5月23日文学座アトリエで、テネシー・ウィリアムズ作「地獄のオルフェウス」を見た(文学座公演、演出:松本祐子)。
アメリカ南部の田舎町での陰鬱な雨の季節の物語。
病気の夫を抱えて雑貨店を営むレイディ(名越志保)は、愛のない孤独な生活を送っている。
この町にギターを手に流れてきた若い男ヴァル(小谷俊輔)。
蛇革の服を着たよそ者は、女たちの欲望と男たちの憎悪に火をつける・・・。
絡み合う孤独な魂が光を求め彷徨い、その先に見たものは・・・(チラシより)。
その楽日を見た。
この芝居は、2013年に東京芸術劇場シアターウエストで見たことがある。
tpt公演、演出は岡本健一、主演は保坂知寿と中河内雅貴だった。
あの時とは舞台の大きさが桁違いなので、その意味でも興味深い。
犬の吠え声がするたびに、ヴァルはビクッと怯える。
かつて警察犬が容疑者だか黒人だかを追って行って八つ裂きにするのを何度も見たと言う。
すごい時代だ。
ここでは人種差別どころじゃない、一人の男を何人かが寄ってたかってリンチしたって何のお咎めもないらしい。
当時、米国は、まだ法治国家と言える国ではなかったようだ。
レイディの父はイタリアからの移民で「イタ公」と呼ばれていた。
禁酒法の時代、彼は土地を借りて葡萄園を作り、そこにあずまやを15コ作ったので、町の人々はしょっちゅう集まって楽しんだ。
だがある時、父が「黒んぼに酒を売った」ために、運命は反転する。
秘密結社の男たちが果樹園に火をつけ、消防車は一台も来なかった。
父は一人で毛布を手に火を消そうとして焼け死んだ。
恋人の子を妊娠していたレイディは、その男に捨てられ、お腹の子を中絶し、今の夫ジェイブと結婚した。
町の人々は、レイディがジェイブに「安く買われた」と噂している。
後にレイディは、あの時火をつけた男たちの中にジェイブもいたことを知る・・・。
奇妙な人々が、次々と登場する。
化粧の濃い、イカレタ若い女キャロル。彼女はレイディのかつての恋人の妹だった。
保安官の妻で絵描きの女。彼女は日々、夫の仕事の関係で残酷なものを見聞きしているためか、宗教画を描き始め、次第に奇妙な言動をするようになる。
背の高いネイティブアメリカンの男。彼が登場すると、他の人々は怖がって逃げたり、彼を追い出そうとしたりする。
だがそういう彼の存在に、どういう意味があるのか不明。
そして町の噂好きな女性たち。彼女らは偏見に満ち、厚かましくて冷酷で独善的。
ヴァルは30歳の誕生日にこの町にやって来た。
これまで流しでギターの弾き語りをしてきたが、これからは生き方を変える、と決心して。
だが、あまりに目立つイケメンぶりと、生来の意味深な言動が、女たちを惹きつけ、男たちの憎しみを募らせる。
キャロルは敏感に状況を感じ取ったらしく、彼に「ここにいたら危ない。一緒に逃げよう」と言うが、ヴァルは断る・・。
今回、一番戸惑ったのは、主役レイディの造形。
彼女がヴァルに対してガミガミ𠮟りつけたりわめいたりするので、ただのうるさいおばさんに見えてしまう。
この二人が恋に落ちるなんてことがあるだろうか?
ヴァルがこんな女に魅力を感じたりするだろうか?
奇跡でもない限り、そんなことあるわけない、と思えてしまう。
今回の演出は、この一番肝心なところがまずい。
レイディは、確かにもう若くはないし、疲れてはいるが、まだ人を愛する素直で瑞々しい力が残っているはずだ。
そこを信じさせてくれないと困る。
松本祐子という人は、2019年に『スリーウインターズ』という非常に面白い芝居を演出した人で、この時は素晴らしかったが。
残念だ。
タイトルについて。
原語では "Orpheus Descending" (オルフェウスが降りていく)だが、彼が降りていく先は地獄ではない。
地獄はキリスト教の概念であり、罰としてあるものだが、オルフェウスはギリシャ神話の登場人物であり、キリスト教以前の話だ。
そこでは人間は死んだらみんな冥界へ下る。善人も悪人も区別なく。
オルフェウスの妻エウリディーチェは蛇に嚙まれて死に、冥界に下り、彼女を追ってオルフェウスは冥界に下った。
この戯曲は、その神話をモチーフにしている。
したがって、『地獄のオルフェウス』という訳は適切ではない。
長年日本で親しまれてきた題名ではあるが、このあたりで変えたらどうだろうか。
たとえば『オルフェウス冥界へ下る』とか。
レイディは20年間死んだように生きていた、そこに(彼女を救いに)ヴァルが現れた、というわけだ。
20年もの間、暴君のようにレイディを支配してきた夫は、実は父の仇だった。
その夫の死を、レイディはじりじりしながら待っている。
だが、すぐにも死にそうな老いた夫が、なかなか死なない。
それどころか、ある日、仕事熱心な看護婦にリハビリを勧められて階下にゆっくりと降りて来る!
若い愛人ヴァルが階段下の小部屋に泊まっているというのに!
もはや絶体絶命か・・という状況が、劇的緊張を生んで効果的。
ラスト近くで、レイディは自分が再び妊娠したことを知り、急に表情が柔らかくなる。
「こんな枯れ木に」と彼女は歓喜する。
何も言わずに出て行こうとしたヴァルを、ついさっきまで激しい口調で引き留めていたのに、突然、「逃げて」と彼の身を案じる。
その変化が印象的。
だが今度はヴァルの方が、彼女を置いて行けなくなってしまう・・。
10年ぶりに見た今回、以前より細部まで見えてきたように思う。
レイディの苦しみと悲しみ、そしてつかの間の、ほんのつかの間の激しい喜びと、二人の悲劇が胸に迫って来る。
アメリカ南部の田舎町での陰鬱な雨の季節の物語。
病気の夫を抱えて雑貨店を営むレイディ(名越志保)は、愛のない孤独な生活を送っている。
この町にギターを手に流れてきた若い男ヴァル(小谷俊輔)。
蛇革の服を着たよそ者は、女たちの欲望と男たちの憎悪に火をつける・・・。
絡み合う孤独な魂が光を求め彷徨い、その先に見たものは・・・(チラシより)。
その楽日を見た。
この芝居は、2013年に東京芸術劇場シアターウエストで見たことがある。
tpt公演、演出は岡本健一、主演は保坂知寿と中河内雅貴だった。
あの時とは舞台の大きさが桁違いなので、その意味でも興味深い。
犬の吠え声がするたびに、ヴァルはビクッと怯える。
かつて警察犬が容疑者だか黒人だかを追って行って八つ裂きにするのを何度も見たと言う。
すごい時代だ。
ここでは人種差別どころじゃない、一人の男を何人かが寄ってたかってリンチしたって何のお咎めもないらしい。
当時、米国は、まだ法治国家と言える国ではなかったようだ。
レイディの父はイタリアからの移民で「イタ公」と呼ばれていた。
禁酒法の時代、彼は土地を借りて葡萄園を作り、そこにあずまやを15コ作ったので、町の人々はしょっちゅう集まって楽しんだ。
だがある時、父が「黒んぼに酒を売った」ために、運命は反転する。
秘密結社の男たちが果樹園に火をつけ、消防車は一台も来なかった。
父は一人で毛布を手に火を消そうとして焼け死んだ。
