ロビンの観劇日記

芝居やオペラの感想を書いています。シェイクスピアが何より好きです💖

「大人は、かく戦えり」

2011-01-27 14:52:49 | 芝居
1月11日新国立劇場小劇場で、ヤスミナ・レザ作「大人は、かく戦えり」を観た(翻訳:徐賀世子、演出:マギー)。

子供のけんかの後始末で、けがをした子の両親(大竹しのぶ・段田安則)の家を相手の子の両親(秋山菜津子・高橋克実)が訪ねる。始めは教養ある中産階級にふさわしく、穏やかに話し合っていた彼らだが、次第に本筋を離れ、激しい言葉の応酬になってゆく・・。

ヴェロニク(大竹しのぶ)はライターで、主にアフリカについて書いている。
弁護士アラン(高橋克実)の携帯はひっきりなしに鳴り、その都度彼は相手に忙しく質問し、指示を出す。彼のクライアントである製薬会社の薬を服用している人々に歩行障害が起きているというのだ・・。様々な策を弄して会社を守ろうとする彼のやり口にミシェル(段田安則)は反発する。

次第に露わになってくるのは、アランが育児も家事も全部妻アネット(秋山菜津子)に押し付けてきたこと、ミシェルが保守的で臆病なこと・・・女同士が組み、男2人を糾弾するかと思えば、ミシェル対3人になり、ある時はヴェロニク対3人になり・・・実におかしい。さすがにトニー賞とオリヴィエ賞を受賞したコメディだけのことはある。

原題は「殺戮の神」・・これはアランのセリフに出てきた言葉だ。

「一人浮きまくって」など、生き生きした訳がいい。特に邦題のセンスが好きだ。

ただ一箇所、大竹さんがアランのセリフの最後の一言「自分を救うために」を受けて、「自分を救うために書いてない!」と切り返す場面で、早過ぎて相手のセリフとかぶってしまった。これでは覚えてきたことを吐き出すようだ。相手のセリフを聞いてからすかさず言葉尻をとらえるのがここは自然のはず。しのぶさんにはこういう間合いに対する天性の感覚があると思っていたが・・・ちょっと失望。

90分ほどの短い芝居だが、4人のベテラン俳優の言葉によるバトルを楽しめた。
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映画「武士の家計簿」

2011-01-22 21:09:51 | 映画
先日映画「武士の家計簿」を観た(監督:森田芳光)。

原作は磯田道史の『武士の家計簿 「加賀藩御算用者」の幕末維新』。

幕末の加賀藩で、年収の約2倍の借金を負った家の下級武士が、ほぼすべての家財道具を売り払い、見えや外聞を捨てた耐乏生活を行って全額返済するという実際にあった物語。

これほど何も起こらない映画も珍しい。或る一家の日常が淡々と描かれる。

妻お駒役の仲間由紀恵は相変わらず美しく、声も魅力的。
草笛光子演じる「おばばさま」(曾祖母)は趣味が和算という知的な女性。好奇心も旺盛らしく、昔の自慢話を繰り返す息子の話をさえぎって孫に算数の問題を出すほど、頭がクリアで、ボケとは縁がない。そのせいもあろう、息子より長生きする。

息子直之は幼少の頃から母方の祖父を「与三八」と呼び捨てにする。これがまた変わった名前だから、始めは何を言っているのか分からなかった。自分より身分が下だからだろうが、江戸時代の身分制度の厳格さを思い知らされる。

主役を演じる堺雅人は爽やかさが印象的な人だが、どんな修羅場にあってもいつもと同じく爽やかな笑みを湛えているのには驚いた。個人的にはこんな人とは友達になりたくないかも。
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串田版「十二夜」

2011-01-16 20:51:12 | 芝居
1月4日シアターコクーンで、シェイクスピア原作「十二夜」を観た(潤色・演出:串田和美)。

「潤色」という文字に不安を抱きつつ初日に行ったが・・・。
予感的中。天才の書いた美しいセリフがごっそり削られ、その代わりに呆れるほどつまらないセリフを加えて聞かされたのだった・・・。
音楽悪し。特に合唱がつまらない。
衣裳悪し。
サー・トービーはただもう客席を白けさせるだけ。この人は重要なのに。全然面白くない。
侍女マライアはただのヒステリックな笑い上戸。彼女自身が「今は喪に服して悲しみの最中だから、ニタニタ笑いはお嬢様の気持ちにもっともそぐわない顔つき」と言っているのだから、こんなんではすぐにクビだろう。
執事マルヴォーリオは声のかすれた弱々しい人(この人が演出家その人らしい)。威厳もなければ憎々しくもない。この男がキモなのに。そもそもこの作品では、まず公爵が魅力的で、執事が憎たらしいことが条件なのだ。公爵の方はいいが、執事がこれでは、みんなでやっつけようという気にもなるまい。
ヴァイオラ(松たか子)は可愛いが、男装したら声を低くすべきだ。高い声のままで演じるのは初めて見た。そして衣裳がいけない。あれでどうしてオリヴィア姫が惚れるのか。もちろんこれは松さんの責任ではないけれど。
歌うオーシーノー。ヴァイオラも歌う。
オリヴィア姫役のりょうという人だけはよかった。

