ロビンの観劇日記

芝居やオペラの感想を書いています。シェイクスピアが何より好きです💖

井上ひさし作「日本人のへそ」

2011-03-29 22:24:55 | 芝居
3月8日シアターコクーンで、井上ひさし作「日本人のへそ」を観た(演出:栗山民也、音楽:小曾根真)。

この作品は作者のデビュー作とも言える音楽劇で、初演は1969年。今回はそれに小曾根真の新曲がつけられた。19年ぶりの上演。その初日。ほぼ満席。

12人の吃音症患者たちが教授の指導のもと、治療のためにミュージカルを上演するという枠構造がまずある。その内容は、集団就職で上京した岩手の貧農の娘の半生記。彼女はその豊満な肉体が災いして職を転々とし、ストリッパーとなり、ヤクザの愛人となり、組長の愛人⇒右翼の大物の愛人⇒代議士の愛人へと転身を重ねる。ところがそこで殺人未遂事件が起こり、舞台は一転、推理劇の様相を呈する。

音楽(小曾根真)が素晴らしい。井上ひさしの芝居はいつも音楽が苦手だったが、この人はピアノ演奏はもちろん今回は作曲も上首尾(「組曲虐殺」ではピアノソロの曲は素晴らしかったが、合唱曲があまりいいとは思えなかった)。

上京前の近親相姦にはびっくり。かなり不自然だし滅多にないことだと思うが、吃音との関係からこういう設定にしてしまったのだろう。
ストリップ劇場での稽古のシーンの一部など、退屈なところもあった(作者が聞いたらびっくりするだろうけど)。

教授役の辻萬長はうまいが、セリフ、特に語尾が聞こえにくい。
会社員役の石丸幹二は声がいいが、歌はどうだろうか。
主役のストリッパーを演じる笹本玲奈は声がよくて姿もいい。後半は着物がよく似合って美しく、しかも貫禄があって驚いた。
12人の登場人物一人一人に見せ場が設けられていて、皆うまい。特に、たかお鷹、植本潤、明星真由美らの達者な演技が爆笑を誘う。

「ナルちゃん」・・このセリフで時代が分かる。若い人は、これが現在の皇太子のことだと果たして理解できただろうか。会場の反応はまあまあというところか。
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2010年の芝居の回顧 & 最優秀男優賞等発表

2011-03-21 11:22:39 | 回顧
すっかり遅くなってしまったが、昨年観た芝居の総括がまだだった。
3・11以来、我々は未曾有の国難に直面している。東京在住の筆者も寄付金を送り、祈り、節電に努める日々だが、こればっかりは
急いでやってしまわなくてはいけない(桜が咲かないうちに・・)。
昨年劇場で観た芝居は計32コだが、その中で特に面白かったものを10作品挙げてみたい。

① 「冬のライオン」 1月 東京グローブ座
  ジェームズ・ゴールドマン作。登場人物の一人一人が抱えている思いがそれぞれ濃く深く複雑に絡み合って、なかなか一筋縄ではいかないが、そこがまたたまらない魅力。

② 蜷川幸雄演出「ヘンリー六世」 3月 さいたま芸術劇場
  こんな大作、滅多に見られるものではない。一生のうちに何回観られるだろうか。

③ 「ヘッダ・ガーブレル」 10月 新国立劇場小劇場
  ヘンリク・イプセン作。何と言っても大地真央の存在感に圧倒された。華のある役者とはこういう人のことか。コメディセンスも十分。

④ 「叔母との旅」 9月 青山円形劇場
  グレアム・グリーン作。男優が服も着替えずに女性を演じるようなものはあまり好きではなかったが、これは驚くほど面白かった。演出とベテラン俳優たちの猛練習の賜物だろう。   
 
⑤ 蜷川幸雄演出「じゃじゃ馬馴らし」 10月 さいたま芸術劇場
  演出には多少不満があるが、主演の二人(筧利夫&市川亀次郎)の組み合わせが素晴らしい。

⑥ トマ作「罠」 5月 天王洲銀河劇場
  よくできた芝居。 

⑦ トマ作「ダブル」 8月 ル テアトル銀座  
  心臓に悪くて疲れたが、これもよくできた芝居。

⑧ 井上ひさし作「黙阿弥オペラ」 7月 紀伊国屋サザンシアター
  翻訳物ばかり観ていると、こういう作品の日本語のセリフの美しさに感動してしまう。二役を立派にこなした熊谷真美に脱帽。

⑨ 野村萬斎演出「マクベス」 3月 世田谷パブリックシアター
  萬斎の発声がとにかく美しい。しかし演出には不満が残った。     

⑩ OUDS 「じゃじゃ馬馴らし」 8月 さいたま芸術劇場小ホール


次に、初めての試みだが、昨年筆者が最も感銘を受けた俳優に、勝手に賞を差し上げたいと思う。(※なお残念ながら副賞はありません・・)

最優秀男優賞(フロリゼル賞)・・・筧利夫(蜷川演出「じゃじゃ馬馴らし」)
             
最優秀女優賞(ミランダ賞)・・・大地真央(「ヘッダ・ガーブレル」)
  

この二人には(それぞれ違った意味で)驚嘆させられた。    

この他、印象深かった人々は次の通り。

麻実れい(「冬のライオン」、「おそるべき親たち」)
秋山菜津子(野村萬斎版「マクベス」、「タンゴ」)
大竹しのぶ(蜷川版「ヘンリー六世」)
高橋惠子(「カエサル」)
中嶋朋子(「おそるべき親たち」)
高橋礼恵(「冬のライオン」)
城全能成(「同上    」) 
段田安則(「叔母との旅」)
浅野和之( 同上    )
辺見えみり(トマ作「罠」)
新橋耐子(モーム作「2人の夫とわたしの事情」)



            
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「コラボレーション」

2011-03-13 21:40:49 | 芝居
2月26日紀伊国屋ホールで、ロナルド・ハーウッド作「コラボレーション」を観た(演出:鵜山仁)。

かの名作「ドレッサー」の作者が、作曲家リヒャルト・シュトラウスの生涯を舞台化した作品。英国で2008年に初演された由。その日本初演。

オペラ「アラベッラ」完成後、次のオペラの題材を探していたシュトラウスは、当時大人気だった作家シュテファン・ツヴァイクに台本執筆を依頼する。ツヴァイクは他の仕事をいくつも抱えていたが、シュトラウスに懇願されて折れ、二人は手を組むことになった。曲折を経てついにオペラ「無口な女」が完成する。しかし当時はナチス台頭の時代で、ツヴァイクはユダヤ人だった・・・。

冒頭から、気丈な妻に頭が上がらないシュトラウス(加藤健一)がおかしい。「無口な女」のアイディアを聞いてひらめきを感じるシーンなども楽しい。あの「ばらの騎士」を書いた作曲家が、実はこんな人間味溢れる親しみ易い人物だったとは!
「こんなセリフに音がつけられるかい。ここは音楽無しで語られるべきだ」というシュトラウスの言葉に我が意を得たりと思った。
去年「アラベッラ」を観た時感動したことで、その時のブログにも書いたが、「アラベッラ」の中にも一箇所そういう所があるのだ。

シュトラウスの妻パウリーネ(塩田朋子)が肝のすわった女性で、ナチス高官に怒鳴りつけられても一歩も引かず怒鳴り返すエピソードなども興味深い。
シュトラウスの息子の嫁がユダヤ人だったので、孫2人もユダヤ人と見なされ、ナチス当局はシュトラウスを脅す。かくて両者は協定を結び、作曲家はナチス政権に心ならずも協力することになる。戦後、そのことで彼は非難される。

ツヴァイク役の男優はセリフ回しがよくない。最初、わざと外人ぽく発声しているのかと思ったほど。でもユダヤ系とは言え母国語のドイツ語で話しているはずだから、もともと発声に問題があるのだろう。発声の練習をしたらどうだろうか。
ツヴァイクは神経質な男だったようだ。ナチスから逃れてブラジルまで行ったのに、そこでもまだ捕まる危険性があったのだろうか。それとも疲れ果てて絶望してしまったのだろうか。彼は元秘書で妻となった女性と共に自殺する・・。

ツヴァイクと言えば私にとっては何よりもまず評伝「マリー・アントワネット」の作者だったが、彼がシュトラウスと組んでオペラを作っていたとは知らなかった。
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オペラ「サロメ」

2011-03-07 17:21:15 | オペラ
2月22日東京文化会館大ホールで、リヒャルト・シュトラウス作曲のオペラ「サロメ」を観た(指揮:シュテファン・ゾルテス、演出:ペーター・コンヴィチュニー)。

「ショッキングなシーン」があるとは聞いていたが、ただもう呆れ果てた。

白布をかけたテーブルの長い列。その中央に白服の男がこちら向きに座っている。頭に袋をかぶっているので顔が分からない。宴会のテーブルの中央にいるのでこの人がヘロデ王かと思ったら、何とこれが囚われのヨカナーンなのだ。古井戸の中に入れられているはずなのに。
テーブルクロスを上げると、中で妃ヘロディアスが男とヤッテル最中。
誰がヘロデなのかしばらく分からなかった。

シリア人の隊長のそばに女がいて、王女サロメはその女の服を脱がせたり愛撫したり・・・(わけ分からん)。
その女はサロメを背後からピストル?か何かでなぐり、倒れたサロメを皆で取り囲んでその肉を切っては食べる仕草をする。何??
シリア人の隊長が自殺すると、その体をひっくり返してうつ伏せにし、男たちが取り囲んで強姦!しまいにヘロデ王もそれに加わる。

「七つのヴェールの踊り」はない!もちろん音楽はあるが、サロメは踊らず、人々の周りを歩き回るだけ。
踊りの褒美にヨカナーンの首を所望するサロメをヘロデが翻意させようとしている間、妃ヘロディアスは椅子に座ったヨカナーンのベルトをはずし、それで彼の両手を後ろ手に縛り、彼を強姦する・・・(この頃にはもう何が起きても驚かない)。

切られたヨカナーンの首は肩の部分まである(生きてる人をこんな風に切るなんて不可能でしょう!)これが盆に載って出てくる。と、何とヨカナーン自身がその首を抱き上げる。しばらくすると首は上空に去り、ヨカナーンはサロメと見つめ合い、しまいに二人は手に手をとって下手に消える。

白服の少女が走ってきて、横たわっていたサロメの頭に袋をかぶせてテーブルの下に隠れる。
ラストは一階中央の客席に座っている男が突然立ち上がってヘロデ王のセリフを叫んで終わる。

というわけで、もう二度とコンヴィチュニーの演出作品は見るまい、と心に誓ったのだった。かつて見た「アイーダ」でも違和感があったが。
みんなをびっくりさせてやろうという浅ましい幼稚な意図から生まれた、ただ奇をてらっただけのおぞましい悪趣味な作品だった。


コメント (7)
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オペラ「影のない女」

2011-03-03 00:14:45 | オペラ
2月12日東京文化会館大ホールで、リヒャルト・シュトラウス作曲のオペラ「影のない女」を観た(指揮:ワレリー・ゲルギエフ、演出:ジョナサン・ケント)。

字幕が徹底した文語だった。皇帝は自分を「朕」と言うし、うら若き皇后は「~するのじゃ」「参るぞ」「~せぬか」といった調子。だが乳母が自分を「それがし」と言うのは間違いだ。これは男の自称ですぞ。

バラクは「ロバでなく自分で担げば早く行ける・・」と歌いながら、実際は荷を積んだトラックに乗り込み下手に去る。なるほどこういうこともできるのか。

時々映像が使われる・・大空、鳥の飛翔、波、炎・・。

バラクの妻役のオリガ・セルゲーエワは、自在な歌いっぷりもさることながら声量がすごい。皇后役のムラータ・フドレイは透明感のある声が美しい。乳母役の歌手もうまい。
去年のブログにこの作品のことを「所詮男達の作ったオペラ」と書いたが、歌手から言うと、これは断然、女のオペラだ。

舞台美術は変。後半、車やらベッドやらが上からぶら下がってたり・・わけ分からん。

ラスト、バラク夫妻と皇帝夫妻が手を取り合うのはおかしい。この二組は全く違う世界に属するのだから。すべてを知っているのは皇后だけのはずだし。
ここだけ取っても、今回の演出には納得行かなかった。



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