ロビンの観劇日記

芝居やオペラの感想を書いています。シェイクスピアが何より好きです💖

「トロイラスとクレシダ」

2015-08-30 21:56:53 | 芝居
8月1日世田谷パブリックシアターで、シェイクスピア作「トロイラスとクレシダ」をみた(演出:鵜山仁)。

トロイ戦争が始まって7年。トロイ王プライアムの末の王子トロイラスは、神官カルカスの娘クレシダに恋焦がれている。クレシダの叔父
パンダラスの仲介により二人は結ばれ、永遠の愛を誓い合う。しかしトロイを裏切りギリシャ側についたカルカスは、娘クレシダとトロイの
将軍との捕虜交換を求め、クレシダはギリシャに引き渡されてしまう。一方、トロイ王の長男ヘクターは、膠着した戦況を打破するため
ギリシャ陣営に一騎打ちの申し出を伝える…。

これは非常にマイナーな作品で滅多に上演されないが、以前BBC制作の映像をテレビで見た覚えがある。
よく知られているように、トロイ戦争はトロイの王子パリスがギリシャのメネレーアスの妻ヘレンを略奪したことが原因で起こった。元々の
原作はホメロスの「イリアス」だが、そこでの英雄たちは、シェイクスピアによってかなり人間臭く変貌を遂げている。

S席なのにうんと上の方で、2階と言っても実質3階位。世田谷パブリックシアターは何度も来たことがあるが、こんな悪い席は初めてだ。

訳は小田島訳。ダジャレが多いので(と言うか、いちいち笑えるような日本語のダジャレに変換しているので)すぐ分かる。

クレシダ役のソニンが今回も可愛くて確かな演技。
ユリシーズ役を今井朋彦にしたのが正解。この策士にぴったり。
アキリーズ役が横田栄司。この人の変化が見所の一つ。引きこもり⇒皆の態度の変化にあわてる⇒トロイにいる恋人からの手紙を読んで
すっかり明るくなり浮かれ出す⇒改めて不戦の決意を固める⇒愛人パトロクロスの死に逆上⇒策を練ってヘクター殺害
つまり彼はいわゆる「バイ」(セクシュアル)らしい。
このアキリーズとパトロクロスは、始め、ど派手な下着のような格好で登場するのでびっくり。
恋人からの手紙を読んで浮かれる様がおかしい。
トロイラス役の浦井健治はいつもながら爽やかだが、セリフが聞こえない時がある。特にラスト近く、クレシダから叔父パンダラス宛に
届いた手紙を読み、沈んだ声でコメントするが、その肝心のセリフが全く聞こえなかった。
衣装は、人によっては現代の服のようで、どういうコンセプトなのかよく分からない。
ヘクター役の吉田栄作は疲れていたのだろうか、声がかすれ気味で、あまり英雄らしくなかった。かつて「三文オペラ」でメッキー・メッサー
をやった時の颯爽たる姿と声を思うと、いささか寂しい。

パリスとメネレーアスが戦いつつ登場し、そのまま退場するシーンで、原作ではセリフは一つもないが、二人は客席のそばで戦おうとして
「おっと、一般市民だ」とか言ってあわてて武器を捨てて素手で戦ったり、しまいに客席の階段を駆け上がって逃げるパリスに向かって
メネレーアスが「返せ!」、パリスが「返さん!」と叫ぶなど、かなり自由にふくらませていて楽しい。
渡辺徹演じるパンダラスが思いのほか出番が多く、重要な役だ。演出家の信頼に応えて好演。3幕1場の歌のシーンも面白い。

ただ、おどけ者サーサイティーズらの会話シーンで、初演当時は大受けしたであろう箇所も、残念ながら面白くなくて笑えなかった。
これは仕方ないのか。

タイトルの二人が二人共生きていて、それなのに芝居は終わってしまう。シェイクスピアとしては例外的な変わった作品だが、見方を
変えれば実に現代的だ。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

音楽劇「兵士の物語」

2015-08-21 22:47:48 | 音楽劇
7月31日東京芸術劇場プレイハウスで、ストラヴィンスキー作曲の音楽劇「兵士の物語」をみた(原作:アファナシェフ、演出・振付:ウィル・
タケット)。

一人の兵士が休暇で故郷の家に歩いて帰ろうとしている。悪魔が彼を誘惑し、彼が大事にしているヴァイオリンをくれたら、一冊の本をやろうと言う。
読めば巨額の富を得られるというその本とヴァイオリンを交換したものの、悪魔はヴァイオリンの弾き方が分からない。そこで悪魔は、これから
一緒に私の家に来てちょっと弾き方を教えてくれ、と頼む。なに、すぐ近くだ、と言うので兵士はまあいいか、と寄り道するが、そこで3日過ごした
後故郷に帰ってみると、懐かしい人々が皆、彼を見て逃げてゆく。母親までもが…。そして彼の婚約者は別の男と結婚していてもう子供がいた。
悪魔の家での3日は実は人間の世界では3年だった。彼は戦死したと思われていたのだ。絶望のどん底に突き落とされた兵士は、それでも何とか
気を取り直し、放浪の末、幸運にもお城のお姫様を助け、ついに姫と結婚して幸せになれた…かと思いきや、悪魔はまだ執念深く彼に迫って来る
のだった…。