「黄色い靴下と十字の靴下留め」を「ニワトリの格好」に変えるなんてのは全然構わないけど。
舞台では役者たちが大いに盛り上がって笑っていたが、客席はシーン・・というのは変じゃないか?理想を言えばその逆だろう。お客をほったらかしにして一人よがりもいいとこだ。

というわけで、休憩中に出てきてしまった・・。
芝居の途中で退席したのは初めてだ。
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映画「おくりびと」

2011-01-13 14:49:14 | 映画
先日TV で、映画「おくりびと」を観た(監督:滝田洋二郎)。(ネタバレあり!これから見るかもという方は読まないで下さい)

チェロ奏者の大悟(本木雅弘)は、属していたオケが解散し失職。妻と共に故郷に戻り、求人広告を手に「NKエージェント」という会社を訪れるが、・・。

とりあえずつっこみたい所あり。
主人公はプロのチェリストだが、彼がローンを組んで買ったチェロの値段が1800万円というのは高過ぎるのでは?彼は自分のチェロの腕前がそれほどでもないことをよく自覚しており、属している小さなプロオケはいつも客の入りが悪く、当時から財政的に厳しくその運営は風前のともしびだったのだから、そんな無謀な買い物をするのはおかしい。せいぜい500万か600万という所では?故郷に帰って納棺師になるための動機づけとして「莫大な借金」を強調したかったのは分かるけど。

タコを釣ったから、と人から生きたタコをもらったり、鳥鍋だからとトサカのついた鶏の頭を皿に盛って食卓に出すようなことが、日本では日常的な風景なのだろうか。何か外国人の誤解を招くのでは?

気持ち悪くなって吐いている時に妻にやさしく介抱してもらったからってソノ気になるだろうか。何だか不自然で、見ているこっちが気持ち悪くなった。

納棺師が主人公だから当然のことだが、葬儀のシーンの連続で、嘆き悲しむ遺族の姿をカメラがとらえ続け、観客はそれをずっと見なければならない。見てはいけないものを見ているようないやな気分になる。普通そんなところにカメラは決して入らないのだから。

しかし、これらの疑問にもかかわらず、最後は感動を覚えた。
この人が納棺師になったのは、顔も覚えていない、憎しみの対象だった父との再会と和解のためだった、と言えるだろう。人生には、いつかは決着をつけなければならない宿題があるのかも知れない。そこに向かって人は我知らず導かれてゆく・・・。
脚本も描き方も薄っぺらだけど、たまにこういうことがあるものです。



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「トーマの心臓」

2011-01-06 21:20:33 | 芝居
2010年3月に紀ノ国屋ホールで上演された萩尾望都原作「トーマの心臓」を、先日TVで観た(劇団スタジオライフ公演、演出:倉田淳)。

原作は昔読んでいたが、すっかり忘れてしまっていた。観ているうちに次第に思い出すのもなかなか乙なものだ。

ドイツの「シュロッターベッツ」という名のギムナジウム(全寮制高等中学校)が舞台。
転校生エーリクは、行く先々で生徒たちにまじまじと見つめられ、怒り出す。実は彼は、数日前に転落死したトーマという生徒と瓜二つだった・・・。金髪で明るい少年トーマは誰からも愛されていたが、その死はただの事故死ではなかった・・・。
優等生だが行き場のない悲しみを抱える黒髪のユーリ、包容力のある魅力的な先輩オスカー、やんちゃで可愛いエーリク・・・。それぞれが複雑な家庭の事情を抱えている。そして誰もが誰かに恋している。ちょっとチェーホフの「かもめ」の少年版みたいだ。片想いの苦しみ、憧れ。屈折した思いを内に抱え、彷徨する少年たち。まさしく萩尾望都の世界。懐かしくもいとおしい、甘やかな耽美の世界。
実は筆者は、今でも萩尾望都という文字を見ると何だかおいしいものを前にした時のようなときめきを覚えるのです・・。

愛と死、二組の父と息子の和解。
謎解きの興味もあり、ぐいぐい引っ張って行かれる。ただ、多く詰め込み過ぎのような感じはする。神学的に見ると妙なところもある。人間は人間の魂を救うことはできないし、ましてやそのために自殺して「自分を犠牲に」するなどということはもってのほかだ。
場面転換が多いのも気になるが、それは漫画の特性なのだろうか。

一番問題なのは音楽。バッハのゴルトベルク変奏曲など多過ぎて、いささか邪魔。特にグノーのアベ・マリアが執拗に使われ、うんざり。一ヶ所だけ使われるのだったらどんなに心に沁みて効果的だったろうか。残念だ。


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