 | 芝居
3月8日紀伊國屋ホールで、蓬莱竜太作「母と惑星について、および自転する女たちの記録」を見た(演出:栗山民也)。

突然の母の死からひと月。私たちは何と決別すればいいのか。
徹底的に放任され、父親を知らずに育った三姉妹は、遺骨を持ったまま長崎からあてのない旅に出る。
「私には重石が三つ必要たい」毎日のように聞かされた母の口癖が頭をめぐる。次第に蘇る三姉妹それぞれの母の記憶。
奔放に生き、突然消え去った母。母は、何を欲していたのか。
自分はこれからどこに向かえばいいのか・・・。三姉妹の自問の旅は続く(チラシより)。

鶴屋南北戯曲賞(蓬莱竜太)受賞、読売演劇大賞最優秀女優賞(鈴木杏)受賞という輝かしい記録を持つ作品。

母(キムラ緑子)が心筋梗塞で突然亡くなり、三姉妹はトルコのイスタンブールに遺骨をまきに来ている。
なぜまたはるばるイスタンブールへ?
母が「飛んでイスタンブール」をいつも歌っていたから。
どこかに散骨しようと街を歩きながらも、彼らは土産物屋をのぞいたり、適当に観光もしている。帰る日も決めていない。
長女(田畑智子)はフリーライター。
次女(鈴木杏)は専業主婦で、夫はバンドが趣味の派遣社員。
三女(芳根京子)は23歳で長崎市内で働いている。

次女は日本にいる夫に毎日スマホでメールする。その都度、舞台上方に文面が映し出される趣向が面白い。

長女が高校3年生で東京の大学入学を目指して受験勉強している時、母がやって来て「出て行きたいのは私だ、あさって出て行く。〇〇さんと二人だけで暮らしたい。
私には今しかないの。おばあちゃんと家の面倒はあんたが見てほしい。東京には行かんで、この家におってほしい」とめちゃくちゃなことを言い出す。
当時三女はまだ小学生。長女は驚いて妹たちを呼び、「育児放棄でしょ!?」と叫ぶ。

高校生の頃の次女が、好きなバンドマンに宛てたラブレターを母に添削してもらうシーンが面白い。
ここは唯一、母が母らしい場面だ。

三女の思い出は一番重い。小さい頃、山の中で置き去りにされた恐怖。母が亡くなる少し前、帰宅すると風呂場に男がいて・・・。

次第に三人の性格と現状が浮かび上がる。
長女はしっかり者だが、母に似たのか恋多き女。自分のそういうところをよく知っているため、相手がいないわけではないのに結婚には消極的。
次女は、母みたいになりたくない、私は専業主婦になる!と宣言していたが、けっこう純情なため、好きなバンドマンと結婚。夫は趣味のバンド活動に
打ち込み、仕事は派遣で収入は少ない。そういう場合、普通自分が働きに出るものだが、彼女は憧れの「専業主婦」という地位を捨てたくない。そのため借金に
苦しんでいる。
三女は父親を知らず、普通の家族の暮らしを知らないので、やはり結婚に二の足を踏んでいる。

始めと終わりに三女の語りがあり、ラストの「この長い手紙を」というセリフから、この芝居全体が彼氏への手紙だと分かる仕掛け。

脚本について難を言えば、三人共、お金に余裕があるわけではないのに、はるばるトルコまで旅行する、というのが、ちょっと無理がある。
しかもその動機というのが、ちと弱いし。
それと、子供好きとはとても思えない母が「孫が欲しい」と言っていた、というのも、いささか解せない。

役者について。
次女役の鈴木杏には驚いた。とにかく今まで見てきた彼女とはまったくの別人で、何度も目を凝らして本当に彼女なのか確認する始末。
これまで、どちらかと言うと女性らしい役が多かったように思うが、今回の役はまるで男子高校生みたいな感じ。
声は低いし体格はがっしりしているし化粧っけはないし丸顔だし。
まあこういう役が元々向いていたとも言えるが。
とにかく役者ってすごい、と改めて思った。

だが母役のキムラ緑子もすごい。この人がうまいのは知っていたが、これほどとは。
とにかく役になり切っている。
もちろん脚本もいいが、彼女がうまいから、このとんでもない母親の心情が理解可能なのだ。
我々観客は、この母の気持ちに寄り添って、彼女の人生を追体験するような感覚を味わうことができる。

ところで、ここで長崎弁はかなりマイルドになっている。
例えば、「あたし、かわいくないから」は、もっとディープな長崎弁だと「うち、かわゆうなかけん」となるのではないだろうか。
それから、何度も出てくるので気になったのは、「何?」と尋ねる時の「なん?」。
これは聞いたことがない。
長崎では普通「なんね?」と言う。
この公演は長崎でもやるらしいが、現地での観客の反応はどうだろうか。

女だけの芝居、長崎、妊娠、と来れば、いやでも名作「まほろば」を思い出す。
2008年に彼の芝居を初めて見たのが「まほろば」だった。
才能ある若い劇作家の登場に胸躍らせたものだった。
この作品も素晴らしい。

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オペラ「紫苑物語」

2019-04-05 16:28:30 | オペラ
2月24日新国立劇場オペラハウスで、西村朗作曲のオペラ「紫苑物語」を見た(原作:石川淳、台本:佐々木幹郎、演出:笈田ヨシ、指揮:大野和士、オケ:都響)。

歌詠みの家に生まれた国の守・宗頼は、歌の道を捨て弓の道に傾倒する。宗頼は父により、うつろ姫と結婚させられるが、妻のことは忌み嫌う。国の目代である藤内は、
うつろ姫を利用して国を支配する野望を燃やす。ある日、宗頼の前に千草という女が現れ、宗頼を虜にさせる。実は千草は宗頼が射た狐の化身であった。
宗頼は「知の矢」「殺の矢」の弓術を習得し、千草の力によりさらに「魔の矢」を編み出す。宗頼は人を殺すたびに、紫苑(忘れな草)を植えさせる。国のはずれにある
山で、宗頼は仏師の平太と出会う。宗頼は崖に彫られた仏の頭に3本の矢を向ける(チラシより)。

世界初演。
この日に間に合うように石川淳の原作を読んで臨んだが、内容は何ともおぞましい。
特に、主人公が次々と殺人を繰り返して平然としている点と、彼の妻となる「うつろ姫」が、顔醜く愚かで何の取り柄もないばかりか10歳にして色情狂・・・という点。
ただこのオペラはうつろ姫について、このままではさすがに難しかったらしく「美貌の姫」という設定に変えてある。

この日の客層がひどかった。
女性の団体客が後方に陣取っていて開演前から騒がしく、いやな予感がしていた。
主人公宗頼を虜にする小柄な女・千草が、実は彼が射た狐の化身だったというシーンでは、一斉に「狐だったんだね」という声が沸き起こり、肝心の音楽が聞こえなくなる有様。
一体何をしにここに来ているのか。
自分ちでテレビを見ているのとはわけが違うんだから。
それとも歌舞伎座にいるつもりなのか。
オペラハウスでの作法を身につけてほしい。

ラスト、原作ではすべてが崩れ去るはずだが、それも変えてあった。

歌手では第2幕で超絶技巧のアリアを見事にこなした千草(狐)役の臼木あいが印象に残った。

現代音楽ではあるが、けっこう面白く聴くことができた。

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