ロビンの観劇日記

芝居やオペラの感想を書いています。シェイクスピアが何より好きです💖

『Our Bad Magnet 』

2023-04-25 22:31:21 | 芝居
4月11日東京芸術劇場 シアターウエストで、ダグラス・マックスウェル作「Our Bad Magnet 」を見た ( 演出:大河内直子、翻訳:広田敦郎)。



舞台はスコットランド南西部の海岸にある小さな町、ガ―ヴァン。登場するのはアラン、フレイザー、ポール、ゴードンの4人の同級生たち。
かつては人気観光地だったがすっかりすたれてしまったその町に、29歳になった彼らが苦い思い出を抱えながら集まってくる。
地元に残ったアラン、元リーダー格のフレイザー、ロンドンで働くポール、そして・・・。
彼らの9歳、19歳の場面を行き来しながら、思い出たちが少しずつ明らかになっていく・・・。
劇中劇を盛り込みながら、現実とファンタジーが交差し人生の真実を浮き彫りにしていく切ない青春物語(チラシより)。

<1幕1場>
崖の上でアラン(奥田一平)、フレイザー(松島庄汰)、ポール(木戸邑弥)が再会する。彼らは29歳で、会うのは5年ぶり。
アランとポールは、アランが小学校で或るものを作っていると言う。びっくりさせることがあるとも。フレイザーは不機嫌。
<同2場>
3人は9歳。学校帰りに崖の上で話していると、ギグルス(本名はゴードン、小西成弥)が来る。彼は転校生で、笑わない子。
3人は新しい単語を作る遊びを始める。作った単語が1年くらいたって辞書に載ったら、フレイザーの父親が5ポンドくれると言う。
ギグルスは物語を書いて賞を取った、と先生が言っていた。どんな物語を書いたのか尋ねると、ギグルスは話し始める。

<劇中劇(ギグルスの書いた物語)>
金の国に皇帝がいた。何もかも金だが、彼は幸せではなかった。
ある日、城から下を見ていると、一人の貧しい娘が目に留まった。
彼女は誰よりも美しかったが、彼が一番気に入ったのは、彼女が金を身につけてないことだった。
彼女は肉屋の娘で、父親が母親を殺したので悲しんでいた。
皇帝は彼女を妃にした。
一年後、皇帝は彼女の誕生日に何をあげたらいいか迷い、臣下に相談すると、金のブレスレットを勧められる。
そこでそれをプレゼントした。それから金の冠や金のドレスや・・・。
それらを身につけた彼女は、次第に他の女性たちと変わらない姿になっていった。
ある日、彼女は湖で溺れて死んだ。
金のドレスが重すぎたのだ。
悲しんだ皇帝は、魔法使いに「空の花園」を作らせた。
だが肉屋は、娘が溺死したことを信じず、民衆を扇動して暴動を起こす・・・。

ギグルスが「今日は僕の誕生日なんだ」と言うので、みんなはポケットからコインやサッカーのカードを出して、プレゼントする。
ポールとアランは帰り、フレイザーはギグルスと残って話をする。
フレイザーの両親は弁護士。
ギグルスの父は腹話術師。腹話術に使う人形を「僕より可愛がっている」。ギグルスの本名はゴードン。
フレイザーの両親は厳しく、彼はいつも「お前は何をやってもダメな奴だ」と怒鳴られている。
フレイザーはギグルスに、その人形を取って来いよ、とそそのかす。

<同3場>
彼らは19歳。フレイザーとポールがビールを飲みながら話している。
フレイザーが昨日ティナとキスした、と自慢するが、ポールはティナとキスどころか何度もヤッテいるとわかり、フレイザーは啞然とする。
だってティナはアランと婚約しているのだから。
そこにアランが来て、ギグルスに「バンドを抜けてくれ」と言ったと言う。「だってみんなそう言ってたじゃん」
二人は慌てる。二人は確かに抜けてほしいと口にしていたが、直接本人に言うのはためらっていたのだった。
実はギグルスは夏(フレイザーが町を離れていた頃)に警察署にガソリンをまいて火をつけて逮捕されていた。
ギグルスは、今度は小学校に火をつけるとか言っている、とアラン。
その時大きな音がして、3人は駆け出す。
<休憩>
<2幕1場>
彼らは9歳。ギグルスは父親の人形を持ち出して、フレイザーと一緒に人けのない所に来る。
この辺りには幽霊が出そうだとギグルス。
フレイザーは人形を持ってしゃべらせているうちに興奮し、日頃両親から言われている罵倒の言葉を口走る。
二人で人形の首や腕を引っこ抜く・・。
<同2場>
彼らは19歳。崖の上にフレイザーがいると、アランが来る。
「ソーセージロール食べる?」
ギグルスが小学校に放火し、湖に身を投げて死んだらしい(遺体はまだ見つかっていない)ので、葬儀のようなものが行われているらしい。
フレイザーはそこを急に抜け出してきたのだ。
アランが何事もなかったかのようにソーセージロールを食べ続けるのでフレイザーは呆れる。
ポールが来て、ギグルスの叔母と話した、牧師が最後にバンドで何か2曲ほど演奏してくれないか、と言っている、と言う。
だがフレイザーはきっぱり断る。
フレイザーはまだギグルスの自殺を信じられない。
ギグルスのカバンが残されていて、中に自作の物語がたくさんあり、手紙もあった。
これらが3人のものだ、という内容。
<同3場>
29歳のフレイザーとポールが再会する。
ポールがアランの妻ティナと、まだ関係を続けているとわかる。
アランとティナがロンドンに来た時に、2人の仲が再燃した由。
「ティナを愛している」とポール。呆れるフレイザー。
アランが二人を小学校の中に案内する。
そこで彼は或る機械を作っていた。
夜はずっとここでこれを組み立てていた。
ある日、帰宅するとティナが泣いていた。
病気になったのかと心配したが、妊娠したと言う。
いいことじゃない!と言うと、「あなたを愛してる。でもあなたの子供は欲しくない」と言われた由。
沈黙。
フレイザーはポールに「言ってやれよ」。
ポールは焦ってごまかす・・・。
一方、フレイザーは定職につかずにいる。
フレイザーはギグルスの書いたたくさんの物語の中から「磁石の話」を読んでくれ、と言う。

<劇中劇Ⅱ(ギグルスの書いた物語)>
あるところに磁石たちがいた。一つの磁石がもう一つの磁石に恋をした。
その子に近づこうとするが、どうしても近づけない。
磁石同士なので反発し合って離れよう離れようとしてしまう・・・。

ポールはギグルスの書いた物語を仕事の関係で小さな本に載せていたら、先日、米国の出版社から、その中のいくつかを本にしたいと言ってきた、と言う。
フレイザーは反発する。
それらはオリジナルなんかじゃない、パクったものだ。あんなもの、9歳が書けるわけない・・。
ポールは出版関係の仕事をしているので、あれらがパクリなんかじゃないと感じている。
誰かがアランの機械のスイッチを入れると、紙吹雪が勢いよく飛び出し、天井高くまで舞い上がる・・・。
彼らはいまだにギグルスの死を受け入れることができないでいるようだ。
彼の生と死の解釈をめぐって、フレイザーとポールの思いはどこまでも平行線をたどる。

ゴードンの自殺は、フレイザーの言う通り、バンドを抜けてくれ、と言われたことがきっかけだろう。
笑わない子がギグルス(クスクス笑い)と呼ばれているという皮肉。
タイトルの意味は興味深い。これは到底訳せないでしょう。
原語のままで仕方ない、いや正解かも。
苦い、あまりにも苦い青春の日々。

広田敦郎の翻訳は生き生きしていて素敵。
役者は知らない若者たちだったが、みな好演。
特にフレイザー役の松島庄汰がうまい。







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オペラ「平和の日」

2023-04-20 21:45:10 | オペラ
4月8日オーチャードホールで、リヒャルト・シュトラウス作曲のオペラ「平和の日」を見た(指揮:準・メルクル、オケ:東フィル)。





ピンぼけですみません💦

日本初演。セミステージ形式。
<あらすじ>
17世紀半ばのドイツ。30年戦争末期の頃、城塞に駐留する兵士に守られたカトリックの街は、ホルシュタインからやって来たプロテスタント軍に
包囲されてもなお抵抗していた。飢餓状態にあった市民たちは、城壁の門を開け、降伏するよう兵士を説得する。
しかし司令官は市民の声に耳を貸さず、どんな犠牲が出ても街を維持することが皇帝陛下からの勅命だと譲らない。
だが、自軍の兵士が市民の肩を持つのを見て、正午に停戦の合図を出すと約束する。
しかし、司令官の本当の計画は、自分と兵士で城塞を爆破することだった。
やがて、司令官の妻マリアが城壁に現れ、太陽に象徴される平和を待ち望む。
その場に戻った夫・司令官の戦意を、マリアは何とかなだめようとするが、街の陥落と運命を共にしようとする彼の決意は変わらない。
やがて大砲の音が鳴り響き、待ちに待った戦いの始まりだと思った司令官は、兵士たちに戦いの準備をさせる。
ところが街じゅうの教会から鐘が鳴り響き、敵兵が武器に花輪をつけ、白旗を掲げて近づいてくる。
敵兵は街の中に迎えられ、停戦が実現したことが報告される。
司令官は敵の策略だと信じようとせず、ホルシュタイン軍の司令官がやって来ても、剣に手をかける。
マリアが二人の間に割って入り、皇帝よりも偉大なものを祝うよう司令官に呼びかける。
司令官はようやく敵兵を受け入れ、誰もが永遠に続く輝かしい平和を賞賛する。 (パンフレットより)

<成り立ちと背景>
リヒャルト・シュトラウスは、長年タッグを組んできたホフマンスタールが亡くなった後、シュテファン・ツヴァイクと共同作業を始めた。
だがシュトラウスは息子の嫁がユダヤ人であり、孫二人はユダヤ人との混血であるため、家族と自分自身とをナチス政権の迫害から守るため、
ナチス政府からの作曲依頼、式典出席依頼を断れない状況に陥った。
ゲッベルスの側も、シュトラウスにはドイツ音楽界を代表する宣伝塔としての役割があると認識していた。
1936年に作曲したこのオペラは、ツヴァイクのアイディアおよび草稿を元にしており、明らかに反戦的な内容を含んでいた。
この時期、すでにツヴァイクはシュトラウスと直接の交渉を持つことを拒否しており、この作品の完成を、ヨーゼフ・グレーゴルに託した。
1938年にオペラ「平和の日」は初演された。
原作者、作曲者の意図がどうあれ、ナチス政府はこの作品を、来たるべき(自分たちによる)ヨーロッパ統一のシンボル的作品とみなし、
第二次世界大戦が激化する直前まで、ドイツ国内で98回もの上演を重ねている。
平和主義者にとってもナチス党員にとっても都合のよい作品としての運命を担わされた本作は、戦後、負のイメージがまとわりついたために
上演機会が極端に減ってしまった。
シュトラウスの作品なのに日本で上演されたことがなかったという驚くべき事実の背景には、こうした不幸な事情があった(広瀬大介氏の解説より)。

舞台後方の上部に巨大なスクリーンが設けられ、そこにさまざまな映像が映し出される。
武器、バラの花、西洋の街並を上空から眺めた光景、石造りの建物、教会の塔の鐘・・・。
司令官(清水勇磨)とその妻マリア(中村真紀)が対峙する。
何しろ時代は30年戦争末期なので、若い兵士たちは生まれた時から戦争の中にいて、平和というものを経験したことがない。
兵士たちは口々に言う、「平和って何だ・・」。

字幕の意味が時々よくわからない。そのため、妻と夫が長い議論の末にしっかと抱き合った時、流れについて行けず唐突に感じられた。残念。
ラストはベートーヴェン風の堂々たる C dur で、平和の尊さを歌い上げる。
背後のスクリーンにドイツ語の髭文字 Friede (平和)が現れ、しばらくすると、英語の peace など各国語が表示される。
音楽の高まりと相まって胸が締めつけられるほど感動的。
こうして圧倒的な平和賛歌のうちに終わる。
この曲がウクライナで、ロシアで、パレスチナで演奏されたら、と思った。

かつてロナルド・ハーウッド作の芝居「コラボレーション」を見たことがある(2011年加藤健一事務所公演、日本初演と、2014年劇団民藝公演)。
それは、これより少し前、リヒャルト・シュトラウスが、ツヴァイクと共にオペラ「無口な女」を作る頃の話だった。
時代の荒々しい波に押し流されそうになりながら、何とかそれに立ち向かっていこうとするシュトラウスの姿が描かれていて、今回のオペラ誕生の背景理解
にも大いに役立った。
この作品は「サロメ」のように劇的でなく、「ばらの騎士」のように官能的でもなく、「影のない女」のように陰影に富んでいるわけでもないが、
やはりシュトラウス独特の美しさが素晴らしく、胸を打たれた。
ようやく迎えた日本初演の時に、その場に立ち会えたことに感謝したい。
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ペーター・ハントケ作「カスパー」

2023-04-07 23:26:34 | 芝居
3月23日東京芸術劇場シアターイーストで、ペーター・ハントケ作「カスパー」を見た(演出:ウィル・タケット)。



突然我々の世界に送り込まれてしまった一人の人間。名はカスパー。自分の意思をもったことがなかった人間がことばを手にした時・・・。
それは自由への扉なのか、それとも悪夢の始まりなのか・・・。
外界と遮断されたまま成長した謎多き孤児カスパーの物語(チラシより)。

カスパー・ハウザーとは、19世紀の始め、ニュルンベルクの路上に突如として出現した16歳位の青年のこと。
人々が話しかけても、いくつかの意味不明の言葉しかしゃべれない。
交互に足を動かして歩くことすらできない。
人々は不思議がり、気の毒に思って食べ物を与えるが、パンと水以外は受けつけない。
どうも、生まれた時から地下牢のようなところに閉じ込められていたようだ。
人々は彼を、貴族の血を引く子供で、生後間もなく誘拐されたのではないか、と想像するが・・・。
以上は、評者がフォイエルバッハ著「カスパー・ハウザー」などから知っていた情報。
カスパーについて、これまで数多くの書物が世に出されてきた。
ノーベル文学賞作家、ペーター・ハントケは、果たしてどんな戯曲を書いたのか。

カスパー(寛一郎)が床に横たわっている。
下手に3人の男たち(プロンプター)が席についており、カスパーと言葉との関係について口々に切れ切れの言葉を語る。
その言葉は繰り返しが多く、あまりにも抽象的。
3人の黒衣の男たちが彼の体を起こし、手と足を一つひとつ動かして歩かせる。
彼は操り人形のように、されるがまま。だが途中で倒れてしまう。
すると3人はプロンプターたちに指示を仰ぎ、再びカスパーを起こして歩かせ始める。
彼は次第に言葉を学び、語彙が増えていく。
かつての自分がわずかな言葉によって何を言いたかったのか、しきりに説明しようとする・・。

詩人でもある作者ハントケの興味は、もっぱらカスパーと言葉の関係にある。
ひいては人間にとって言葉とは何か、という問題であり、その手法は前衛的だ。
作家・山下武氏が書いているように、主人公カスパーは、この難解な前衛劇の素材であるに過ぎない。
だが評者は(ごく普通のミーハーなので)、彼の出自と、彼を誘拐した者の動機や、監禁した者、育てた者について、興味がある。
たとえば、バーデン大公国の王位継承権をめぐる宮廷内の陰謀の犠牲者ではないか、と推理する人もいて、好奇心をそそられる。
生後間もなく死んだとされた第一王子ではないか、というのだ。
何しろ彼は、社会復帰後5年目に暗殺されてしまうのだ。
その日、現場近くで立派な服装の紳士が目撃されている。
その頃には、彼はちゃんとした文章を書けるようになっていたので、秘密がばれるのを恐れた人々がいたということではないだろうか。
この芝居は、そういう評者には、あまりにも難解で前衛的だった。

ただ、主演の寛一郎は熱演。
彼の「プロンプター」役の首藤康之、下総源太朗、萩原亮介も、抽象的な言葉を緻密に重ねていき、好演。

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