恋人の子を妊娠していたレイディは、その男に捨てられ、お腹の子を中絶し、今の夫ジェイブと結婚した。
町の人々は、レイディがジェイブに「安く買われた」と噂している。
後にレイディは、あの時火をつけた男たちの中にジェイブもいたことを知る・・・。
奇妙な人々が、次々と登場する。
化粧の濃い、イカレタ若い女キャロル。彼女はレイディのかつての恋人の妹だった。
保安官の妻で絵描きの女。彼女は日々、夫の仕事の関係で残酷なものを見聞きしているためか、宗教画を描き始め、次第に奇妙な言動をするようになる。
背の高いネイティブアメリカンの男。彼が登場すると、他の人々は怖がって逃げたり、彼を追い出そうとしたりする。
だがそういう彼の存在に、どういう意味があるのか不明。
そして町の噂好きな女性たち。彼女らは偏見に満ち、厚かましくて冷酷で独善的。
ヴァルは30歳の誕生日にこの町にやって来た。
これまで流しでギターの弾き語りをしてきたが、これからは生き方を変える、と決心して。
だが、あまりに目立つイケメンぶりと、生来の意味深な言動が、女たちを惹きつけ、男たちの憎しみを募らせる。
キャロルは敏感に状況を感じ取ったらしく、彼に「ここにいたら危ない。一緒に逃げよう」と言うが、ヴァルは断る・・。
今回、一番戸惑ったのは、主役レイディの造形。
彼女がヴァルに対してガミガミ𠮟りつけたりわめいたりするので、ただのうるさいおばさんに見えてしまう。
この二人が恋に落ちるなんてことがあるだろうか?
ヴァルがこんな女に魅力を感じたりするだろうか?
奇跡でもない限り、そんなことあるわけない、と思えてしまう。
今回の演出は、この一番肝心なところがまずい。
レイディは、確かにもう若くはないし、疲れてはいるが、まだ人を愛する素直で瑞々しい力が残っているはずだ。
そこを信じさせてくれないと困る。
松本祐子という人は、2019年に『スリーウインターズ』という非常に面白い芝居を演出した人で、この時は素晴らしかったが。
残念だ。
タイトルについて。
原語では "Orpheus Descending" (オルフェウスが降りていく)だが、彼が降りていく先は地獄ではない。
地獄はキリスト教の概念であり、罰としてあるものだが、オルフェウスはギリシャ神話の登場人物であり、キリスト教以前の話だ。
そこでは人間は死んだらみんな冥界へ下る。善人も悪人も区別なく。
オルフェウスの妻エウリディーチェは蛇に嚙まれて死に、冥界に下り、彼女を追ってオルフェウスは冥界に下った。
この戯曲は、その神話をモチーフにしている。
したがって、『地獄のオルフェウス』という訳は適切ではない。
長年日本で親しまれてきた題名ではあるが、このあたりで変えたらどうだろうか。
たとえば『オルフェウス冥界へ下る』とか。
レイディは20年間死んだように生きていた、そこに(彼女を救いに)ヴァルが現れた、というわけだ。
20年もの間、暴君のようにレイディを支配してきた夫は、実は父の仇だった。
その夫の死を、レイディはじりじりしながら待っている。
だが、すぐにも死にそうな老いた夫が、なかなか死なない。
それどころか、ある日、仕事熱心な看護婦にリハビリを勧められて階下にゆっくりと降りて来る!
若い愛人ヴァルが階段下の小部屋に泊まっているというのに!
もはや絶体絶命か・・という状況が、劇的緊張を生んで効果的。
ラスト近くで、レイディは自分が再び妊娠したことを知り、急に表情が柔らかくなる。
「こんな枯れ木に」と彼女は歓喜する。
何も言わずに出て行こうとしたヴァルを、ついさっきまで激しい口調で引き留めていたのに、突然、「逃げて」と彼の身を案じる。
その変化が印象的。
だが今度はヴァルの方が、彼女を置いて行けなくなってしまう・・。
10年ぶりに見た今回、以前より細部まで見えてきたように思う。
レイディの苦しみと悲しみ、そしてつかの間の、ほんのつかの間の激しい喜びと、二人の悲劇が胸に迫って来る。