この物語には「浦島太郎」とグリム童話の「金色のガチョウ」のモチーフが見られる。3日が実は3年だった、というのと、生まれてこのかた
一度も笑ったことがない王女、そしてそれを苦にした王様が、娘を笑わせた者に娘と王国をやる、という話。いずれにせよ、興業のために急いで
作った台本だから粗雑ではある。ただストラヴィンスキーの音楽が素晴らしい。

兵士役のアダム・クーパーはミュージカル畑の人らしいが、全身を使っての身体の動きがすごい。弦を張ってないヴァイオリンを手に、一瞬も目が
離せないような華麗な動きを見せてくれる。

語り役の人も一緒になって踊る、この人もバレーダンサーだというので驚いた。だって語りが素晴らしくうまいのだ。まさか本業がダンサーだとは
思わなかった。やはり英国は演劇の国ということか。
王女役のラウラ・モレーラもロイヤル・バレエ・プリンシパルということで、コミカルな動きも取り入れていて面白い。

王女は原作ではセリフがないが、ここでは最後に口をきく。「あなたの故郷に行ってみたい」という場面で。

振付が素晴らしいし、変拍子の多い音楽にぴったり合っているし、4人の役者がまたそれを完全に消化して踊るさまは何とも言えない。まさに
「まばたきするのも惜しい」(チラシ)作品だった。
但し、このプロダクションは耳より目の楽しみを優先させたものだった。オケの音はナマの音のままではなかったし、演奏家たちの名前はチラシに
書かれていなかった。
そして、矛盾するようだが、オケがピットに入ってしまっているので、楽器演奏を目で見て楽しむことができなかった。もちろんダンサーたちがすごい
のでそんな暇はないのだが、普通ならこの作品はそこにも大きな魅力があるのだ。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オペラ「復活」

2015-08-13 21:55:43 | オペラ
7月11日新国立劇場中劇場で、F.アルファーノ作曲のオペラ「復活」をみた(指揮:飯坂純、演出:馬場紀雄、オケ:東京オペラ・フィル)。

イタリア語上演。日本初演。
1910年頃のロシア。復活祭のために久しぶりに家に帰って来たディミトリは叔母に育てられた養女カチューシャと愛し合ってしまう。
しかし彼はすぐに戦争のため出征し、カチューシャは妊娠が発覚し家を追い出されてしまう。過酷な生活により子供を失い、娼婦に身を
落とした彼女は、事件に巻き込まれて無実の罪を着せられ、シベリア鉄道で刑務所へと送られる。
彼女の過去を知ったディミトリは罪の意識に目覚め、恩赦を求めて奔走し面会に来る。ついには彼女と共に旅して自分の人生を捧げる決意
をする。しかしカチューシャは彼を愛するがゆえに別れを告げ、別々の人生を歩むことを選ぶ。

アルファーノという人は、プッチーニの未完の大作「トゥーランドット」の補筆を行ったことで有名だが、本人自身の作品はあまり知られて
いなかった。だが最近になって「シラノ・ド・ベルジュラック」が各国で上演されるようになった由。評者も2010年12月に、この東京
オペラ・プロデュースによる日本初演を見ることができた。その時の感動は忘れがたい。
今回の作品はロシアの文豪トルストイの「復活」が原作で、アルファーノの作品中最多の上演記録が残る由。

女囚たちが聖堂に行進させられるシーンの後、誰もいなくなった監獄の部屋に音楽だけが続き、それが次第に高まってゆくと、ついに、官吏に
案内されてディミトリ(原作ではドミートリー)公爵が入って来るのだった。

演出面では、場面転換の手際がいささかよくなかった。

後半、思いがけず涙にくれてしまった。
ラストはよく分からなかった。別の男に求婚され、その男と結婚すると決心するカチューシャ。あの時代、女が一人では生きていけなかった。
だが、もうこれで本当に一生の別れという時に、彼女は今もディミトリを愛していると告白する。そして、それでもやはり別れると…。
罪の意識故に彼女に求婚し、彼女を守って残りの人生を捧げ、罪を償うことが自分の義務だと考える彼の気持ちが、彼女には重荷だったのかも
知れない。彼にもその気持ちが伝わったようだ。「僕を解放してくれたんだね」という彼。

