ロビンの観劇日記

芝居やオペラの感想を書いています。シェイクスピアが何より好きです💖

オペラ「オルフェオとエウリディーチェ」

2010-11-29 23:10:43 | オペラ
11月13日日生劇場で、グルックのオペラ「オルフェオとエウリディーチェ」を観た(管弦楽:読売日響、演出:高島勲)。

ご存じ、ギリシャ神話の有名な夫婦愛の物語で元は悲劇だが、この作品はハッピーエンド。

妻の死を嘆き悲しむオルフェオは、愛の神アモーレに促され冥界へ下り、復讐の悪霊たちの前で竪琴を弾きながら自分の苦しみを訴える。その美しい歌声に打たれ、悪霊たちは極楽へ通じる扉を開く。精霊たちが妻エウリディーチェを連れてきてくれる。彼はアモーレに命じられた通り彼女の顔を見ないようにしながらその手をとり地上へ向かう。しかし、自分を見ようとしない夫を彼女はなじり、・・・。

エウリディーチェ登場までが長いこと長いこと。と言っても全体で2時間弱なのだからさほど長くはないのだが、何せ音楽的にもストーリー的にも変化が少ないので現代人には忍耐力が必要だ。私などつい睡魔に負けてしまって・・・。
もちろん演出はそれを見越して、振付(広崎うらん)が大きな比重を占めるようにしている。
ほとんど常に広い舞台のあちこちで様々な踊りや所作が見られ、めまぐるしいほど。

パンフレットに載っている日本初演時の逸話と森鴎外の逸話が面白いので紹介したい。

この作品の日本初演は1903年(明治36年)、東京音楽学校(芸大音楽学部の前身)奏楽堂で、学校主催ではなく、一生徒の兄が千円(今日の約400万円)を寄付したことから実現した、生徒の自主公演だった。これが日本人による初のオペラ公演として今日高く評価されているという。
伴奏はオケではなく、ピアノ。エウリディーチェ(百合姫と訳された)は声楽科2年生の柴田環(のちの三浦環)が歌った。訳詞上演。衣裳は重要な役だけ三井呉服店(現三越)に注文し、あとは女子生徒の手製。背景画は東京美術学校(芸大美術学部の前身)の教官たちが描いた。一般公開ではなく、関係者と父兄だけが招待されたが超満員。雑誌「帝国文学」で「嚆矢たる栄光」と賞賛された由。

森鴎外はドイツに留学するまで西洋音楽に全く関心がなかった。足かけ5年のドイツ滞在中に、とりわけオペラへの関心を深め、オペラ劇場に数十回通ったという。グルックの「オルフェオとエウリディーチェ」はライプツィヒで観て、その時買った台本の余白にたくさんのメモを書き込んだ。それは赤インクで漢文体だが、よく読むと面白い。例えばアモーレが登場する時は、背中に羽の生えたアモーレが赤い衣裳を着ていて、そこに赤い照明が当たっていた、など。

どちらの話ももっとあるのだが、引用ばかりするのもなんなのでこの位にしておこう。

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「この雨 ふりやむとき」

2010-11-24 15:49:21 | 芝居
11月9日東京芸術劇場小ホール2で、アンドリュー・ボヴェル作「この雨 ふりやむとき」を観た(演出:鈴木裕美)。

作者はオーストラリア出身で、この作品はこれが日本初演。
かの国の戯曲を観るのは初めて。

面白くなるまでしばらくかかった。時間がフラッシュバックする流行のスタイルである上、4世代にわたる話で、同一人物を若い人と中年の人が演じるので、人間関係がつかみにくい。しかも場所がロンドンとオーストラリアを行き来するのに、装置は全く同じ。こういう内容の場合、字幕で「1988年ロンドン」などと説明するのが普通だが、それがないのでお手上げ。休憩無しの2時間5分で、4分の3を過ぎたあたりでようやく人々のつながりが分かった。確かに謎解きの快感も味わえたが・・・。観終わって系図を描いてみた。

またしても児童虐待の話・・・「ハーパー・リーガン」といい「ガラスの葉」といい、最近このテーマが多い。被害者は男の子だったり女の子だったり。

ガブリエルの夫の「忍耐力を試された」というセリフが印象深い。いい表現を知った。

舞台にひたひたと打ち寄せる水は、果たして必要だろうか。

或る家族の4代にわたる物語だが、4代目の若者の名前がアンドリュー・・・つまり作者の名前と同じ。ってことはこれは作者のルーツを辿る物語なのだった。
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「おそるべき親たち」

2010-11-20 00:13:55 | 芝居
11月2日東京芸術劇場小ホールで、ジャン・コクトー原作の「おそるべき親たち」を観た(演出:熊林弘高)。

tpt(シアタープロジェクト・東京)公演。

前方の客席を取り払って丸い舞台が設けてある。客席がそれを凹の字に囲む。

イヴォンヌ(麻実れい)は22歳の息子ミシェルを溺愛している。ミシェルに恋人ができたと聞いて彼女はどうしてもそのことを受け入れることができない。
一方、彼女の姉レオ(佐藤オリエ)は、かつて彼女の夫ジョルジュ(中嶋しゅう)の婚約者だった!
さらにミシェルの恋人マドレーヌ(中嶋朋子)は、実はミシェルの父ジョルジュの愛人だった!!
かくも錯綜した関係の話なのに、ちっともドロドロしていない。それどころか笑えるシーンがいくつもある。ただラストには驚いた・・・。ミシェルの振る舞いにマドレーヌは叫び声を上げるが、彼の父も伯母もまるで驚いていないようなのが、恐ろしい。

70年以上前に書かれた作品なのに、全く古びていない。フランスの話なのに現代日本の我々にも身につまされる話だ。
5人の人物それぞれに愛憎あり、屈折ありだが、マドレーヌの気持ちがちょっと分かりかねた。
ベテラン揃いの役者たちは見応えがある。演出家はまだ30代だそうだ。
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蜷川版「じゃじゃ馬馴らし」

2010-11-15 14:34:46 | 芝居
10月26日さいたま芸術劇場で、蜷川幸雄演出の「じゃじゃ馬馴らし」を観た。

舞台にはシェイクスピアの故郷 Stratford upon Avon を彷彿とさせる可愛い木組みの家(これが冒頭の居酒屋)。窓の花台には色とりどりの花々(美術:中越司)。
領主とその家来たちは品がない。分かり易くするためのいろいろな工夫が加えられている。
酔っ払いスライをだまして自分を殿様だと思い込ませるシーンで、召使たちは全身赤の奇抜な格好。皆、腰をかがめ、年寄りを装っているが、スライが後ろを見せると途端にやれやれと腰を伸ばし、彼が向きを変えるとあわててまた元に戻すので、客席が沸く。要するに原作を超えて、必要もないところで客席にせっせとサービスする。召使いたちが「ふり」をしていることを強調して分かり易くするためだとは思うが、ここまで親切を尽くす必要があるだろうか。「ヘンリー六世」での肉片落下を思い出した。

次の場では、奥の壁一面にボッティチェリの「春」が描かれた幕が掛かっている。

ペトルーチオ役の筧利夫がすごい。立て板に水とはこのこと。ヒロイン・キャタリーナ役の市川亀治郎には背の高さで幾分か負けているが、そこは勢いで押し切る。亀治郎相手に一歩も引かないばかりか、しかも破綻がない。この人をすっかり見直した。

市川亀治郎が登場すると拍手が起こったのには参った。客の何割かは彼のファンなのだろう。この人を起用するというのはすごいアイディアだ。こんなキャタリーナは初めて観た。彼は歌舞伎の様々な技も自在に繰り出して、独特のヒロイン像を描き出し、それが実におかしい。

ビアンカ役の月川悠貴は相変わらず美しいが、演技には失望した。第2場での姉との対話は数少ない姉妹の会話なのだから、もっと自然に、口早に生き生きと気持ちを込めてやってほしい。昔の蜷川さんなら灰皿を投げたのではないだろうか。ビアンカ役には美しさだけが求められている訳ではない。

シェイクスピアの伝道師として、蜷川さんは分かり易くしたりウケを狙った仕草やセリフを加えたりしているが、原作のセリフはほとんど削っていない。そのため3時間近くかかった。
皆、例によって早口で、特にペトルーチオはすごい。初めて聴いた人はどの位理解できただろうか。しかしそれもある程度は仕方ないことだ。筧さんには、今後ともぜひシェイクスピア作品に出演していただきたい。






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「橋の上の男」・「派遣の女」

2010-11-11 21:38:05 | 芝居
10月25日シアター・カイで、ギィ・フォワシィ作「橋の上の男」と「派遣の女」を観た(演出:パスカル・マイヤール)。

「橋の上の男」・・・一人の男が橋の上から身を投げようとしている。書き置きを読み返し、気が変わってその紙をちぎってばらまき、さていよいよ、という時に、カメラを構えた男が近づいてくる。この男はジャーナリストで、自殺現場に行き自殺者に話を聞き、その声を録音し、身投げのシーンを写真に撮って来い、と上司に命じられたのだった・・・。

「派遣の女」・・・或る男性劇作家が、自宅に女を派遣してもらう。女の仕事は用意された質問を男にして、彼の答えを聞くという奇妙なプレイの相手をすること。彼は自殺をテーマとする作品を書こうとしているのだが・・・。

二つ目の作品は、まず日本人によって日本語で上演され、次にフランス人によってフランス語で上演されるという珍しいやり方でなされた。

ギィ・フォワシー劇団は、35年前に谷正雄という一人の日本人の情熱によって日本で生まれたという。
彼とこの劇団の話を読むと、何事にせよ己の心にピンと来たものに集中することが大事だと改めて思わされる。

二つ目の作品のラストが分からない。ここだけ不条理?
それから日本語版と仏語版ではピストルの入れてある場所が違うのはなぜだろうか。
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「カエサル」

2010-11-06 22:11:56 | 芝居
10月18日日生劇場で、「カエサル」を観た(脚本:斎藤雅文、演出:栗山民也)。

お陰様で二度観ることができ、より深く理解し鑑賞することができたが・・・。

主役カエサルの松本幸四郎はRの巻き舌が耳障り。幾度となく繰り返される「ローマ」だけでなく「心」とかの単語のRまで巻き舌なのだからびっくり。
この人には自分の演技をヴィデオにとって研究してみてほしい。もっとクリアな発声ができるように練習してほしい。(今さら無理か?)
彼はシリアスな演技よりコミカルな場面の方がずっとよく似合うと、今回発見した。

キケロ役の渡辺いっけいは声が高いので、それだけでこの役には向いていないと思うが、それでももっと押さえて文人らしくできるはずだ。仮にも雄弁家で哲学者のはずなのに、あれではまるでピエロだ。

クレオパトラはもっと迫力と貫禄のある女優、例えば菅野美穂か深津絵里か仲間由紀恵だったらどうだろうか。

女奴隷アリス・・・あれでは奴隷として育てられたと言うより男として育てられたと言うべきだ。この人物はもちろん脚本家が書き加えた人物なのだろうが、他に奴隷が一人も登場しないから、どこまでが奴隷の属性でどこからが彼女の個性なのか全く分からない。奴隷だからといって女が男のようなしゃべり方や振る舞いをした訳ではないだろう。とにかく変だ。

衣裳(前田文子)がいい。特にクレオパトラ、カルパーニヤ、セルヴィーリアら女性たちの衣裳が美しい。

この前も書いたが、役者では高橋惠子が素晴らしい。瑳川哲朗と勝部演之の安定した演技も味がある。

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「ヘッダ・ガーブレル」

2010-11-03 16:37:53 | 芝居
10月11日新国立劇場小劇場で、ヘンリク・イプセン作「ヘッダ・ガーブレル」を観た(演出:宮田慶子)。

舞台は額縁のような金の枠の奥に上辺が少し傾いたやはり金の枠。そのまた奥にまたまた金の額縁の大きな絵が掛かっている。黒いズボン姿の男性の脚の部分のみ見えている(美術:池田ともゆき)。

ヘッダ(大地真央)はガーブレル将軍の娘。上流階級の出で誇り高く、贅沢な暮らししかできない。その彼女がどういう訳か真面目なだけの学者テスマンと結婚し、半年近い新婚旅行から新居に帰ってきた。夫は研究の虫で、彼女は早くも退屈している。そこへかつての恋人レーヴボルクが現れる。彼は夫と同じ分野の学者だが天才肌で、最近出した本が評判になっている。次に出す本の執筆を協力してきたのは、ヘッダの学生時代の後輩テーヤ・エルヴステード夫人だった。その本は二人にとって子供のようなものだと聞かされたヘッダは、嫉妬のあまり・・・。

退屈しのぎに拳銃をもてあそび、ついには自滅してゆく女性ヘッダ。
彼女は家柄が飛び抜けてよく、健康な体を与えられていながら、特にやりたいことがない。(やらなければならないこともないが。)働く必要がなかったので、これまでもダンスぐらいしかやったことがない。どういう教育を受けてきたのだろうか。
驚くのは、全く境遇の違うテーヤと同じ学校に通っていたということだ。上流階級の子女は学校には通わず住み込みの家庭教師に習うというイメージがあったが・・・?
ヘッダは一種の奇形。人を愛したことがないし、愛するとはどういうことかも知らない。彼女の嫉妬にしたってただの所有欲だ。しかしそんな彼女も、誰からも必要とされないことの寂しさは身に沁みて感じたのだった。

役者ではとにかく大地真央。姿ももちろんだが声がいい。何より華がある。そして意外なことにコメディーのセンスが抜群なので、今回の珍しい「笑えるヘッダ」が誕生したと言える。

ノルウェイでは、女性が「妊娠する」とか「子供を生む」とかいう言葉を直接口にするのが失礼に当たるのか、皆遠回しに長たらしく持って回った言い方をするのが興味深い。

今風で生き生きした翻訳(アンネ・ランデ・ペータス、長島確)が素晴らしい。
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