原作を読めば彼女の心理はもっとよく理解できるらしい。評者もこの機会に遅まきながら読み始めたが、残念ながら当日までに読み終えられなかった。
昔「アンナ・カレーニナ」を途中で止めて以来、トルストイはどうも苦手だった。ロシア文学と言えばもっぱらドストエフスキーが好きで、
彼に比べればトルストイは深みが無いように思われた。だが今回「復活」を読み始めて驚いた。面白い!そして読み易い!もちろんドストエフスキー
に比べればやっぱり底が浅いようなところはあるが、それにしても彼を見直した。アルファーノと東京オペラプロデュースのお陰です。ありがとう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「東海道四谷怪談」

2015-08-07 17:22:37 | 芝居
6月23日新国立劇場中劇場で、「東海道四谷怪談」をみた(原作:鶴屋南北、演出:森新太郎、上演台本:フジノサツコ)。

塩冶の浪人、民谷伊右衛門は、自分の過去の悪行故に離縁させられていた女房お岩との復縁を舅の四谷左門に迫り、それが叶わぬと見るや
辻斬りの仕業に見せかけ惨殺する。左門の死体を見て嘆くお岩に伊右衛門は親切めかして仇討を誓い、それに乗じて復縁する。
民谷の家に戻ったお岩は、産後の肥立ちが悪く床に伏すようになり、伊右衛門は岩を疎ましく思い始める。そんな中、隣家の伊藤喜兵衛から
贈られた血の道の妙薬を飲んだお岩は、たちまち相貌が崩れ悶え苦しみ、放置してあった短刀に刺さり死ぬ。実は喜兵衛は、伊右衛門に
懸想した孫娘のお梅の思いを叶えようと毒薬を渡したのだった。伊右衛門は、家宝の薬を盗んだとして奉公人、小仏小平も殺し、お岩と
小平の死骸を川に流す。やがて二人の怨念は伊右衛門を襲い、苦しめる…。

初演は1825年。元禄期の実際の刃傷沙汰や、巷に残る伝説などを元に、71歳の南北が「忠臣蔵」の外伝という体裁で書き下ろし、初演は
「仮名手本忠臣蔵」と抱き合わせで上演された由。今回はお岩以外全員男性が演じるという。

映画は見たことがあったが、芝居では初めて。実に興味深かった。

まず伊藤家の孫娘が伊右衛門に懸想しているという情報が示される(これが意外と重要。これがないとお岩は顔が崩れない)。次に、彼は舅に離縁
させられた元妻のお岩にまだ未練があるということが明かされる。そしていきなりの殺人。動機ははっきりしているが、やはり唐突。

小平という奉公人が盗みを働いたというので、伊右衛門とその仲間たちは彼を捕え、いたぶって指を一本ずつ折るなどリンチをするのが恐ろしい。
まるで無法地帯だ。当時は、犯罪の被害者は犯人に対して何をしてもいいような感覚だったようだ。

伊藤家当主は「血の道の薬」を面相が醜く変わる毒薬と取り替えて乳母に持たせたと告げるが、それは伊右衛門が妻に愛想を尽かして離縁する
ようになるためであり、「ただ命に別状はないのでお咎めにはなるまい」と述べる。おいおい、うそでしょ!?と言いたくなるシーンだ。

つまり伊右衛門はお岩の顔の変貌にも責任がないし、彼女を殺してもいない。その点、何となく誤解している人も多いのではないだろうか。
ただ彼は冷酷で、我が子を可愛がるどころか関心も見せず、妻への労わりの気持ちも全くない。隣家のお梅との祝言のために金が入用になり、
病身の彼女から着物を剥ぎ取って出かける。だからお岩が恨むのは仕方がない。

お岩は子年(ねずみ年)だからネズミたちが仕返ししてくれる!

コミカルな場面もちらほら。特に伊右衛門の母はお笑い担当。

お岩(秋山菜津子)の「共に奈落へ誘引せん」というセリフがたまらない。今回も秋山さんの演技を堪能した。

ただ音楽がいけない。「乙女の祈り」が信じられないところで長々と流される。取ってつけたようなミスマッチ。またしてもうそでしょ1?と
叫びたくなった。
この曲を聴くまでは、役者たちも素晴らしく、ストーリーも面白く、これなら毎夏、見たいかも、と思った位だったが、ここで夢から覚めた。
残念だがあれを流すのなら、もう二度と見たくない。
蜷川マクベスのラストシーンで、アルビノー二のアダージョを延々と流して桜吹雪の中、長々と立ち回りをやらせたことを思い出した。
今回の演出家はあれがよほど気に入ったのかも知れないが、評者から見れば、前者はアルビノー二への冒涜、後者は脱力するほど情けない。
それまで和太鼓がとても合っていたのに、一体何を考えているのか。結局何も分かっていないんじゃないか。

あの曲なからましかば…。







コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする